第1回:ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(前篇)

 このほど刊行された『ジーヴスとねこさらい』をもちまして、国書刊行会ウッドハウス・コレクション全14巻が完結となりました。たくさんの読者の皆様にご愛読ご応援いただいたおかげ様と、深く感謝しております。本当にありがとうございました。それでジーヴス・シリーズ完結記念ということで、こちらのサイトにウッドハウスのことを書かせていただけることになりました。全四回の予定でお送りしますので、しばらくの間のおつきあいをよろしくお願いいたします。

 2011年はP・G・ウッドハウス生誕130周年でした。二年に一度開催されるアメリカウッドハウス協会大会、最終夜の10月15日はウッドハウスの130回目の誕生日ナイトで、全米はもとより世界各地から集まったウッドハウス・ファンたちがみんなして130歳のバースデーを寿いだのです。今回はその話をしますね。

 今回のコンベンションは Happy 130th Birthday, Plum! をテーマに、デトロイト支部のピッカリング・モーター・クラブ(米ウッドハウス協会の各州支部はウッドハウス作品にちなんだ支部名を名乗っています。この名前はマリナー氏短編から)がホスト役をつとめ、2011年10月13(木)、14(金)、15(土)、16日(日)の四日間、アメリカミシガン州ディアボーン(ヘンリー・フォードの生まれた町です)のマリオット・ディアボーン・ホテルで開催されました。ウッドハウス協会というのはウッドハウスの作品を愛する人たちの集まりで、アメリカ、イギリスをはじめ、オランダ、ロシアやインドなど世界各地にあるのですが、やはり英米両協会が一番大きくて活動も活発です。米国協会のコンベンションと、英国協会のソサエティ・ディナーは各々毎年交互に開催されるのですが、2011年は米国協会がビッグ・イベント開催の責務を担う年でありました。で、この大会というかコンベンション、全米からウッドハウス愛好家たちが全員集合して何をするのかというと、そのスピリットはウッドハウスを色々なかたちで大いに楽しむことにあるのです。

 わたしは2007年のロードアイランド州プロヴィデンス大会が初めてで今回は三度目の参加なのですが、最初のとき、アメリカのみなさんにあなどられないように、バカにされないようにとびくびくしながら足を踏み入れたことを思い出します。でも行ってみたところでわかったのでした。ここにいる人たちはウッドハウスが好きなだけで、ウッドハウスを愛するたくさんの同志といっしょにクリケット、トーク、寸劇、歌に踊りにコスプレその他いろいろの、ウッドハウス三昧の週末を楽しむためにここに来ているのだと。けっしてなんだこいつはこんなことも知らんのかと、専門家風を吹かしてわたしをあなどるために集まっていたわけではなかったのです。

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 ウッドハウス協会というのは基本的に市井の読書人の集まりで、文学研究者の学会ではありません。学者はけっこう多いのですがみな法学者や経済学者など、他分野の研究者がほとんどです。ウッドハウスは研究の対象とされるよりも楽しみのために読まれてきたということでしょう。したがって非常に敷居の低い、とても楽しい大会なのです。

(写真:左から、筆者・現会長・そのご夫人・現副会長)

 大会受付開始は13日より、同夜は地元のカフェで会員フォーク歌手テリー・キッチンと米ウッドハウス協会会長ゲイリー・ホールによるコンサートという特別企画もあったため、この日に現地入りする人が多く、ディアボーンの地に続々と全米のウッドハウジアンたちが集合する様には胸躍るものがありました。わたしはこの前々日にニューヨークに着き、友達のウッドハウス・コレクターのジョン・グレアムのお宅にご厄介になってロングアイランドにあるウッドハウスのお墓にお参りした(この話はいずれまた)後、13日に現地到着しました。タクシーを降りてホテル前でハグ、ロビーでハグ、フロント前でハグ、エレベーター前でハグハグハグと、二年ぶりに会った愛情深きウッドハウス・ファンの皆さんとの再会挨拶はなかなか濃厚で忙しいのです。ロビーのあちこちにうれしい再会を喜び合う声が響き、こちらは今回初めて参加する私の友達よろしくねこちらこそどうぞよろしくといった新しい出会いと、誰々はまだ着かないの?誰々にはもう会ったよ、誰々は明日来るって言ってたといった情報がここかしこで飛び交う、多幸感に満ちたわくわくする時間です。

