翻訳の仕事をしていると、「どういうタイプの小説がお好きなんですか?」と訊かれることが多い。私の場合、説明にやや手間どるのだが、いちばん好きなのは「アイディアが独創的で、プロットの面白さでグイグイ読ませるミステリ」である。具体的に作品を挙げると、マイクル・クライトン『ジュラシック・パーク』アイラ・レヴィン『ブラジルから来た少年』グレッグ・ベア『ブラッド・ミュージック』鈴木光司『らせん』など。最近の作品だとフランク・ティリエ『GATACA』ブレイク・クラウチ『パインズ』なんかがこの範疇に入る。

 こう並べると、「へぇー、SFっぽいのがお好きなんですね?」と言われることが多いのだが(そして、それはある意味正しいのだが)、私自身はこうした作品を「ミステリの文脈」で読んでいる。たとえばの話、映画『シックスセンス』はホラーだけど、誰も「ホラー映画の傑作!」とは思ってなくて、ミステリとして面白がってるわけでしょ? 私にとって上に挙げた作品は、そういう意味で、あくまでも「ミステリ」なのだ。

 こうした「独創的なアイディア系」作品の面白さは、なんといっても序盤の「えー、なになに、それってどーなるの?」的なワクワク感、ドキドキ感にある。たとえば『ジュラシック・パーク』とかだと、最初のほうで琥珀を発掘してる場面があって、「え、なんでそんなもん掘ってんの?」とか思ってると、やがてその謎が解き明かされてメインストーリーとつながり、「おお、そうだったのかぁぁ!」と興奮しちゃうわけだ。わたしはあのドキドキ感がとにかく好きで好きでたまらない。

 で、そうした作品に出会ったとき、私はページをめくりながら、ついつい郷ひろみの〈2億4千万の瞳〉を歌ってしまう。ほら、例の「♪オクセンマン、オクセンマン」ってやつ。私の頭のなかでは、「オクセンマン=スゴイ」という等式が確立されているのである。そう言うと、「え? オクセンマンって、そんなにスゴイか?」という声が聞こえてきそうだが……しかしよく考えてみてほしい。だって、「億千万の胸騒ぎ」だよ? フツーなら、間違いなく心臓マヒで即死してるレベルだよね? それくらいのドキドキってことだから、こりゃもう誰がなんと言おうと絶対にスゴイわけだ。

 で……今回ご紹介するL・P・デイヴィス『虚構の男』なのだが(←ようやくのことで登場)、ご推察のとおり、これがまさにオクセンマン系エンターテインメント小説なのである。物語の舞台となるのは1966年の英国、主人公は辺鄙な田舎の村に住む36歳のSF作家アラン。彼は気さくな隣人たちに囲まれ、判で押したように変わらない毎日を過ごしている。ところがある日、小説のアイディアを練るために散歩に出た彼は、帰り道にふとおかしなことに気づく……というのが第1章のあらすじ。なんかえらく地味な幕開けなのだが、この「おかしなことに気づく」というのが発端となって、物語は「エッ?」という方向に転がっていく。しかも、「なるほど、だったらこういう話なんだろう」と思ってると、さらにアサッテの方向へ。本書をはじめて読んだとき、このあたりの時点で、もちろん私はひたすら歌いまくっていた。

♪オークセンマン、オークセンマン。

 だがしかし……こうしたオクセンマン系エンターテインメント小説は、一般的に大きな弱点を持っている。アイディアが独創的かつ斬新であるがゆえに、広げた大風呂敷を畳めなくなってしまい、ラストが腰くだけになってしまう危険をつねに秘めているのだ。上に挙げた作品群は別格だが、「おいこりゃスゲーぜオクセンマンだぜ!!」とか盛りあがって読んでいると、ラストがあまりにもシオシオのパーすぎて、底知れぬ敗北感に突き落とされる作品も珍しくない。

 とはいえ、その反対に、「オクセンマン系でありながら、ラストのツイストも抜群!!」という奇跡のような小説もこの世には存在する。あからさまな宣伝なので恐縮だが、私にとってはアダム・ファウアー『数学的にありえない』なんかがそれに当たる。翻訳物ではないけれど、綾辻行人『Another』もそうだ。「エッ、なになに、いったい何がどーなるの!?」と読んでいくと、ラストにとんでもないサプライズが待っている。これぞミステリのエクスタシー。そんな作品に出会ったとき、私は深い感動の涙を流しながら叫ぶ。

「ジャパーン! ジャパーン!」

 そう、「♪オクセンマン、オクセンマン」と歌いながら読み進め、ラストで「ジャパーン!」と叫ぶ。私にとっては、これこそが至高の読書体験なのだ。

 ……と書いてくれば、読者のみなさんは、すでにこの文章のオチを予想しているだろう。「L・P・デイヴィスの『虚構の男』も、ラストで思わず“ジャパーン!”と叫ぶような傑作なんでしょ?」と。

