S・S・ヴァン・ダインになった男

 S・S・ヴァン・ダイン。

 かつてこの名前は魔法のような響きを持っていました。『グリーン家殺人事件』『僧正殺人事件』で探偵小説史に不滅の金字塔を打ち建てた、偉大なる本格ミステリの巨匠。本名ウィラード・ハンティントン・ライト。ハーヴァード大学大学院で文学を修め、パリとミュンヘンで絵を学び、文芸批評と美術評論の分野で活躍。執筆による心身の酷使により重度の神経衰弱にかかり、療養中の退屈をまぎらわせるため手に取った探偵小説に興味を惹かれて、この分野の本、二千冊を集めて二年間読みふけった。その研究の成果を三冊の探偵小説のプロットにまとめて知人の編集者にもちこみ、出版されるやたちまちベストセラーに——という成功物語は、「一人の作家に六つ以上の優れた探偵小説のアイディアがあるとは思えない」という有名な言葉とともに、ミステリ・ファンなら誰もが知るエピソードでした。

 これらはみな、ヴァン・ダイン自らが執筆した自伝的エッセーに書かれていたもので、これまで多くの解説者によって繰り返し引用、紹介されてきました。しかし、そこで語られた「事実」が、真っ赤な嘘とまではいわないにしても、大幅に脚色され、捏造された逸話を含んだものであったことを明らかにしたのが、今回、ようやく日本版を出すことができたジョン・ラフリー『別名S・S・ヴァン・ダイン ファイロ・ヴァンスを創造した男』(清野泉訳、国書刊行会)です。

 原著は1992年刊。大戦間のアメリカで爆発的人気を獲得し、社会現象にまでなったミステリ作家の知られざる生涯を、作家の書簡や関係者の証言など、丹念な資料調査によって掘り起こし、アメリカ探偵作家クラブ賞(評論評伝部門)を受賞した労作です。日本ではクイーン、カー、クリスティーと並ぶ本格派の巨匠として長く遇されてきたヴァン・ダインが、本国アメリカではとっくの昔に忘れられた作家になっていた、という事実に衝撃を受ける読者もおられるかもしれません。

 しかし、伝記作者ラフリーの狙いはもちろん、ヴァン・ダイン神話の崩壊や単なる内幕暴露ではありません。「自分の小説よりずっと興味深い人生を送ることが、ウィラード・ハンティントン・ライトの宿命だった。ファイロ・ヴァンスのめざましい偉業でさえ、冒険と試練に満ちたウィラード自身の豊富な経験には及ばない」という言葉どおり、ここではアメリカ文学を自らの手で革新するという大いなる野望を抱いた青年が、文芸誌《スマート・セット》の編集長に抜擢されて単身ニューヨークに乗り込み、奮闘をつづけながら、やがて夢破れ、八方ふさがりの状況におちいって、最後の賭けとして探偵小説創作に取り組むまでの姿が鮮やかに描かれています。のちに弟の画家スタントンは、「兄にはバルザックの小説の主人公のようなところがあった」と回想していますが、文学的野心を抱いた才能ある青年が大都会へ出て、さまざまな経験をしながらやがて幻滅にいたる、「S・S・ヴァン・ダイン」誕生までの波瀾万丈の物語は、たしかに一冊の優れた小説を読むような興奮をかきたてます。

 さらに麻薬中毒や、妻子への冷たい仕打ち、女性問題、その特異な性格が招いたさまざまなトラブルなど、作家がその自伝的エッセーから慎重に排除した暗い側面にも光をあて、また、ロサンゼルスの記者時代に間一髪で爆弾テロをのがれた有名な逸話の真相や、第一次大戦中にドイツのスパイに間違われて警察沙汰になった話など、興味深いエピソードにも事欠きません。モダニズム美術をアメリカに根付かせようとして奔走した1910年代後半の活躍は、アメリカ美術史の重要な一コマでもあります。

