店内では幼児が駆け回り、母親達は本棚の前で世間話に花を咲かせ、その後ろで作業着の男性が汚れた指先でページをめくり、モーター誌を立ち読みしている。すぐ脇の国道でトラックのタイヤが砂埃を巻き上げ、駐車場では拗ねた少年達がたむろしている。

 一番売れるのは雑誌とコミック。小説はほんのちょっとだけ。店舗の立地場所も客層も、「日本のブルーカラー」そのもの。

 そんな店で、翻訳ミステリ『死刑囚』を100冊売ってみた。

 はじめまして、猫谷書店と申します。翻訳ミステリ愛ゆえに、勤務店で翻訳特設本棚を構え、こつこつお勧めPOPを書いては、一冊手に取ってくれるお客様の背中をこっそり見つめる、ちょっと変態だけど平凡な書店員です。今回「シンジケート」に書店員の原稿が載るのは初とのこと!なんたる光栄かと鼻血が出そうです。

 今回の100冊売上は、郊外の書店的には「俺すげえ!」と喜べる結果なのですが、いまいちピンと来ない方が大勢いらっしゃるかと思いますので、この折角頂いた機会に、どういうことなのか、何があったのか、書かせて頂きたいと思います。

 さて、翻訳ミステリ好きの皆様、目当ての新刊を探しに書店へ出掛けて、「並んでない!またネット頼みかよー」と悔しい思いをされたこと、ありますよね。もちろん私もです。勤務先で0が並んだ配本数リストを見るたび、「むきいっ」と地団駄を踏んでおります。

 みんなもっと翻訳を読もうよ、って以前に、本屋に並べようよ!!

 ああ、耳が痛い……その通りです。本当にごめんなさい。でも、まあその、何と言うか、書店にも事情がありまして……しばし前書きをば。

 本は世に数多あり、無論何でもかんでも店頭に並べることはできません。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、書店に並ぶ本というのは基本的に、出版社が刷った部数から取次が各店舗に対し、売上実績や立地条件、客層等を考慮して配本数を割り振った結果です。発行部数が少ない本は優先的に「買ってくれるであろう、読書好きの客がいる店(大都市部にある書店など)」に行きます(他にも色々ありますが省きます)。その後、欠品本や未入荷本は、担当書店員が必須在庫と自店の特色を考慮しつつ、補充発注します。

 残念ながら翻訳小説は、全ての書籍の中で最も配本数を切られるジャンルと言っても過言ではありません。「翻訳小説は売れない」というイメージを、書店業界は未だ引き摺っています。

 じゃあ後から好きなものを何でも発注出来るかというと、そうではありません。確かに補充発注は現場の担当者に任されていますが、闇雲に発注して売れなければペナルティが科されることもあります。決められた配本数や定番ランクに従うことは、確実に売り上げ、返本数を減らせる、版元・取次・書店にとって最も合理的で堅実な方法であることは事実なのです。

 でもね、決して窮屈ばかりではありません。なぜなら「補充発注は担当者に任されている」ということは、すなわち、会社の都合にかかわらず、担当者が仕掛けようと思うなら、どんなマイナーな本でも、大々的に展開出来るということです!(さっき言ったことと矛盾している!)

 そんなわけでやっちゃいました。一般書籍の売上すら平均中の平均である、うちのような店で翻訳ミステリを仕掛け販売するなんざ、ぶっちゃけ無謀です。でも『死刑囚』仕掛けました。だって面白かったから!!!

 ただし、仕掛け販売は諸刃の剣。爆発的に売れるか見向きもされず返本するか……リスクを負う必要があります。「面白い」だけでは駄目です。個人の好みをごり押ししたって、売れず、無駄に返本数を増やして、版元・取次・店、全てに迷惑をかけるだけ。今回の結果は幸運にも集まった様々な要素が絡み合ったからこそ生まれたものなのです。

 前置きが長くなりましたが本題に入ります。『死刑囚』売上100冊までの道のりとは。

 きっかけは翻訳ミステリー大賞シンジケート「書評七福神今月の一冊」です。読書のプロである書評七福神のうち3名が推すという傑作ミステリ、アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム『死刑囚』(ヘレンハルメ美穂訳、RHブックス・プラス)を一読して(ちなみに入荷0だったのでア○ゾン購入)、私はその素晴らしい展開に魅せられ、異様な読後感を残す着地点に打ちのめされました。

 社会派サスペンスの要素を持ちながら、人間臭い市警の面々に共感しつつ、絆と哀しみ、時にほのかな恋の気配も漂わせ、物語は現実の冷酷さと人間の慟哭を巻き込み突き進んでいきます。スウェーデンというあまり日本にとって身近ではない異国の刑法制度や倫理観を知るトリビア的側面も面白かった。

 謎解きミステリとしても優れた、独特の苦味を残す異形の小説『死刑囚』。シリーズ物だけど独立しているし、よく耳にする「海外小説って読みづらい」という偏見(チキショー!)を吹っ飛ばすほど読みやすい。

 そしてある人気作家が醸し出す雰囲気と似ていると感じました。それは超ベストセラー作家、東野圭吾。イヤミスと評される『死刑囚』ですが、広く受け入れられている東野作品だって充分黒い。あれに耐えられるなら、この本が用意した結末もOKなはずです。

