ジョルジュ・シムノン(1903〜1989)といえば、フレンチ・ミステリの代表格としてその名が知られる存在でしょう。言わずと知れた、メグレ警視の生みの親。探偵=ダンディという定型を打ち壊したこの名刑事を主人公に、人間臭いリアリズムの推理小説を量産し、フランス語圏にとどまらない国際的ベストセラー作家になったのが他ならぬシムノンです。
 しかし、こうしたエンタメ/ミステリの巨匠の横顔は彼の作家としての業績の一側面にすぎません。たしかにペーパーバック・ライターとして出発し、その後も推理ものを旺盛に書き連ねたシムノンでしたが、他方でそうしたジャンル小説の枠を超えた「純文学」への熱い志向を抱きつづけていました。じっさい彼は大衆/推理小説家として名声を得たのち、それまでとは趣向の異なるシリアスな小説を発表しはじめます。『仕立て屋の恋』(1933)、『倫敦から来た男』(1933)、『家の中の見知らぬ者たち』(1940)、『雪は汚れていた』(1948)──これらの作品はメグレの作者が書いたノンシリーズものというよりむしろ、新たな人間の心象風景を開拓する野心的な文学作品であり、シムノン自身はそれらを「硬い小説ロマン・デュール」と分類し、自らが純然たる文学者として認められるための足がかりとしたのでした。

 今回本邦初訳となった二作もまた、そういった純文学の資格を要求する「ロマン・デュール」に分類されている作品です。いずれも灰色のフランドル地方を舞台に、犯罪と謎を基調としつつ、凡庸な人間の凡庸ならざる心のうちに迫った問題作といえるでしょう。
 『運河の家』(1933)は、シムノンの出身地であるベルギーを舞台に、両親を亡くした都会育ちの少女エドメが、田舎のまだ見ぬおじの家に赴くところからはじまります。おじとおばの他に、六人ものいとこを擁するヴァン・エルスト家は、運河に囲まれた広大な〈灌漑地〉を所有する豪農でした。が、エドメが家に到着したとたん、大黒柱のおじが急死。その後、遺された者たちの狼狽をよそに、数々の不幸が一家に降りかかってきます。マッチョな魅力を振りまくもつねに空回りがちな跡継ぎのフレッド、巨大な頭を揺らしつつ黙々と仕事に打ちこむ木偶でくの坊のジェフ、陽気で屈託のないたちながら「女」としてどこか未成熟なミア、彼らの母親にして「牝猫」さながら部外者に警戒の目を光らせるおば、そして一家を絶えず監視しにくる自信に満ちあふれた男ルイおじ──こうした異形の家族との暮らしに息を詰めていたエドメでしたが、やがて寡黙なジェフを手なづけ、強引なフレッドを逆に籠絡するにいたります。いったい何が彼女をそうさせたのか? 生来の魔性か? 身裡み うちの熱の導きか? 人間の根源に迫るような謎を宙吊りにしたまま、ついには未曾有の犯罪が起きてしまいます。
 つづく『人殺し』(1937)の舞台はオランダ、運河も凍るフリースラント地方。自分だけの「しきたり」にしたがい、折り目正しい「日常」を送ってきた中年医師ハンス・クペルスは、雪積もる冬のある日、前代未聞の「冒険」に打って出ます。皆勤賞の学会を欠席し、馴染みの親戚の家にも寄らず、挙げ句の果てに武器屋で一丁のピストルを購入──それもこれも、不倫中の妻と友人のシュッテルをこの世から抹殺するためでした。彼らの密会場所で無事計画を遂げたクペルスでしたが、後始末が予定どおりにいかず、ひきつづき「日常」と「冒険」の奇妙な混淆に身を委ねていくことに。殺しから帰るその足で行きつけのカフェに立ち寄り、ビリヤードクラブの同志たちと球突きに興じ、家に帰ると若い女中のネールを思い切ってベッドに誘い──道を踏み外した新たな自分の人生に酔いしれる一方、なぜか胸の痛みは晴れず、気がかりの種もいっこうに減りません。世間の人々はいったい何を考えて生きているのだろう? クラブの男たちは? 愛する女中は? 匿名の手紙の差出人は? 他人どころか自分の「頭のなか」さえ掴めぬ医師はやがて、どこか懐かしい、自分だけの狂気の世界へ深く沈みこんでいきます。
 まったく気分がせいせいしない(!)筋立てですが、どの作品も人間であることの「病い」を鋭くあぶり出し、時に「正しい」と言われる価値観への異議申立てを呈しながら、「あなたならどうしてました?」という切実な問いを読者に突きつけてくる、まさに純文学作家シムノンの面目を感じさせる小説になっています。またジェンダー/セクシュアリティの観点からすれば、痛烈なアイロニーと揶揄を含んだ、きわめてアクチュアルな物語として読めるでしょう。「男らしさ」を無理に体現しようとする男たちの滑稽さと悲哀、「はしたない」とされてきた女たちの突き上げと復讐、そしてブルジョワの白人男たちのめくるめくホモソ沼の世界──とくに最後のは訳していてほとほとイヤになるくらいイヤらしく戯画的に描かれていて、いわゆる「ボーイズ・クラブ」への憧れがある方にはいいお薬になるかもしれません(:残念ながらパトリシア・ハイスミス的な「ボーイズ・ラヴ」では決してない!)。
 たしかにシムノンは万人受けする作家ではないし、「イヤミス」というカテゴリーで片づけるにはあまりにバロックで、苦み走っています。『人殺し』の作中、主人公の医師が行きつけのカフェで気に入らない酒の味を飛ばすために「苦味酒ビター」を入れてもらうシーンが何度も出てきますが、本書もそのような苦く風味の強いリキュールとして重宝されることでしょう。
 男女問わず、甘いカルーアは飲めないよという人生派の読者には、このシムノンの「ロマン・デュール」はオススメです。どうか覚悟してご賞味ください。