 探偵小説を書きはじめる前、W・H・ライトは仕事に行き詰まり、多額の借金を抱えて、どん底の状態にありました。名探偵ファイロ・ヴァンス・シリーズの成功ですべては一変し、莫大な印税と映画化権料によって「S・S・ヴァン・ダイン」はマンハッタンの豪華なペントハウスで贅沢三昧の生活を享受するようになります。(巨万の富を手に入れた後のヴァン・ダインについて著者ラフリーは、F・S・フィッツジェラルドの作中人物のようだ、と述べています)。

 しかし、第一作『ベンスン殺人事件』(1926)を発表したとき、すでに39歳だった彼には、1939年に亡くなるまで、もう13年の時間しか残されていませんでした。その13年のあいだに、彼はふたたび天国と地獄をみることになります。「全盛期にウィラード・ハンティントン・ライトのような名声と富をなしたアメリカの作家で、ウィラードほどあまりに突然に世間から見捨てられた作家はいない」。あまりにも劇的なジェットコースター的人生。1920-30年代のアメリカが経験した未曾有の繁栄と(大恐慌による)失墜を、そのまま体現したかのような作家でもありました。『別名S・S・ヴァン・ダイン』は、かつて名探偵ファイロ・ヴァンスの活躍とペダンティックな饒舌に魅了された読者にも、日暮雅通氏の新訳でファンになった新たな読者にも、ぜひお読みいただきたい傑作伝記です。

——というわけで宣伝ばかりになってしまった第一回ですが、しばらく月に一度おじゃまして、翻訳ミステリ周辺のことをお話しさせていただくことになりました藤原編集室です。これまで《世界探偵小説全集》《晶文社ミステリ》など、もっぱらクラシック・ミステリの企画を手がけてまいりましたので、どうしても毎度おなじみ、古い作家の話が多くなってしまうかもしれません。

 当編集室としても作家の伝記は久しぶりの仕事で、ダグラス・G・グリーン『ジョン・ディクスン・カー 奇蹟を解く男』(国書刊行会、1996)以来ですから15年ぶりですね。伝記は大著が多く、翻訳にも手間がかかる上に、(小説にくらべて)通常大きな部数は望めませんから、出版企画的にはむずかしいところもあるのですが、いろいろ勉強になることも多く、やりがいのある仕事です。というより、ファンだったらその作家のことをもっと知りたいですよね。今回のヴァン・ダインは10代の頃に読んで、そのままになっていた作家ですが、ラフリーの伝記を通してこの「忘れられた巨匠」に俄然、猛烈な興味がわいてきました。ヴァン・ダイン、みえっぱりで計算高くて誇張癖があって(人によっては「嘘つき」とも)人間的にはあまり感心しないのですが、どこか憎めない男です。

 この後もいくつか考えている企画がありますので、少しずつ実現していきたいと策を練っているところです。(Tom Nolan《Ross Macdonald: A Biography》と、Andrew Wilson《Beautiful Shadow: A Life of Patricia Highsmith》は、ぜひどこかチャレンジしてほしい。ロス・マクドナルドの伝記は奥さんのマーガレット・ミラーのことも(全部じゃないけど)わかっちゃう、一冊で二度おいしい本。David Whittle《Bruce Montgomery/Edmund Crispin: A Life in Music and Books》は、ミステリ作家と作曲家の二足のわらじを履いたエドマンド・クリスピン/ブルース・モンゴメリーの伝記。カーマニアで大酒飲みで女性にもてたお茶目なクリスピンの愉快な挿話が読めるのだけど、翻訳紹介はちょっと難しいと思う)

 次回は『少年少女 昭和ミステリ美術館』(平凡社)を取りあげます。昭和の日本にタイムトリップ!

藤原編集室(ふじわらへんしゅうしつ) 1997年開室、フリーランス編集者。特殊編集者養成機関、出版界の「虎の穴」国書刊行会出身という黒歴史(?)をもつ。《世界探偵小説全集》《翔泳社ミステリー》《晶文社ミステリ》《KAWADE MYSTERY》と翻訳ミステリ企画をもって各社を渡り歩いてきたが、やってることはあまり変わらないという声も。現在、『少年少女 昭和ミステリ美術館』(森英俊・野村宏平編、平凡社、10月刊)を準備中。ツイッターアカウントは@fujiwara_ed

本棚の中の骸骨:藤原編集室通信