 これらのことから、『死刑囚』は<一般受けする小説>だという確信を抱きました。この瞬間私のスイッチは読者から商売人に切り変わり、『死刑囚』を商品として見るようになりました。

 まず担当社員(次長)に相談して、35冊発注。正直これでもビビる冊数です。しかしこの次長というのがなかなか豪気な人で、「やるんならとことんやっちまおう」という言葉を掛け合いつつ、入荷を待つ間、私はPOPを作っていました。しかし一週間経ってもなかなか入荷しない。「翻訳ミステリ35冊って何やってんだお前」と言わんばかりに、入荷にストップがかかったのです。いいから黙って発送しなさい、と再度発注した結果、ようやく入荷しました。

 展開場所は自動ドアを入ってすぐの一等地。誰の目にも飛び込んでくる位置の新刊台、その手前にテーブルを出して平積みしました。ターゲット層は40代以上の、社会派小説・映画に馴染みある世代の男女。POPは、推しどころの「読書のプロが大絶賛」をメインに掲げ、他には「twitterで話題」「スウェーデン最優秀犯罪推理小説賞ノミネート」等を。併せてシリーズ2作目の『BOX21』も3冊展開。(『制裁』は在庫切れで泣く泣くカット)

20070331010248.jpg

 ずらりと並んだ『死刑囚』。これは壮観でした。嗚呼、翻訳ミステリをこれだけ平積みできる喜び!そしてあらためて、ダークブルーの装丁と簡潔なタイトル、そして印象深い惹句が書かれた黄色の帯に、「見栄えのする本だなあー」と思ったのでした。

 展開を終えたのが2月28日の夜。さて、いよいよです。ここまでくると、担当者に出来ることはメンテナンスと補充くらいで、他には殆どありません。

 最初の一冊を販売したのは、展開の2日後。レジを担当したスタッフの話では、50代くらいの男性だったとのこと。ビンゴ!!!

 そして驚くことに一週間の売り上げ10冊。正直、何が起こっているのかと思いました。また、一番目に付くところに展開していたから当然と言えば当然なんですが、皆さん立ち止まって下さるんですね。私は一度、60代くらいの女性が、手にとって立ち読みして戻して、ああどっか行っちゃった、と思っていたらまた戻ってきて、一冊買って下さったところを目撃しました。その間、念力を送り続けていたことは言うまでもありません。そしてこの頃、売り上げを加速させるために「東野圭吾が好きならハマる」というPOPを追加しました。

 そんなこんなで、慌てて追加発注している間も売れていきますから、品切れて機会ロスしてしまうんじゃないかと、俗に言う「嬉しい悲鳴」状態です。みんな、どうしちゃったの!?と正直、仕掛け側がうろたえてしまいました。

 前書きの通り、当店はどこにでもある郊外型の書店です。最寄り駅からバスで20分、自家用車よりも大型トラックが多く走り、深夜になると暴走族が爆音を轟かせる国道沿いに建っています。工場が乱立する工業地帯ですが、小・中学校が近く、住宅地の側面もあります。店舗面積は450坪。書籍売場が半分を占めていますが、レンタルDVDや文具、ゲームも取り扱っている為、そちらを目的に来店する人が多いです。

 売上実績は全国的に見てごく普通(やや弱いくらい)です。都内にある同じ系列の強豪店に比べて4分の1も売り上げていません。大ヒット国内ミステリ『告白』でさえ、約一年で売上冊数340冊ですもの。ゆえに当店は悲しいかな、翻訳ミステリの新刊配本数はほぼ0です。スティーヴン・キングの『アンダー・ザ・ドーム』(白石朗訳、文藝春秋)だって入ってこないんだぜ……(ぼそり)

 じゃあ、全て私の売り場のおかげ!私偉い!ってことかというと、そうではないのです。確かに宣伝文句の力というのもあります。実際「東野圭吾が好きなんだけど気に入るかしら」という方も何人かいました。しかし、私は他のコーナーでもこういった展開はしていますし、中には全く売れない本もあります。立ち読みはしてくれるけど、すぐ立ち去ってしまう、そんな小説もあります。じゃあ何が売れた理由なのでしょう。

 それは本そのものの力。序文から読者を、死刑囚しか持ち得ない恐怖に叩き込む、緊張感みなぎる文章です。

「どんな本だろう」と立ち止まらせるところまでは、装丁や帯、書店の売り場等、いろんな力が作用しています。でも、実際買うか買わないかというのは、ぱらりとめくってみて、惹かれるかどうか、それに尽きます。特に今回は、日本人にとって全く無名と言ってもいいスウェーデン作家の、しかも決して安くも薄くもない本であったために、「本の力」の純度が顕著に現れた気がします。

【後編につづく】(後編は本日夕方の掲載となります)

猫谷書店(ねこやしょてん)関東の某所にある書店に勤務する、翻訳ミステリ愛の書店員です。実は書店員と呼ばれるとサブイボが立つ偏屈人。でも通じやすいから使います。好きな作家はボストン・テラン、ヒラリー・ウォー、スティーヴン・ドビンズと挙げればきりがありません。結構<スレイディスト>。ツイッターアカウントは@necoyasyoten