新訳というのはあと出しじゃんけんみたいなものだとずっと思っていました。今回、本書の新訳をやるまでは。
 確かにあとから訳すほうがそもそも有利な立場にいるとは思います。前人未踏の荒野に足を踏み出すんじゃなくて、人が一度は歩いてすじ道のできているところを行くみたいなものですから。もちろん、その道をたどるわけじゃないけれど。それでもなんとなく心丈夫な感じはあります。
 でも、今回この新訳を出すにあたり、名訳として名高い二冊の既訳を読み直して、つくづく思ったんです、翻訳って「じゃんけん」じゃないよなって。あたりまえのことですが、勝った負けたじゃないよなって。
 翻訳の優劣を決めるのに、たとえば誤訳の有無とかで見たとしても、多ければ悪訳、少なければ良訳、と即断することはできませんよね。十人十色、百人百訳だもんね。あとは好みで分かれるというのが、エンタメ翻訳です。そりゃ残念ながら、ひどい訳というのもこの世にはあるけれど、好みの世界に勝ち負けを持ち込むのは野暮というものです。
 というわけで、私が自明の理みたいなことをこうしてくどくどと言っているのは、名訳の誉れ高い清水訳と村上訳がすでにあるのにさらに新訳を出す必要があるのか、屋上に屋を架すようなものじゃないのか、という突っ込みを先まわりして封じようとしている! と明察したあなた、鋭い!
 でも、さっき書いたとおり百人百訳は事実です。それと、せっかく新訳に挑戦するからには、翻訳は勝ち負けではないけれど、既訳を越えてやるぞ、ぐらいの意気込みは訳者として普通持つものだと思うし、持つべきだと思います。そう、意気込みでは負けないぞと。気持ちの上では真剣勝負だぞと。
 さてさて、以下は本書のあとがきです。ちょっと長いけど、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。でもって、そのあとポチっとしてくださればなおのこと。
 そうそう、解説は当サイトでもおなじみの杉江松恋さんです。この解説がまたすばらしい。それに、手前味噌ながら、訳者あとがきと解説のバランスが絶妙です。
 とまれ、老兵渾身の翻訳です。どうかよろしく!

新訳者敬白。

■訳者あとがき■

 本書はレイモンド・チャンドラーが一九五三年に発表した六冊目の長篇 The Long Good-bye の新訳である。今回この不朽の名作を全篇訳して、訳者なりに改めて思うところ少なくなかった。そのいくつかを挙げてみる。
 まずひとつ、マーロウがオールズ刑事にしてやられるところ。ハードボイルド宣言として知られるエッセイ「簡単な殺人法」(新訳では「むだのない殺しの美学」)でチャンドラーは、黄金期の本格ミステリーパズラーを痛烈に批判しているが、そんな彼の思いが存分に発揮されたくだりと言える。処女長篇『大いなる眠り』でもマーロウ自身にこんなことを言わせている――「私はシャーロック・ホームズでもファイロ・ヴァンスでもない。警察が調べ尽くした現場にのこのこ行って、壊れたペン先か何かを拾い上げ、そんなものから犯人を見つけるなどという芸当をやろうとは思わない。探偵稼業でそんなことをして食っているやつがひとりでもいると思う人がいたら、その人は警察というところをあまり知らないのだろう」――実際、パズラーでは天才探偵とにあまり有能とは言えない刑事のコンビが登場し、探偵の超人ぶりをきわだたせるために、警察の無能ぶりが針小棒大に描かれることがよくある。チャンドラーはこのことがよほど気に入らなかったのだろう。本作のこのくだりでは、二者のそんな関係を逆転させ、文字どおりマーロウに体を張らせてその思いをぶちまけている。
 また、主だった登場人物が全員集められ、その場で探偵が謎を解き明かし、真犯人を言いあてる大団円というのがよくあるパズラーの趣向だが、本作の結構はそれとは似ても似つかない。加えて作中、マーロウは自分の推理をほとんど語らない。真犯人が明らかになる場面では、スペンサーに推理させ、最後にさらなる真実を明かす。このあたりの展開にも訳者はうならされた。
 翻って、ハードボイルド派の私立探偵小説では、失踪事件が定番のようによく取り上げられる。本作にも出てくる。マーロウはどこかに雲隠れしてしまったウェイドを捜しまわる。ペン先を拾うことはないが、なにより足を使って、私立探偵の“定番”仕事をこなす。が、そのまえにまずレノックスの失踪を手伝っている。探偵がこのように真逆の一人二役を演じるというのはちょっと珍しいのではないだろうか。チャンドラーが意図したことかどうかはわからないが、訳者には著者の遊び心のように思えて面白かった。