 木曜日の晩はみんなで車に乗り合わせて地元っ子ご自慢のホットドッグ・ショップにて晩ごはん。そこからコンサート会場であるカフェへ。なにしろカフェだからアルコールは売っておらず、ごくクリーンなコンサートでありました。ボストンからシカゴ経由で来たテリーは、荷物ぜんぶ到着しない+デトロイトへの連絡便が出ないという二重の不幸に見舞われ、シカゴからあわてて車で駆けつけてるところだから間に合わないかもとの前情報があり、じゃあわたしたちが歌ってつないでるしかないかしらねえ、などと言い合っていたのですがさいわい5分前に本人到着で無事コンサート開始。ここで初めて再会する仲間もいて、うれしい最初の一夜でありました。

 翌14日の午前中は雨で、地面がぬかるんだため恒例のクリケット試合は屋外開催不能となり、ホテル内の一角を使って特殊ルールにてお座敷クリケットとなりました。だったらいいやと、わたしは友達五人と車に乗りあわせてダウンタウンのデトロイト美術館へ。ディエゴ・リヴェラのフレスコ画の描かれたホールが有名なのですが、アメリカの蟹工船アートという感じでした。

 ホテルに戻ると英国ウッドハウス研究界の大御所、みんなのアイドル、ノーマン・マーフィーとエリン・ウッジャー・マーフィー夫妻がご到着でロビーでたくさんの人たちに囲まれていました。わたしはもううれしくってうれしくって。まずエリンにハグして再会を喜び合い、ノーマンに知らんぷりしていたら、ノーマン(78歳)はわたしのことを後ろから抱き上げてぶんぶん振り回してくれました。やっぱり大好きノーマン。わたしは世界一のノーマン・マーフィー・ファンを自称しているので、P・G・ウッドハウスの作品群と共にこの方の業績を日本のウッドハウス読者のもとに送り届けることをわが天命と心得ているのです。ノーマンのヴィジュアルと行動様式は勝田文さんの『プリーズ、ジーヴス(1)』の巻末おまけ漫画にかなり正確なので、そちらをご一読いただけると幸いです。

(26:10くらいからノーマン・マーフィー登場。その2分前くらいに勝田文さんの漫画がちょこっと紹介されます)

 その晩はみんなしてカジノへ。今世紀になってからデトロイト市は景気回復策としてカジノをオープンしているのです。正確に言うと、カジノのあるホテルでギリシャ料理を食べた一夜でした。ちょっとカジノ覗いてきてもいいかと訊いてもノーマンが「分別ある尊敬すべき三児の母が何を言う」と許してくれなかったのです。スポーツ心を理解しないで何のウッドハウス・ファンかという気もしますが、彼らは実に善良でまじめな人たちなのですね。

 それでいよいよウッドハウスの誕生日15日は、コンベンションの白眉たるウッドハウス研究報告会議の一日。朝一番の報告者はカリフォルニア大学サンフランシスコ校で学習困難児の治療・研究にあたる精神科医ポール・アブリンコ。お題は『個々児童の心理』。むろんジーヴスが精通している「個々人の心理」の子供版ということです。ポールは三歳と一歳のかわいい坊やのベタベタなイクメンであることが周知なので、このテーマが振られたのでしょう。

 ポールの報告内容は、ウッドハウスの諸作品において子供たちは常に醜く邪悪な存在として描かれるが、それはウッドハウスの幼少期に形成された自分は醜く邪悪で誰にも愛されていないという自己観念が投影されているからで、無意識裡に作品中でそうした傷を癒しているのだというような話で、三歳で親許を離され植民地香港からイギリス本国に送られて教育を受け、長期休み中はたくさんのおじさんおばさんの間を転々としたウッドハウスの生い立ちがどんなに不幸だったか、常人ならばこんな幼少期を過ごしたら自分の能力をこれほど開花させることができぬまま終わるものだが、そうでなかったところがウッドハウスの天才だったと締めくくるものでした。最後に愛息P・Jくんが「ハッピーバースデー、プラミー!」と歌ってケーキのロウソクを吹き消す愛らしいビデオが映って報告終了。わたしの感想は、P・Jくんのビデオが一番よかった、というものです。

