さて、ピーター卿の成長を追う試みも第二回である。今回はシリーズ第二作、『雲なす証言』(1926年、邦訳創元推理文庫、浅羽莢子訳)である。

◆前期ピーターのキャラの確定

 第一作『誰の死体?』では、いささか寄せ集め感があり、ぎくしゃくしていたピーター卿と彼の周囲の人々のドラマは、この『雲なす証言』でようやく、一定の安定感を得たように感じられる。

 あいかわらずピーター卿は第一作に続いて喜劇役者の演技(と言うか、キャラ作り)を続けており、それは冒頭、兄であるデンヴァー公爵がなんと、妹メアリの婚約者を殺したという容疑者で逮捕された、という衝撃のニュースを旅先で知ったときの、他人事のような態度からも窺える。「まあ、だからといって朝食を抜くわけにもいくまい」と言い放ち(バンターもバンターで、ピーターの探偵活動に反対だった兄公爵の逮捕に『何かに興味を持つには、個人的に関わり合うのがいちばんと申しますから』とのんびり答えている)、公爵不在のリドルズデール荘へ到着したときの、鮮やかな登場スタイルと流れるような長台詞も、これまた実に芝居めいている。

 しかし、二作目になってセイヤーズの筆もこなれてきたのか、ピーター卿の周囲の人々の描写は、実に簡にして要を得ている(多少の戯画化はあるだろうが)。前作では単に「うすぼんやりした男」の印象しかなかったフレディ爵子は、あまり頭はよくないながらもそれなりに愛すべき性格を持ち始めているし、ピーターの天敵である公爵夫人ヘレンについては「首も胴も長い女で、髪の毛と子供たちをいつもきっちり押さえ込んでいる」に始まり、実にまあ、悪人ではないのだろうけれどあまりお付き合いしたくはない女性にできあがっている。また、リドルズデール荘に集まったお客たちの描きわけも、よけいな書き込みはせずに、会話とそれぞれの言動のみで各人物の性格をくっきりと浮き上がらせている点、たいそう見事だといえる。

 そして私がハリエットの次に好きな女性キャラ、先代公妃もこの二巻で、おっとりしているようでいて、実に鋭い探偵力の持ち主である老婦人として完成している。常に泰然として落ち着き払い、とりとめのない話をしているようでありながら、いざという場合にはずばりと真実を見抜く、その眼力はまさにピーターの母上である。私も、年を取ったらぜひ彼女のような素敵な老女になりたいものだと思っているのだが(いや身分は日本では無理としても、少なくとも中身は)それはまあ別の話として。

 そうした確たる人物像に囲まれてか、道化役者めいたピーターの言動も一巻よりはいささか抑えめになり、ここに、シリーズ前期における『ピーター・ウィムジイ』像が完成したといってよい。

 個人的には、この『雲なす証言』が、他ならぬ「ピーターの家族の物語」であったことが、ほかの何よりもピーターという人格を、セイヤーズの内部に構築していく役に立ったのではないだろうか。

 キャラクターを造る際、その人物の家族構成、生育歴、友人関係、趣味等々を箇条書きにしてみる、という方は作家の中にもおられると思う。物語を書き進めるうち、ピーターを囲む家族と、その友人たちを描き込むことで、『ピーター』という一人格が、セイヤーズの中で、背景から彫りだすように刻みあげられていったのではないか。

 前作『誰の死体?』は、ピーターにはまったく無関係な(まあ知り合い、程度の仲ではあるが)場所で起こり、それに彼が首をつっこむ形で進行した。まあ、言ってみれば、要らぬおせっかいであり、ピーターが手を出す必要はみじんもなく、べつだん風呂の中で発見された死体もその関係者も、ピーターにとっては他人である。「真実を見いだす」という趣味がなければ、一瞥して通りすぎてもよい事件だった。

 だが、この『雲なす証言』は、ほかならぬピーター自身の実兄が容疑者であり、被害者は実妹の婚約者である。妹メアリは何故か寝込んで証言を拒否、その影には謎の何者かの影がさす。これはどうあっても首をつっこんで、兄を助け出さなければならない。