 本作はミステリーとしてだけでなく、読みものとしても、チャンドラーの長篇七作中一番の出来だろう。まずは見事な友情物語だ。さらに切ない大人のほぼ・・純愛物語でもある。加えて稀有な一目惚れ小説だ。マーロウが見ず知らずの酔っぱらいを自宅に連れ帰ってまで介抱するのも、離婚は扱わないと言いながら夫婦間の問題に深入りするのも、ひとえに二度の一目惚れあればこそだ。もちろん、ここまでは凡夫の身にも起こりうる。二度目の一目惚れなどはなおのこと。しかし、このあとがちがう。「卑しい街を行く高潔の騎士」はこの一目惚れを最後まで貫くのである。一目惚れという、理屈ではとうてい語れない、誰にとっても不可解なセンチメントを全うするのである。命を賭す覚悟までして。良識に照らすまでもなく愚かな行為だ。それはもちろん本人にもわかっている。われわれ読者にも。にもかかわらず、良識をいっとき忘れて、このマーロウの愚行に拍手を送りたくなる。読者をそんな思いにしてくれる小説はそうそうない。
 友情に純愛に一目惚れ。ややもすれば甘ったるくもヤワにもなりそうなテーマだ。それがハードボイルドご本家の手にかかり、ご本家特製のシニカルなユーモアがまぶされると、感傷はそのままに、甘さともヤワさとも無縁の物語が出来上がる。ほろ苦さがこれほど心に染みる小説もそうそうない。
 登場人物も端役のひとりに至るまで実に見事だ。本すじとは関係なく、幕間に登場する三人の依頼人。リアルな三つの戯画と言うべきか、意図して類型を描きながら、類型に堕していない。主要な登場人物のほうからも三人ばかり。大富豪ハーラン・ポッター、ほかのチャンドラー作品でもおなじみの刑事バーニー・オールズ、それにやくざの親分メンディ・メネンデス。それぞれの職業、階級を代表しながら、彼らもまたステレオタイプに陥っていない。とりわけ出色なのが、短いながら彼らが語る人生論。どれも傾聴に値する。三者三様の人生哲学についつい聞き惚れてしまう。

 The Long Good-byeという原著のタイトルだが、詩情を掻き立てる響きがあるのだろう、ざっとググっただけで歌詞も曲想も異なる同名の楽曲が十曲ほど見つかった。ロバート・アルトマン監督の映画『ロング・グッドバイ』の中でも、映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズのあのもの憂い同名のテーマ曲が何度も繰り返される。楽屋話になるが、邦訳のタイトル。すでによく知られている邦題がふたつあるわけで、それらを意識しないわけにはいかず、さりとてどちらかにそっくり合わせるのもいかがなものかと思い、だったら折衷案で『長いグッドバイ』とか? あるいは『ロングなお別れ』とか? それもなんだかなあで、直訳の『長いさよなら』も今ひとつで、ご覧のものとなった。ちょっとまぎらわしいのは申しわけないが、この名作の三番目の邦題として覚えていただけたら嬉しい。

 訳者として断わっておきたいことを最後にひとつ。ミステリーとしても読みものとしても間然するところのない本作ながら、チャンドラーが銃器に関してアバウトだったというのは、銃器に詳しいチャンドラー読者によって以前から指摘されてきた。本作にも思いちがいがある。レックスが所持して逃亡し、ウェイドも同型のものを持っていたとされる拳銃。原著では Mauser 7.65(モーゼルの三二口径)となっている。が、ポッター老がこの銃を指して、PPK と呼んでいることからもわかるように、これは「モーゼル」ではなく「ワルサー」のことのようだ。もう一丁出てくる銃「ウェブリー」のほうでは、銃の取り扱いの描写に誤りがある。訳者自身は銃器に詳しいわけでもなんでもないので、門外漢としては些細なことのように思えないでもなかったのだが、ここは著者の明らかな勘ちがいということで、僭越ながら邦訳では原著に手を加えさせてもらった。