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 次はニュージャージー州ラトガース大学経済学部長、ジョン・グレアムによる『ジーヴスの諸相』。わたしが大会前にお宅にお邪魔させていただいたのはこの方です。ジョンはダストジャケット付状態最高ウッドハウス初版本イギリス版とアメリカ版各92冊をぜんぶコンプリートしているコアなコレクターなのですが、本の表紙や雑誌掲載時のジーヴス・イラストを論評する今回の報告のためにウッドハウス作品の掲載された『サタデー・イヴニング・ポスト』その他雑誌コレクションも始めてしまい、蒐集の無間地獄に堕ちている模様です。紹介されたイラストは膨大なコレクションのほんの氷山の一角。投下された資本と労働の甚大さを感じさせる経済学者による精緻な報告でした。

 続いて今大会の主催者、エリオット・ミルシュタインによる『バーティー・ウースターの車は何だったか?』なにしろ自動車都市の大会ホストですからやはり車です。エリオットはジーヴス/バーティーおよびそれ以外の数多くの作品に頻出する「ツーシーター」について考察したのですが、その重大な例外として、バーティーが四人乗り車を運転していることが示唆されている場面、すなわちバーティーが運転し、ジーヴスが助手席に乗り、後部座席にサー・ロデリックとビッフィーが座って大英帝国博覧会に向かう箇所の存在(『それゆけ、ジーヴス』所収「旧友ビッフィーのおかしな事件」)を指摘し、その点について教示を得たとして勝田文『プリーズ、ジーヴス(2)』にアクナレッジして該当イラストを映し出してくれました。勝田画伯の絵の正確さもすごくほめてくれました。とてもうれしかったです。

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 お次はイギリスのウッドハウス研究の大家にしてコレクターのトニー・リングによる『詩神への求愛(Courting the Muses)』。これは求愛と裁判所のお洒落なダブルミーニングで、要するにウッドハウス作品に登場する法廷シーンを集めた報告でした。ペンシルバニア州立大学家族法教授ボブ・レインズが黒い法衣をまとって登場し、鼻メガネ越しに聴衆をぎらりとにらみつけ、判事のセリフを朗読する役をやってくれました。このボブがよくよく自分の役目を心得ている人で、様式性といい貫禄といい、まことに立派な裁判官ぶりでありました。

 ウッドハウスの小説には法律家が沢山登場するのですが、ファンの中にもいったいどうしてというくらい法律家がたいへん多いのです。ボブ夫妻は弁護士、今回協会長に選出されたケン・クリーベンジャーもご夫妻で裁判官、副協会長になったカレン・ショッティングは弁護士、その他にも法学者や弁護士が目白押しなのはどういうわけでしょう。そういえばウッドハウスのお父さんも香港の裁判官でした。お孫さんも英国上位裁判所の元裁判官なのですよ。アメリカ合衆国最高裁判所首席裁判官のジョン・ロバーツも熱烈なP・G・ウッドハウス・ファンであることを公言しています。興味深いことです。

〔第2回:ウッドハウスさん、130回めの誕生日おめでとう!(後篇)につづく〕

森村たまき(もりむら たまき)

1964生まれ。中央大学法学研究科博士後期課程修了、刑事法専攻。国書刊行会より〈ウッドハウス・コレクション〉〈ウッドハウス・スペシャル〉刊行中。ジーヴス・シリーズ最終巻『ジーヴスとねこさらい』が刊行されたばかりです。ツイッター・アカウントは @morimuratamaki です。

当サイト掲載、森村たまきさんによる「初心者のためのP・G・ウッドハウス入門」はこちら 

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