小学校の図書室の方へ

The past is a foreign country(過去はひとつの異国である)とは、 L・P・ハートリーの『恋を覗く少年』冒頭の有名な一文ですが(※1)、当編集室今月の新刊、森英俊・野村宏平編著『少年少女 昭和ミステリ美術館』(平凡社)は、そうした「過去という異国」への旅を可能にしてくれるタイムマシンのような本。少年探偵団、名探偵ホームズ、怪盗ルパン——誰もが夢中になったおなじみのシリーズから、各種の児童向けミステリ全集、少年少女誌や学年誌の付録まで、オールカラーで掲載された約400点の児童書ミステリの表紙は、あなたを(当時を知る人にはひたすら懐かしく、若い読者には未知の世界がひろがる)昭和の小学校の図書室へと連れて行ってくれることでしょう。(おもな収録内容はこちらをご覧ください)。

ふりかえってみると、実際にこうした児童書の読者だったのは小学校中学年から高学年、せいぜい中学にあがる頃までの数年間でしかないのですが、この時期に読んだものは、その後の読書人生に大きな影響をあたえているように思います。昭和30年代後半から40年代にかけて、あかね書房、偕成社、ポプラ社、集英社、金の星社など、児童向けの翻訳ミステリ全集が各社から競うように刊行されました。クイーンやクリスティー、カーとの初めての出会いはこれらの児童書だったという方も多いでしょう。江戸川乱歩の少年探偵団からこれらの翻訳ミステリへ、そして「大人向け」の文庫本へ手を伸ばすという道筋は、当時の子供たちがいっぱしのミステリ・ファンになっていく一般的なコースでした。

ちなみに有栖川有栖、綾辻行人、法月綸太郎氏ら「新本格」第一世代がちょうどこの時期に少年時代を送った人たち。1980年代の終わりに突如巻き起こった本格ムーヴメントは、その読者も含めて20年前に準備されていた、ということも出来ると思います。

現在でもポプラ・ポケット文庫や偕成社文庫などで世界の名作ミステリを読むことができますが(ホームズ、ルパン以外ではクリスティーが人気のようです)、あかね書房《少年少女推理文学全集》がこの種の企画としては異例なロングセラーを記録し、学校の図書室には何種類ものシリーズが並んでいた、かつての「黄金時代」とは残念ながら比ぶべくもありません。高級感あふれるハードカバーの造本や、物語性に富んだ表紙絵・挿絵も子供たちには大きな魅力でした。視覚的な要素だけではなく、手触りや匂いも大切な記憶のひとつ。新しいメディアの利便性を否定するものではありませんが、電子書籍では子供たちの宝物にはなりえないでしょう。本という「かたち」はやはり大事です。

『少年少女 昭和ミステリ美術館』でミステリ本のデザイン、イラストレーションの世界に興味をもたれた方には、ちょうど十年前に刊行された本書の姉妹篇『ミステリ美術館』(森英俊編著、国書刊行会)もおすすめ。ホームズのライヴァルたちの時代、本格派の巨匠たちが君臨した大戦間「黄金時代」から現代まで、460点の原書カバージャケットで海外ミステリの歴史をたどってみせるヴィジュアルブックです。おなじみの作品に本国ではどんな表紙がつけられていたか、比べてみるのも面白いでしょう。(謎解き物の名作に意外なほど煽情的な絵がつかわれていて吃驚することも)。

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ジュニア・ミステリははるか昔に卒業してしまった当編集室ですが、いま楽しみにしているのは、来月刊行予定のクリス・プリーストリー『死神の追跡者 トム・マーロウの奇妙な事件簿』(ポプラ社)。舞台は18世紀初め、セント・ポール大聖堂のドームが完成したばかりのロンドン、印刷屋の息子で15歳になるトム・マーロウが奇怪な連続殺人事件にまきこまれます。犠牲者はみな心臓を矢で貫かれ、死体のポケットには矢を手にした骸骨姿の死神を描いたカードが入っていました。『モンタギューおじさんの怖い話』他で、M・R・ジェイムズ以来の英国怪奇小説の伝統が意外なところで受け継がれていることを教えてくれたプリーストリーが歴史ミステリに挑戦、エドガー賞(ジュヴナイル部門)の候補にもなった作品です。

※1 怪奇小説の名作「ポドロ島」で知られるハートリーはもともとメインストリームの小説で評価の高かった作家で、代表作『恋を覗く少年』(1953)はジョゼフ・ロージー監督/ハロルド・ピンター脚本で映画化もされました(邦題『恋』。DVD化希望)。イアン・マキューアンは『贖罪』のアイデアを本書から得たといわれています。

藤原編集室(ふじわらへんしゅうしつ) 1997年開室、フリーランス編集者。《世界探偵小説全集》《翔泳社ミステリー》《晶文社ミステリ》《KAWADE MYSTERY》と翻訳ミステリ企画をもって各社を渡り歩く。出版界の「虎の穴」国書刊行会出身。お気に入りの凶器はNTカッターと三菱ユニボール シグノ極細(赤)。次は『昭和SF美術館』を、と画策中。ツイッターアカウントは@fujiwara_ed

本棚の中の骸骨:藤原編集室通信