いよいよ明日(!)発売されるS・A・コスビーの新作『頬に哀しみを刻め』を紹介させてください。本のほうには、ときわ書房本店の宇田川拓也さんがすばらしい解説を寄せてくださいましたので、こちらは訳者あとがき縮小版ということで。

 コスビーはこれまでにMy Darkest PrayerBlacktop Wasteland、Razorblade Tearsの3作を上梓しています(4作目のAll the Sinners Bleedは本年発表予定。早く読みたい)。今回の『頬に哀しみを刻め』Razorblade Tears)は、原著の順番でいくと3作目、邦訳での紹介は『黒き荒野の果て』Blacktop Wasteland)に続く2作目になります。
『黒き荒野の果て』のメインプロットは、強盗の「走り屋」から足を洗った男が金に困って昔の稼業に引き戻されるという、このジャンルとしては定番中の定番でした。2021年のアンソニー賞、マカヴィティ賞、バリー賞の3冠を達成したものの、いくらなんでもこの筋は? と少々不安になったのも事実です。しかし、カーチェイスや登場人物、人間関係の作りこみが抜群にうまく、そのへんを愉しんでいただけたのでしょうか、「このミス2023年版」でも海外部門6位に選ばれました。ありがたいことです。

 そしてこの『頬に哀しみを刻め』ですが、ひと言で言えば、ものすごくエモーショナル。内容については、版元ハーパーコリンズ・ジャパンの編集部公式note(https://note.com/harpercollins_jp/n/n9fe9dc8e2525)をお読みいただければ、ここで屋上屋を架す必要はないでしょう。
 こちらも筋立ては単純で、「ゲイの夫夫(ふうふ)を殺された父親たちが犯人を捜す」だけの話。なのにここまでスリリングで感情を揺さぶる物語になっているのは、驚き以外の何物でもない。登場人物、とくに父親ふたりの怒りや哀しみ、苦悩、後悔、愛情が深すぎて、私は北陸本線の電車のなかでうっかり最終章を読んでしまい、ちょっとたいへんなことに……。
 感情ではなく行動のみを描写して話を進めるのがハードボイルドの様式だとすれば、この作品はハードボイルドではないでしょう。それに、大の男が感情まるだしだと、たいていかっこ悪くなるものですが、この作品は感情を描写しまくって、なおかつかっこいいという離れ技をやってのけている。

 感情感情と書いたけれども、S・A・コスビーの本質(というのが大げさなら、作品に共通する姿勢のようなもの)は、「暴力に手を抜かない」ことだと思います。『黒き荒野の果て』にも『頬に哀しみを刻め』にも、かならず「えっ、この人をこんな目に遭わせる?」、「この人にこんなことまでさせる?」と意表を衝かれる場面がある。My Darkest Prayer(未訳)には、こんな1節があります。

 最初の殺しは忘れられないものだ。それで心のドアが開き、残りの人生でそのドアの鍵を探すことになる。だが、みじめな真実として、そんな鍵はない。最初の味を覚えたときに壊してしまうからだ。

 初作にその作家のすべてがある、などとよく言われます。コスビーの場合にも大きな方向性は最初から一貫している気がします。法で裁くのか、みずからの手で裁くのかという問題は、古今をつうじた探偵・犯罪小説の一大テーマですが、『頬に哀しみを刻め』は、暴力と激情をともなう後者の極北と言っていいかもしれません。
 S・A・コスビー、2冊訳して忘れられない作家になりました。ご興味が湧いたら、ぜひ手に取ってみてください。

加賀山卓朗(かがやま たくろう)
 翻訳者。愛媛県出身。おもな訳書に、S・A・コスビー『黒き荒野の果て』、ルヘイン『あなたを愛してから』、ル・カレ『スパイはいまも謀略の地に』、ディケンズ『大いなる遺産』、グリーン『ヒューマン・ファクター』など。いま好きな作家は、スティーヴン・ミルハウザー。

 

■担当編集者よりひとこと■


『頰に悲しみを刻め』について編集者からのコメントを書くにあたり、思いがけず言葉につまった自分がいました。
 この作品については、加賀山さんの翻訳原稿を初めて拝読したときにこみあげた熱さと震え、感動があり、また、テーマやアメリカ社会における意義・意味といったことをひたすら考えたこともあり、語りたいことは無数にあります。しかし、発売前にゲラやプルーフをお読みいただいた多くの方の感想を聞く機会をいただき、その熱量に圧倒されたときに、私の下手な解説は蛇足にすぎないと気づかされました。それこそ耳元で大声で叫ばれているかのような、魂の咆哮のような感想があれば、この作品に説明などいらないと。
 そして、加賀山さんの北陸本線のエピソードを伺った今、北陸出身の私に語れることはありません。皆さんも、何も考えずに身を委ねてください。何も知らずに、今から本作を読めるあなたが、私は正直うらやましいです。

(ハーパーBOOKS編集部 N) 








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