 訳出に際しては二冊の既訳――清水俊二訳『長いお別れ』と村上春樹訳『ロング・グッドバイ』――はもちろんのこと、同業の先輩、山本光伸氏の『R・チャンドラーの「長いお別れ』をいかに楽しむか』(柏艪舎)とチャンドラリアンの松原元信氏の『3冊の「ロング・グッドバイ」を読む』(ソリックブックス)に教わることが多かった。ネット上の情報からもいろいろと教示を受けた。この場を借りて、みなさんにひとことお礼を申し上げておきたい。
 毎度のことながら、ミステリー作家マイクル・Z・リューインさんにも大いに助けられた。余談だが、銃器のことを尋ねたときには、ご自身も詳しくないということで、わざわざイギリスのチャンドラー協会の会長さんに問い合わせてくださった。なんと親切な! 拙稿の校正を担当してくださった外岡千代子さんと藤井久美子さんにも何個所も助けてもらった。
 最後に私事ながら、訳者はこれでいわゆるハードボイルド御三家の長篇をそれぞれ一冊ずつ訳したことになる。エンタメ翻訳者冥利に尽きる。東京創元社の井垣真理さんのおかげである。改めて感謝申し上げる。

 

田口俊樹(たぐちとしき)
 ローレンス・ブロックのマット・スカダー・シリーズ、バーニイ・ローデンバー・シリーズを手がける。趣味は競馬と麻雀。
訳書一覧
 こちらもぜひ併せてご覧ください。
 田口俊樹訳書(ほぼ)完全リスト・その1(執筆者:杉江松恋)
 田口俊樹訳書(ほぼ)完全リスト・その2(執筆者:杉江松恋)
■担当編集者よりひとこと■

 レイモンド・チャンドラーのThe Long Good-bye (1953)を田口俊樹先生の新訳でお届けすることが出来て、編集者人生も終わりに近づいた私は本望です。
 まだ私が入社する以前の遠い昔の契約の関係で、創元推理文庫でチャンドラーの長篇小説が出せなくなっていたのですが、本作は1953年の作品ということで、小社でも刊行可能だったのです。
 この仕組みはちょっとしたクイズのようで、なかなか面白いので、シンジケートの皆様、お考えくださいませ。

 ロス・マクドナルドの『動く標的』、ダシール・ハメットの『血の収穫』につづいてレイモンド・チャンドラー『長い別れ』を田口俊樹訳で創元推理文庫に収められたとは、「翻訳ミステリ史に残る快挙だと声を大にして言いたい !」と、ひとりそっとつぶやく私です。

 とにかくこの作品を遠い昔読んだままですっかり忘れていた私、「忘れているけどよかったことは覚えています」というわけでもなく、「ええ、読んだことはありますよ」くらいの印象だったのですから、実にふさわしからぬ編集者なのでした。
 ところが、田口先生の御訳稿をいただいて、読み始めたら、「おお、こんなにいい作品だったのか !」と心底驚き(チャンドラリアンの皆様、ごめんなさい)、もう夢中になりました。「読んだことはありますよ」なんてよく言っていたものです。
 もちろん田口先生の御翻訳の力によるのですが、どんな作品も、人生のいつどんな時期に読むかということにも大きな意味がありますよね。

 本書の発売は4月28日でしたから、もう皆様も書店で目にされ、手に取られ、お読みになったことと思います。ゴールデンウィーク直前にお届けできてよかった。
 きっと、タイトルに「お」がない ! とか、カバーがエドワード・ホッパーだ ! とか色々話題にしてくださっていると思います。
 タイトルに「お」がないのは、私は大満足です。「お」ありにあまりに慣れていたので何も疑問に思わずに生きてきましたが、それは「アルマジロ」がなぜ「ナイマジロ」でないのかと考えなかったのと同じように、「長いお別れ」という固有名詞として子供時代から見聞きしていたからなのです。今回「お」無しの御訳稿をいただいたら、突然、そうだ、マーロウなら「お」は無しでしょ ! と目からウロコが落ちました。読み進め、作り上げてますますその思いは強くなりました。
 ブックデザイナーの岡本洋平さんによるホッパーのカバーもいいですよね ?!

『長い別れ』(田口俊樹訳)をお読みになれる幸せを嚙みしめてください。私はお届けできた幸せを嚙みしめています。

追記 : 田口先生が小社の「紙魚の手帖」という雑誌の第三号に書いてくださった「エンタメ翻訳党宣言」というエッセイも是非併せてお読みください。

(担当編集者M・I)



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