或る日の編集室——業務日誌より

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『少年少女昭和SF美術館』(平凡社)の収録予定本が三箱、Oさんから届く。昭和20〜50年代のSF児童書、最終的には400点前後になるか。早速、スキャナーにかけて画像データ化にとりかかる。星を散りばめた宇宙空間に銀色に輝く流線型のロケット、奇怪な宇宙生物、未来都市とロボット——昭和の子供たちの夢と冒険(それに恐怖も)がいっぱいに詰まった一冊になりそう。

×月×日

東京創元社のFさんからH・R・ウェイクフィールド『ゴースト・ハント』重版決定の連絡が入る。忽ち重版。何度聞いても好い言葉だ。クラシックな怪奇小説が新しい読者を獲得しつつあることに確かな手応えを感じる。ミステリの場合も同じだが、自分が面白いと思う物を出していけば読者はついてくる、ナイーヴにすぎるかもしれないが、そこだけは愚直に信じている。この機に乗じてというわけではないが、N氏が意欲を見せていた女性作家の怪奇小説集の企画書をFさんに送る。実現すれば女性の深層心理を怪談の形式で描いた凄味のある一冊になるはず。コッパードやエイクマンの増補版、《怪奇の本棚》シリーズも、もうすこし案を練りたい。

×月×日

『完訳 金枝篇』(国書刊行会)の原稿整理。今度の第6巻は「穀物と野獣の霊」。人類学の大古典だが、奇怪な神話・伝説・習俗が満載で怪奇小説のネタ帳にもつかえそう。

×月×日

アンナ・カヴァン『アサイラム・ピース』(国書刊行会)の進行状況をYさんにメールで確認。半世紀以上前にカヴァンが描いた絶対の孤独と終末の予感は、今、ぼくたちの世界を覆いつくそうとしている。あの「氷」のように。

×月×日

レオ・ペルッツ『夜毎に石の橋の下で』(国書刊行会)の見本を、新宿の喫茶店で翻訳者のTさんにお渡しする。本書を手始めに《レオ・ペルッツ・コレクション》を目論むTさんと、次は神聖ローマ帝国復興計画とトンデモ科学が結びついたあの怪作か、ナポレオン軍侵攻中のスペインを舞台にした歴史物で、「プルーストの形式で書かれた幻想小説の完璧な例」とボルヘスが絶賛したあの作か、と相談しているうちにいつのまにか忘れられたファンタジー作家J・B・キャベルの話に。『夢想の秘密』を初めとする「マニュエル伝」年代記の面白さに熱弁をふるうTさんの話を聞いていると、なんだかいけそうな気がしてくる。こういう時がいちばん楽しい。こんな本を出したい、こんな本があったらいいな、という思いつき(いっそ妄想と言ってもいい)に形をあたえるのが、編集という仕事だと思うのだ。(帰宅して『夢想の秘密』を開いたら、エドマンド・ウィルソンがキャベルの愛読者だった、という話を池澤夏樹氏が月報に書いていた。メッタ斬りエッセー「誰がロジャー・アクロイドを殺そうが」で全探偵小説ファンを敵に回したウィルソン先生だが、その眼力は確かだ)

Tさんの次の仕事はドイツ語圏の名探偵物らしい。これも楽しみ。

×月×日

エリザベス・シューエル『ノンセンスの領域』(白水社)の初校が出る。言葉遊びの厳密なルールが支配するノンセンスの世界では、あらゆるものが意味を失って単なるモノ、記号と化す、とシューエルは言う。童謡の歌詞のとおりに、一人また一人と数学的正確さで殺されていくクリスティー『そして誰もいなくなった』を読み解く鍵がここにある。

×月×日

創立40周年記念フェアを準備中の「国書刊行会」特集を組むというH誌から執筆依頼。原稿を書くのは苦手なのだが、この仕事で大切なことはすべて国書刊行会で教わった(倉庫での本の積み方とか、DMの封詰めテクニックとか、その後発揮する機会のない技術も多いのだが)身として、これはお受けしないわけにはいくまい。

×月×日

英国犯罪史上に名高い「ラトクリフ街道の殺人」を題材にした歴史ミステリ、ロイド・シェパード『闇と影』(ハヤカワ・ミステリ文庫)を読みはじめる。P・D・ジェイムズが警察局時代の上司クリッチリーと組んで書きあげた『ラトクリフ街道の殺人』(国書刊行会)は、綿密な史料調査によって19世紀初の英国社会と事件の展開に新たな光をあてた傑作ノンフィクションだったが、今度の小説版はどうだろう。

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ジョン・ディクスン・カー『夜歩く』の件でWさんに連絡。『蝋人形館の殺人』につづくバンコラン・シリーズ新訳第二弾。《世界探偵小説全集》の完結後、クラシック・ミステリ出版は次のステージに入ったと個人的には考えている。《全集》その他で開拓した読者をベースに、さらに裾野を広げるような方向を模索していきたい。

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というわけで10回にわたってお送りしてきた「藤原編集室通信(出張版)」も今回が最終回。こうやって企画を立てたり、編集したり、本が出来たりを繰り返しているうちに、あっというまに一年が過ぎてしまいました。シリーズ物を手がけていた頃に比べると、ミステリの比重が軽くなってきてはいますが、いまの自分にはこのくらいがちょうどバランスがよいようです(『ノンセンスの領域』などの人文書企画も、どこかでミステリと繋がってはいるのですが)。まだ発表段階にはありませんが、古典探偵小説の新訳企画も数点、水面下で進行中。これもひとつずつ形にしていきたいと思っています。どうぞお楽しみに。

藤原編集室(ふじわらへんしゅうしつ) 1997年開室、フリーランス編集者。《世界探偵小説全集》《翔泳社ミステリー》《晶文社ミステリ》《KAWADE MYSTERY》と翻訳ミステリ企画をもって各社を渡り歩く。どのクラスにも必ず一人はいた元「怪獣博士」としては、この夏、〈大伴昌司の大図解展〉と〈特撮博物館〉は外せない。そういえばメトロン星人が住んでいたアパートは実家の近くにあったらしい。ツイッターアカウントは@fujiwara_ed

本棚の中の骸骨:藤原編集室通信