 しかし……これが違うのだ。この作品を読了したとき、私は思わずボソリとつぶやいていた。

「ギャ……ギャ……ギャバン?」

 なにそれ? と思われるかもしれない。しかし、本書の後半に仕掛けられたサプライズは、嘘偽りなく、「こりゃ絶対ジャパンに違いないと期待していたら、そこには宇宙刑事ギャバンが立っていた」みたいな当惑と混乱と驚きを読者に投げつけてくるのだ。

 えっ? ホントかって? ま、正直なところ、読者のみなさんの興味を引きたくて話を半分つくってはいる。それは正直に認めよう。しかし反対に、「半分しかつくってない」ってところがスゴイと思っていただきたい。とにかく、本書がエンターテインメント史上類を見ない「超変化球」であることは間違いない。実際にどこがどう「変化球」なのかは、実際の作品を読み、ぜひご自身で確かめてほしい。

 え、なに? 作品紹介はもうこれで終わりかって? こんなんじゃ具体的な話がまったくわからない?

 いや、それは私もわかっている。しかし、本書の帯のコピーは「ストーリー紹介厳禁のサプライズ連打小説」なのだ。詳しい内容をうっかり書いたりすると、私も担当編集者から怒られてしまうのである。申し訳ないが許してほしい。

 ちなみに本書は、若島正先生と横山茂雄先生の責任編集による国書刊行会の新叢書〈ドーキー・アーカイヴ〉の第一弾として刊行される。この叢書に関しては、現在書店で豪華な内容紹介ブックレットを配布中なので、ぜひとも手にとっていただきたい。

 では、そういうことで、よろしく哀愁!

矢口 誠 (やぐち まこと)

20150707145738_m.gif

1962年生まれ。翻訳家・特撮映画研究家。光文社「ジャーロ」にて海外ミステリの書評を3年間担当。主訳書は『メイキング・オブ・マッドマックス 怒りのデス・ロード』(玄光社)、『レイ・ハリーハウゼン大全』(河出書房新社刊)。最新訳書はローレンス・トリート『絵解き5分間ミステリー 名探偵からの挑戦』(扶桑社)。好きな色は赤。好きなタイプの女性は沢井桂子(←誰も訊いてねぇーよ)。

■担当編集者よりひとこと■

 特殊版元たる国書刊行会に勤めて15年、さまざまな奇書・問題作から痛い目に遭う人生を送ってきましたので、ちょっとやそっとの小説では驚くことが出来ない悲しい体になっておりました。しかし、若島正さん推薦のこの『虚構の男』は、ゲラを読んでいて「ウオワッ!」と声が出ました。そんなことは久しぶり……というか初めてかもしれません。たしか小学生のときカフカ『変身』を読んだ時、冒頭の文章で声が出た以来か……40過ぎてこんな読書体験をするとは驚きの一言。なにせ1965年の作品ですから。

 本を作る過程で、本作の紹介文・オビの惹句をどうするか、かなり悩みました。矢口さんが書いているようにどうにも説明しづらい小説なのです。こういう場合は解説から引用するのが一番、と若島さんの解説を読むと……「『虚構の男』の筋書きを解説することはあえてしない。それは読者の楽しみを間違いなく奪うからである。」……さらにハードルが上がりました。結果、カバーの袖の紹介文などがどんな内容になったかは現物をご確認ください。なお、若島さんの解説はこう続きます。「ただ、小説の初期設定から最終的な帰結までのぶっ飛び方が、L・P・デイヴィスの作品群でも最大の部類に入るものだということだけは言っておいてもいいだろう。読者はこの小説を読むあいだに、きっと何度か唖然となる。そして、最終ページに至って、いかに伏線が張ってあったとは言え、それこそ開いた口がふさがらなくなるかもしれない」

 本書が第1回配本となる新海外文学シリーズ〈ドーキー・アーカイヴ〉はこういうビックリする作品を若島正・横山茂雄両氏が10冊選んだシリーズです。『虚構の男』と同時刊行となる、英国謎の覆面作家サーバンの幻想譚2篇収録の『人形つくり』も是非。サーバンは、なんとハヤカワ・SF・シリーズの『角笛の音の響くとき』から48年ぶりの登場です。なお、刊行ライナップについての二人による対談(15000字)を掲載した24頁パンフレットを無料配布中です。こちら→ http://www.kokusho.co.jp/inquiry.html からご請求ください(PDFデータはこちら→ https://www.kokusho.co.jp/catalog/9784336060570.pdf )。

 これからどんどん変な本、滅茶苦茶な本を出していきますので、覚悟してください。

 

(国書刊行会編集部・樽本周馬)   

 

【随時更新】訳者自身による新刊紹介 バックナンバー