H・R・ウェイクフィールド、あるいは最後の怪奇小説家

 ジョン・ディクスン・カー『蝋人形館の殺人』も無事刊行となり、今月の当編集室はH・R・ウェイクフィールドの怪奇小説集『ゴースト・ハント』(仮題。創元推理文庫近刊)に取りかかっています。

 カーの探偵小説にもいろいろと怪談じみた話が出てきますが、「めくら頭巾」などわずかな例外をのぞくと、その多くは怪奇ムードを盛り上げるための趣向にすぎず、謎はすべて合理的に説明されます。一方、ウェイクフィールドの作品に登場するのは、本物の幽霊、怪異、魔術です。怪奇小説専門出版社アーカムハウスの社主オーガスト・ダーレスは、この作家について、「レ・ファニュが創始し、M・R・ジェイムズにおいてその頂点に達したゴースト・ストーリーの伝統を最後に代表する大家」と述べています。

 M・R・ジェイムズは探偵小説史におけるドイルのような位置を怪奇小説において占める作家です。『M・R・ジェイムズ怪談全集』全2巻(創元推理文庫)は、伝統的な英国怪奇小説ファンの聖典ともいうべき本で、その作品は幽霊、魔法、妖怪、吸血鬼、民間伝承など、怪奇小説のさまざまなテーマを取りあげ、時代的にも19世紀末から1920年代にかけてドイルのホームズ譚とほぼ雁行するように執筆されています。

 ジェイムズ最後の作品集『猟奇への戒め』(25)の3年後、1928年にH・R・ウェイクフィールドは第一短篇集《They Returns at Evening(彼らは夕暮れに帰る)》を上梓します。川辺に建つ古い館を借りた画家親子を襲う緑色の怪異を描いた「赤い館」や、実在の魔術師アレイスター・クロウリーをモデルにした呪術小説「“彼の者現れて後去るべし”」を収めたこの作品集で、ウェイクフィールドは「M・R・ジェイムズの後継者」として一躍注目を集めました。

 1928年といえば、いわゆる探偵小説「黄金時代」の真只中。クリスティー、セイヤーズ、ヴァン・ダインらが傑作を発表し、翌年にはクイーン、2年後にはカーがデビューを控えています。論理の勝利を謳いあげる謎解き探偵小説の黄金時代は同時に、アルジャノン・ブラックウッド、E・F・ベンスン、H・P・ラヴクラフトら、恐怖の巨匠たちが君臨し、非合理の世界を描いた怪奇小説の黄金時代でもありました。(本書の訳者のひとりでもある南條竹則氏の『恐怖の黄金時代——英国怪奇小説の巨匠たち』[集英社新書]を、この時代に関する楽しい読み物としてお勧めしておきます)。

 名探偵ポアロの作者が一方で『死の猟犬』収録作のような純然たる心霊譚を書き、セイヤーズがその有名なアンソロジーで怪奇小説に大きな頁を割いていたように、探偵小説の合理の世界と怪奇小説の非合理の世界は、実は表裏一体であったように思われます。クリスティーのように、ときに怪奇小説に手を染めた探偵作家は少なくないのですが、逆に怪奇小説プロパーと思われているウェイクフィールドにも、三冊の長篇探偵小説があり、なかでも《Hearken to Evidence(証言に耳をすませ)》(33)は毒死した貴族の妻が殺人罪で逮捕され裁判となる堂々たる法廷ミステリで、大いに好評を博したといいます。

 レ・ファニュ、M・R・ジェイムズとつづく英国怪奇小説の正統を継ぐ本格派として登場したウェイクフィールドは、雪山に出没する伝説の怪物を描いた「ケルン」、幽霊屋敷訪問のラジオ番組のリポーターが遭遇する様々な怪異を描いて鬼気迫る「ゴースト・ハント」(宮部みゆき氏のお気に入り)、謎の日本人がもちこんだ詩集出版にまつわる怪談「“彼の者、詩人なれば……”」、鄙びた農村に隠されたフォークロア的恐怖に取り組んだ「最初の一束」など、一作一作趣向を凝らした恐怖度の高い傑作を発表していきます。

 しかし、謎解き探偵小説が時代の移り変わりとともに変容を迫られていったように、ウェイクフィールドの怪奇小説も、第二次大戦を経て、40年代、50年代と進むうちに大きな壁に突きあたります。ウェイクフィールドは本質的に幽霊を「信じる」人でした。怪奇小説第一作の「赤い館」が彼自身の実体験をもとにしていたように、彼の描く恐怖は超自然の存在を「信じる」者の恐怖でした。その恐怖を新しい時代の読者に向かって説得力をもって描くことに、彼は次第に困難を覚えるようになります。ストレートな幽霊譚、怪異譚の多かった初期作から、後期になると、極限状況におかれた人間の妄想、妄執の具現とも取れるような怪異、心理的恐怖の色が濃くなっていきます。

 それはL・P・ハートリー(『ポドロ島』)やロバート・エイクマン(『奥の部屋』)のモダン・ゴースト・ストーリーの世界に接近するものでしたが、彼はアーカムハウスから上梓した最後の短篇集《Strayers from Sheol(冥界より彷徨い出し者)》(61)の巻頭に、「さらば怪奇小説!」という序文を書いて、怪奇小説に別れを告げてしまいます。ダーレスが「最後を代表する大家」と呼ぶ所以でもありますが、スティーヴン・キングが『キャリー』でデビューするのが1974年。新しい時代がすぐそこまで来ていました。

 本書の掉尾を飾る「蜂の死」は、ウェイクフィールド没後にダーレスが編んだアンソロジーに初めて収録された、おそらく彼が最後に書いた怪奇小説です。高名な女性歌手が毎夜悪夢にうなされるところから始まるこの短篇は、伝統的なゴースト・ストーリーからは明らかに逸脱していますが、ウェイクフィールドが最後まで怪奇小説の新しい可能性を模索していたことをうかがわせます。

 本書『ゴースト・ハント』(仮題)は、「赤い館」から「蜂の死」まで、三十年余にわたる「最後の怪奇小説家」の歩みを一覧できるよう心がけました。『赤い館』(国書刊行会 1996)収録の9篇に、「目隠し遊び」「見上げてごらん」「チャレルの谷」など9篇を大幅増補、全18篇を収録した決定版ウェイクフィールド傑作集です。

藤原編集室(ふじわらへんしゅうしつ) 1997年開室、フリーランス編集者。《世界探偵小説全集》《翔泳社ミステリー》《晶文社ミステリ》《KAWADE MYSTERY》と翻訳ミステリ企画をもって各社を渡り歩く。いま作りたいのはレ・ファニュ、ベンスン、ハーヴィー、オニオンズらを収めた《怪奇の本棚》。大家さん募集中。ツイッターアカウントは@fujiwara_ed

本棚の中の骸骨:藤原編集室通信