 謎を解いて真実を見つけ出すことが何よりの目的であるピーターと、デンヴァーを無罪に持ちこむことができればそれでいい弁護団とはときおり対立することもあるが(法廷弁護士サー・インピィ・ビッグズとのやりあいは笑える)、基本的にはピーターは兄を助けるために奔走し、せっせと探索し、その中で、それまであまり交流のなかった妹メアリのことを知り、兄デンヴァー公爵のことを知り、そして、おそらくは自分自身という性質を(セイヤーズの頭の中で)発見していく。

『雲なす証言』はセイヤーズにとって、「ピーター・ウィムジイ」という人格を、とにもかくにも自分の中にきっちり組み立てるための、物語のかたちを取ったキャラクター構築の過程ではなかったかと、私は考えるのである。

『雲なす証言』を可能にした、セイヤーズのキャラ描写の巧み

 証言をするには、証言をするための人物が必要である。ピーターが「秘密や駆け落ちを抱えた人間が何ダースもそこらじゅう走り回っていて──」と妹をからかい、まさに次から次へと出てくる嘘の証言やつくりごとや隠し事に目をくらませられるこの事件だが、重要なのは、嘘をつく人間には嘘をつくだけの理由が必要であり、隠し事や駆け落ちをする人間にもそれはまた同様である、という点だ。

 この重要性が、セイヤーズにピーター以外の登場人物を色濃く書き込ませるきっかけになったのではないか。メアリはなぜ何度も嘘をついたのか。そしてどのようにして真実を話すに至ったか。デンヴァー公爵が頑固に真実を口にしないのは何故か。その等の真実を知るはずの人物が容易に出てこようとしない理由は。死んだキャスカート青年がその結末に至った真の理由とはなんだったのか。

 これらすべては、それぞれの人物の人格や感情が、納得できるかたちで描き込まれていなければ成立しない。おたがいの抱える秘密の絡みあった糸をほぐしていくには、それぞれが秘密を抱えることになった過程と心情を理解せねばならない。

『雲なす証言』の真相は、一口で言えば実にかんたんなことである。その答えは早い段階でさりげなく示されているのだが、周囲を取りまく人々のさまざまな思惑と事情が「雲なす証言」を生み、ピーターを惑わすことになる。

 そしてそのどれひとつとっても、前もってその人物についての性格描写をきちんとしておかなければ、生みだされ得ない事情であり思惑である。現公妃ヘレンのうんざりするような堅物ぶりは、デンヴァーが頑固に口を閉じつづけた理由に直結しているし、妹メアリが病気のふりをして証言を拒み、さらにはパーカーに嘘の自白をしようとした理由も、彼女の境遇と内面の鬱屈を理解していなければ出てこない。

 このあたりのセイヤーズの手つきはまことに巧みで、メアリの嘘を本当らしくした一要素が、前もって描き込まれていたリドルズデール荘の客の一人の、押しつけがましく詮索好きな性格だったりする(「うん。パーカーでさえその点は鵜呑みにした。そうだったね?」「ああ、全くだ」パーカーは陰気に答えた。P.212)

 そして嘘をつく理由から解放されたメアリは、それまでの子供っぽい自分を思い知らされ、唇をかんでうつむくことになるのだが、このあとのメアリとピーター、それにメアリに一目惚れしてしまっているパーカーのやりとりは、実にほほえましい。世間知らずな理想と甘さ、若さゆえの反抗心から、間違いを犯してしおれ返るお姫さまに向けた、セイヤーズの優しい視線が窺える。

 同時に、なにひとつ行動を起こすこともなく、口ばかり威勢のいいことを並べ立てる文学的共産主義者(とでもいうべきか)への、皮肉の効いた視線もおもしろい。ソヴィエト・クラブや、そこに集まる人々の、これまたけっして悪い人ではないのだろうが、苦笑してしまわざるを得ないこっけいさ(ピーターを案内するタラント嬢はほんの端役だが、それでもなかなかセイヤーズのピリッとした批評眼を感じさせる女性に描かれている)。のちの作に登場するボヘミアンたちの集会も加えて、当時のロンドンの若い文化人たちの活気を感じさせる部分である。

 これらがいささか唐突な感のあった『誰の死体?』の戦後世相の挿入にくらべてはるかに自然にストーリーに組み込まれているのは、もちろん二作目となってセイヤーズの小説技術があがったこともあったろうが、寄せ集めた材料で無難に組み立てた『誰の死体?』から、自ら創作した人物たちの絡み合いによって自然にストーリーを動かす形へ、『雲なす証言』が移行した、という点にもあると考える。

