わたしは格別熱心なシャーロキアンというわけではないのですが、一時期小林司・東山あかね両氏をはじめとするホームズ研究者たちの著作を読み漁っていた時期がありました。そのなかでわたしを「ぎゃっ」といわせたのがH・R・F・キーティングの「ホームズが二〇世紀後半の人間だったら、これらの証拠を(ホームズが女嫌いであるという)もってすれば彼の性的衝動は男性に向けられていたと結論せざるを得なかっただろう(後略)」という一文でした。

『わが愛しのホームズ』はその禁断のテーマに大胆にも(でもあくまで慎み深く)踏み込んだパスティーシュです。原題の My Dearest Holmes が、ホームズの My Dear Watson(親愛なるワトソン君)というおなじみの呼びかけに引っかけたものであることはホームズ・ファンならおわかりですよね。

 当初は小説JUNEという雑誌に坂田靖子さんのイラストで連載させてもらっていたのですが、その頃わたしはロンドンに半年ほど滞在していたので、持参したワープロでプリントアウトした原稿をFAXで送りつつ、ホームズゆかりの地を巡ったりしたのも懐かしい思い出です。その後白泉社から単行本としてまとめられ、何度か再刊の話もあったのですが結局は立ち消えになり、今回ほぼ20年ぶりに陽の目を見ることになったのは、やはり『SHERLOCK』人気あってのことだと思います。ありがたや、ありがたや。が、しかし20年以上も前の訳ともなると正視(?)に耐えず、「あ、ここ直したい」「あ、ここも」とばかりにかなり手を入れることになりました。白泉社版で持っている方ごめんなさい!

 さて、まじめに内容も紹介もしておかなければ。

 本作は二部構成になっており、前半「秘密捜査」は原典『四つの署名』で触れられているだけの「セシル・フォレスター夫人の小さな内輪のもめごと」について、そして後半の「最後の事件」はいうまでもなくライヘンバッハの滝におけるモリアティ—教授との対決を描いた「最後の事件」が下敷きになっています。

 これを訳していた当時は、ホームズへの報われない愛と社会常識との板挟みに苦悩するワトソンがひたすらかわいそうで、ホームズはなんてひどい奴だろうと思っていたのですが、今読み返してみると、ワトソン、もう少し考えて行動しようよと突っ込みを入れたくなることがしばしばでした。それに比べてホームズのなんとストイックで純情なことよ。ワトソンを馬鹿にしているとしか思えなかったホームズの言動が、実はすべてワトソンの注意を自分に向けるためのものであり、自分が彼にとって必要な人間であることを確認するための手段だったとは……。あれ、なんだかデジャヴュが(笑)。

柿沼 瑛子 (かきぬま えいこ)

1953年神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部日本史学科卒業。主な訳書/アン・ライス『ヴァンパイア・クロニクル』シリーズ、エドマント・ホワイト『ある少年の物語』など。共編著に『耽美小説・ゲイ文学ブックガイド』『女性探偵たちの履歴書』など。最近はもっぱらロマンスもの多し。

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