ミック・ジャクソンと聞いて「おお、ついに」と思われた方も、多いのではないでしょうか。この作家、一九九七年に処女作『穴掘り公爵(原題 The Underground Man )』でいきなりブッカー賞候補作家となると翌年に邦訳され、日本でも読者がついた感があったのですが、その後の作品がずっと未訳のままだったのです。

 僕がこの作家をとにかく好きな理由は、読者に作品の半分ほどを潔く委ねてしまっているかのように感じられるところです。事件と対峙する登場人物たちの細かい心理描写を捨て、そこは読者の想像力に任せているように思えるのです。なのでこの短編集を読む際には、登場人物の感情の流れに舟を浮かべ、読者も一緒に旅をするような感じでページをめくるのが、僕はいいと思っています。

 たとえば一編目の『ピアース姉妹』では、醜くも心優しい姉妹が主人公として登場します。彼女たちは外見のせいで惨めな思いをした末に人里離れて暮らす人生を選び、慎ましく静かな日々を送っています。しかし、ある日事件が起こります。かつての暮らしで彼女たちが触れ合う機会のなかったような青年が──かつて自分たちが諦めたような青年が──海で溺れ、意識不明の無防備な姿となって自分たちの目の前に横たわっているのです。ですが、目を覚ました青年の態度をきっかけに彼女たちは、それまでぎりぎりのところで踏みとどまってきたはずの境界線を一気に踏み越えてしまいます……。

 これ以上はネタバレ過ぎるので控えますが、ここまでの範囲で書くとすれば、姉妹がどんな惨めな思いをしてきたかも語られませんし、どんなきっかけで世捨て人になったのかも語られません。どんな気持ちで青年を助けたのかも、無防備な彼を目の前に何を感じたのかも、なぜ境界線を踏み越えたのかも作中では説明されません。しかし「目の前の青年を眺める姉妹の胸にどんなものが渦巻いたろう?」といった具合に姉妹の思いや感情を想像しながらそれに任せて舟を進めていくと、ページに書かれた物語と読者の想像力とが、絡み合うピアノとヴァイオリンのようにハーモニーを生み出し、物語の厚みと広がりがぐんと増していきます。

 ミック・ジャクソンが用意してくれたストーリーや文章の流れが持つスピード感や川幅の広さなどを味わいながら、「何をどう感じ、何がどう見えるだろう」と想像力を解放することには、独特な快感があります。ある意味、そのように読者をリードするのが非常に上手い作家だと僕は感じました。そうして読者を「物語を完成させるのに必要な最後の1ピース」として信頼しているような──ある意味では必要以上に読者に歩み寄らないような──潔さが、この人の作品が持つ大きな魅力なのではないかと思います。

 この本の主人公たちは、誰もがそれぞれの境界線の手前に立ち、超えるのか、踏みとどまるのか、否応なしに運命の判断を迫られます。ぜひとも、ご自身がその場に立ってそこに吹く風や、流れる音や、漂う臭いや、肌を伝う温度を感じているようなつもりで、主人公たちが辿る奇妙な旅の同伴者となっていただきたいと思います。

『10の奇妙な話』から2編ほど、映像作品になってます。原作とはちょっと違うけど、面白い!

●「蝶の修理屋」

 https://vimeo.com/30807691

●「ピアース姉妹」

田内 志文(たうち しもん)

20160201175231.jpg

 奇譚愛好家。現実と幻想のぎりぎりを往来する奇妙な物語を好む。主な訳書に『銀行強盗にあって妻が縮んでしまった事件』『失われたものたちの本』(共に東京創元社)、『吸血鬼ドラキュラ』『新訳フランケンシュタイン』(共に角川文庫)、『魔術の人類史』(東洋書林)など。目下の悩みは、2年前に別れた恋人が残していったふたりの名前入りスパークリング・ワイン(未開封)の処理。

●ツイッター・アカウント: https://twitter.com/simon415/

■担当編集者よりひとこと■

 この作品の内容については田内先生が上記の文章や訳者あとがきでたっぷり語ってくださいましたので、担当編集者からはそれ以外の部分についてご紹介いたします。

 まずはカバーイラストについて。この本は原書と同じカバーイラストと、各短編の扉裏イラストを使っています。イラストレーターはクリス・プリーストリー『モンタギューおじさんの怖い話』でおなじみ、イギリス人のデイヴィッド・ロバーツさん。カバーには各短編の登場人物たちが勢揃いしているのですが、じっと見ていたら、帯のキャッチコピーである「純粋で、不器用で、とてつもなく《奇妙》な彼ら。」を思いつきました。彼らはそれぞれ、純粋であるがゆえに「境界線」を超えてしまい、とてつもなく奇妙なことをしでかしてしまいます。それがいったい何なのか、この魅力的なカバーイラストから想像してみていただけるとうれしいです。

 細かいところでは、デザイナーの藤田知子さんによる目次と扉のデザインにも注目してみてください。「蝶の修理屋」「隠者求む」「宇宙人にさらわれた」「骨集めの娘」などなど、どんな話か気になってしまうであろうタイトルが、不思議な味わいのある書体で表現されています。もちろんカバーのタイトル書体や、表紙の手触りや色味、帯の綺麗なピンクも大好き。すてきな本に仕上げていただいて、藤田さんには感謝の思いでいっぱいです。

 そして今回、さらにうれしいことが。なんと3月4日(金)、田内先生と翻訳者の山田順子先生のトークイベントが決定しました!! この『10の奇妙な話』や、昨年山田先生が訳されたサリー・ガードナー『火打箱』、ゾラン・ジヴコヴィッチ『12人の蒐集家/ティーショップ』を中心に、翻訳についてたっぷり語っていただきます。田内さんによる本書の朗読も予定しています。詳細&お申し込みは以下のリンク先(東京創元社・お知らせページ)からどうぞ。

 この本を読むと、哀しくなったり、逆に笑えたり、あとはわからないことやすっきりしないこともたくさんあると思います。まさに読書の醍醐味だと思いますので、本書を読んで「自分が感じたこと」を大切にしていただければ編集者冥利に尽きます。

(東京創元社・S)   

 

【随時更新】訳者自身による新刊紹介 バックナンバー