11月も残すところ今日を含めてあと2日。ミステリーファンには楽しみな12月。まもなく各種ミステリーランキングの発表ですね。結果を予想したり読書の指針にしたりと楽しみ方はいろいろあることでしょう。出版各社とも、これらのランキングを念頭においているのか、ミステリー年度末ともいえる秋に話題作を集中して刊行する傾向があるのかなと思います。このところの話題作の多さに、読者としてはうれしい悲鳴をあげるしかないわけですが、一方で年度の前半に刊行された作品を読み逃したりしてないか? と思うわけです。

 今回は、今年の3月に刊行されたスペインミステリーをご紹介いたします。

 ビクトル・デル・アルボル『終焉の日』(宮崎真紀訳 創元推理文庫)は、スペイン内戦の時代から40年に渡って、運命と策略に翻弄され続けた人々を描く大河ミステリーです。

 プロローグは1981年5月。病床のマリアのもとに刑事が訪れる場面が描かれます。ここでは、マリアが35歳の弁護士だということ、彼女の病室が常に制服警官の監視下にあること、そして彼女自身がいくつかの殺人と、ある受刑者の脱獄幇助の罪に問われていること、その受刑者がセサルという名前であること、また同じ病室には彼女の父親も入院していて、その身体状態は悪く、認知機能に問題があるようだということ、そして彼女自身が、すでに死を待つだけの状態であるということが描かれます。

 第一章になると時代は遡り、1941年のメリダへと舞台を移します。フランコ独裁政権のもと、ファランヘ党の幹部としてその地域に君臨していたギリェルモ・モラの妻イサベルは、息子のアンドレスを連れてポルトガルへ向かう列車に乗ろうとしていました。しかし、駅で列車を待つ二人のもとにギリェルモの部下がやってきます。イサベルは、ファランヘ党を倒そうとする地下組織を支援しており、そのことが夫に露見するまえに逃げ出そうとしていたのです。しかしそれは叶わず、部下に捕まり連れ戻されてしまいます。

 マリアの弁護士としてのキャリアはけっして順調なものではありませんでしたが、1976年、ある悪徳警官が情報屋のラモネダを半殺しにした事件を担当することで転機が訪れます。マリアが刑務所送りにした警官の名はセサル・アルカラでした。この事件で名声を得たマリアでしたが、その三年後、彼女の前に元夫のロレンソが姿を現すことで状況が変わり始めます。セサルがラモネダを半殺しにした背景には、セサルの12歳の娘が失踪していたという事実があり、三年前の裁判でほとんど取り上げられなかったこの事実が、事件そのものを歪めて見せているのではないかという疑いが出てきたのです。そのことを聞かされたマリアは、ロレンソとその上司レカセンスの要請を受けて、刑務所にいるセサルに会いに行きます。

 物語は大きく分けて二つの時間を交互に行き来しながら進みます。ひとつは1980年のマリアの物語。刑務所のセサルやロレンソ、レカセンスとのやり取りから、セサルはなぜラモネダを半殺しにしたのか、娘の失踪との関係はなんだったのか、周到に隠された事実を少しずつ知っていくマリアの姿を描きます。もうひとつは1940年の物語です。こちらでは、ギリェルモ・モラという権力者とその家族、そしてギリェルモの右腕プブリオの暗躍を、ギリェルモの妻イサベルを中心に据えて描きます。イサベルの二人の息子やアンドレスの家庭教師だったマルセロなど、さまざまな立場の人々が交錯するさまを巧みに描きます。

 問題はこの二つの時代を結びつけるものがなにかということです。この「なにか」が明らかになるまでに、二つの時代で多くの人が苦しみ、悩み、葛藤し、病み、憎み、そして殺されていく。人々が残酷な運命を突きつけられていく様子を、読者はいつかこの苦しみに終わりが訪れることを期待しながら読み進んでいくしかないのです。

 40年に渡る嘘と陰謀と復讐の物語。運命に翻弄される人々の苦しみを目の当たりにしながら息苦しくさえある読書も、すべてが明らかになったラストでは、ある種の清々しさすら感じられることでしょう。原題の直訳は『武士(さむらい)の悲しみ』。武士道が登場人物の行動に大きく影響を与えているくだりもあり、この辺も日本人にとっては読みどころのひとつかもしれません。

 これから年末に向けて、じっくり腰を据えて読む作品として、お勧めできる一作だと思います。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。