 もつれ合った証言の雲を一枚ずつはがしていくためには、まずその雲がどこから出てきて、どういう理由でどこへつながっているのか知る必要がある。そのためにはその雲を出している人物を知り、その背景と理由を理解し、それによってようやく証言を消してその下の真実を覗くことができる。

「ドラマはエピソードの繋がりではなく、それぞれの人物の内面にかかえた葛藤である」とは前回も書いたことだが、この『雲なす証言』は、まさにその「個人の内面の葛藤というドラマ」が絡みあって真実を隠し、それらをひとつひとつ解決していくことによって、最後の大きな真実にたどりつく、という、セイヤーズの基本的スタイルをはじめて確立した作品であるといってよいと思う。

◆セイヤーズの暗号趣味について

 ところでセイヤーズの暗号好きについて指摘した方が以前にいらっしゃるのかどうか、申し訳ないことに私はよく知らないのだが(そんなものはすでに周知の上だ、ということでしたらすみません)、セイヤーズの作品にしばしば暗号やパズルが登場することは、指摘しておいてもいいと思う。

 すでに一作目『誰の死体?』でも、ピーターが真実を直感する場面において、特に必要もないのに「SCISSORS(はさみ)」という英単語を使ったアナグラムめいたたとえを、文庫版まるまる一頁を費やして、長々と持ち出してきている(創元推理文庫版P182-184)。

 そしてこの『雲なす証言』では、「吸い取り紙に残ったペンの跡からもとの文章を予測する」という謎がポイントとなっている。これもまた、一種の暗号解読ゲームといってさしつかえあるまい。断片的に残ったインクの跡は、まさに暗号である。それが読み解かれたとき、たちまち誰がそれを書いたかが確定し、そこにすでに提示されていたヒント(未読の方のため、この点は伏す)が加わった瞬間、一気にすべての謎は解ける。

 このあと、特に後期作品になると、セイヤーズの暗号好きは爆発する。『死体をどうぞ』はまさに暗号解読が話のキモになっているし、『殺人は広告する』における「どうやって麻薬売買の場所を売人たちに伝えているのか」の謎も、一種の暗号ゲームになっている。そして大作『ナイン・テイラーズ』では、とある特殊な技術を使った壮大な暗号文の解読が持ち出される。短編でも、『因業じじいの遺言』(創元推理文庫『顔のない男 ピーター卿の事件簿?』宮脇孝雄訳収録)で、巨大クロスワードが登場する。

 コピーライター時代のセイヤーズの経験を基にした『殺人は広告する』では、さぼっているようで不思議に仕事をしているロンドンの広告会社のコピーライターたちのようすが都会小説のようにいきいきと描き出されているが、彼らもまたあいまあいまに、クロスワードに夢中になっているようすが窺える。

 限られた字数でコピーを作り、言うべきことと洒落や語呂合わせ、引用、図版に商品名を狭いスペースにむりやり詰め込むコピーライターの仕事は、セイヤーズにとって言葉を使ったパズルゲームのようであったのだろうか。最後の方では母への手紙で「もうこんな仕事はうんざり、言葉なんて見るのも嫌」と嘆いていたというセイヤーズも、身に染みついたパズル好きは捨て去れなかったのかもしれない。

 あるいは、引用などをはさみつつ、簡潔かつ洒落た一言ですぱっと人物を表現していくセイヤーズ独特のスタイルも、こうした「短い言葉で最大限に面白く表現する」ことが要求されるコピーライター時代につちかわれたのかもしれないと思うと楽しい。もちろん、そればかりに理由を求めるのは間違いのもとかもしれないが。

五代 ゆう(ゴダイ ユウ)

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 ものかき

 blog: http://d.hatena.ne.jp/Yu_Godai/?_ts=1286988042

 読むものと書くものと猫を与えておけばおとなしいです。ないと死にます。特に文字。

〔著作〕

『パラケルススの娘』全十巻 メディアファクトリー文庫/『クォンタムデビルサーガ アバタールチューナー』ハヤカワ文庫JA全五巻/『骨牌使いの鏡』富士見書房 等

 書評をしていく予定の本:活字中毒なので字ならばなんでも読みます。節操なしです。どっちかというと翻訳もの育ちですが日本の作家ももちろん読みます。おもしろい本の話ができればそれでしあわせなのでおもしろいと感じた本を感じたまんまに書いていこうと思います。共感していただければ光栄のきわみです。

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