森井良(もりい・りょう)
1984年、千葉県生まれ。パリ第七大学博士課程修了(博士)。獨協大学フランス語学科専任講師。訳書にエリック・マルティ『サドと二十世紀』(水声社)、ロジェ・ペールフィット他『特別な友情――フランスBL小説セレクション』(編纂・共訳、新潮社)、小説に「ミックスルーム」(第119回文學界新人賞佳作)がある。
■担当編集者よりひとこと■

 『運河の家』『人殺し』は“本邦初訳”、“瀬名秀明さん推薦・企画”という、きわめつきのシムノン本です。 
 合本の二篇は、翻訳ミステリー大賞シンジケートの連載「シムノンを読む」の読者も待ちに待った、シムノン初期の「硬い小説ロマン・デュール」の傑作です。訳者は、シムノンの文芸の師であるアンドレ・ジッドの文学研究者・作家の森井良さん。一度読んだが最後、イヤな苦味(=イヤ味)が心の中にどよんと染み入り、残り続ける作品です(“イヤミス”どころではないイヤ味です!)。舞台地のベルギー、オランダという灰色に染められたフランドル地方の光景が、作品のイヤ味の情趣をいっそう掻き立てます。
 巻末には、作家年譜、森井さんの「訳者あとがき」に加え、瀬名秀明さん書き下ろしの「解説」(80枚超)を収録。瀬名さんと森井さんという素晴らしいタッグから生まれた、シムノン入門にも絶好の紹介本となっています。
 本書を皮切りに、久しく翻訳されずにいるシムノンの復権を切に願っています。

幻戯書房 中村健太郎

 サドと二十世紀
 出版社:水声社
 著者 エリック・マルティ
 訳者:森井 良
 発売日:発売日:2018/12/25
価格:8,800 円(税込)

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