デヴィン・ジョーンズ——二十一歳の大学生。付きあっているガールフレンドとの関係が進展せず、悶々とした気持ちを胸にしまったまま、実家と学校から遠く離れたノースカロライナで夏休みのアルバイトをしている。仕事場は時代に取り残されかけた、独立資本の小さな遊園地〈ジョイランド〉。朝、下宿を出ると、点在する高級な別荘を横目にクロワッサンをかじりかじりビーチを歩いて出勤し、帰りは水面に伸びる自分の影法師に目を落としながら海辺をもどってくる。思い描いていた明るい未来が崩れそうな予感におののいては、昼の雑用に我を忘れて汗を流し、夜中の自室ではトールキンとジム・モリスンに救いを見出そうとする。

『ジョイランド』はそんな主人公デヴィンの、一九七三年の夏から秋にかけての物語である。

 愉しさとやるせなさが、混沌としてそこにある青春の一時期——やがて大人になろうという、揺れる青年の体験が、老境を迎えた本人の回想として語られる。

 郷愁ただよう田舎町の遊園地を舞台に、六〇年代から七〇年代初頭にかけてのロック、ポップスをBGMにしたら、そこは巨匠スティーヴン・キングの独壇場だ。冒頭挙げたデヴィンはもとより、彼が交わるアルバイト仲間や古手の職員たち、やがて海辺で出会う母子と、登場する人物の傷つきやすい心をそれぞれにあぶり出しながら、幽霊屋敷で起きた殺人事件をからめて、さすがのホラー風味をきかせたミステリーに仕立てあげている。

 と、このあたりまで本稿用に書きつけていたところに本書の見本が届いた。

 さっそくひもといてみて、巻末の編集部N氏による解説に括目する。本作および著者キングに関して——近々刊行される『ミスター・メルセデス(仮)』(翻訳はおなじみ白石朗氏)の情報もふくめ——過不足なく書かれ、間然するところがない。そしてカバー装画の、〈ジョイランド〉の背景をなす美しい青のグラデーションに魅せられるなかで、いまやキングとは切り離すことができない画家、藤田新策さんのブログを発見する。

 http://shinsakufujita.seesaa.net/article/439600147.html

 そこには装画の下絵と完成画とともに、藤田画伯ならではのイメージにあふれた本書の紹介が掲載されている。そのうえ、ご自身でDJもやられるほど音楽好きの画伯が、イラストに仕掛けた遊び心を解き明かされている。

 こうなると、もはや訳者の下手な口舌などつつしむべきだろう。

 ぜひ本書を手元に置かれ、カバー、解説を併せてキングの作品を味わっていただきたいと思う。いつものボリュームからすると、長篇というより中篇に近いかもしれないが、ある意味、キングのエッセンスが詰まっている気もする。

 そこで最後に、あらためて画伯のブログから引用させてもらうことにしたい。なにしろ本書にとって、これ以上なく秀逸なキャッチコピーだと思うので。藤田さん、どうかお許しください。

『ジョイランド』は、「丸一日遊べて入園料は860円+税となっております

土屋晃(つちや あきら)

現在、ジェフリー・ディーヴァーのトリッキーなノンシリーズ長篇 The October List に頭を悩ますかたわら、ニューヨーカー誌で有名なジョゼフ・ミッチェルのアンソロジーにも挑んでおります。

■担当編集者よりひとこと■

 あんなことを書かれたら後がやりにくくなるじゃないですか土屋さん……。

 さてこの『ジョイランド』、単行本をすっとばしていきなり文庫での邦訳刊行となりました。これは原書自体がペーパーバック・オリジナルで刊行されたのを踏襲したためです。大ベストセラー作家キングの作品がなんでそういう形態で出たのかというのは、話すと長くなるので『ジョイランド』巻末の解説をお読みいただければと思うのですが、つづめて言えば、自分と同じ趣味を持つマニアックな版元のために、キングが楽しく自分の趣味の物語を紡いだ作品だということです。「どんな趣味?」と思ったかたは、とりあえずこのページをどうぞ。

http://www.hardcasecrime.com/books_bios.cgi

 どんな空気感の小説なのかというのは土屋さんの紹介文で充分に説明されていますし、真面目な話は解説に書きましたので、上記の土屋さんの文章を読んで気になったら本屋さんに走っていって『ジョイランド』を買って、ひまがあれば解説を読んでいただければよろしいかと思います。なのでここでは解説に書けなかったことをひとつ。

 本書はキング渾身の童貞小説である。ということについて。

 いまどき「童貞」というと、非モテをこじらせて女性憎悪に至ったようなのを思い浮かべるかもしれませんが、もちろんキングがそういう厭な童貞を書くはずもありません(いや待て『クリスティーン』はそういう話か)。それに、キングが本書で書いているこの感じは、男子固有のものでもない気がします。つまり本書は、まずもって黄金の心を持つ全世界の地味系男子女子の魂を痛いくらい鷲づかみにする失恋小説としてはじまるのです。まあね、土屋さんは学生時代からずっと、達者にベースを弾くクール男子だったらしいんでね、そのあたりをああいうふうにサラリとクールに紹介してるわけですが、僕などはもう序盤は読んでて心が痛くて痛くて。キング先輩よくわかっていらっしゃる。

 自分の眼の届かないところで夏のバイトをしている彼女はどこかのイケてる男といい感じになっているんではないかとか。地味な自分はそろそろ振られるんではないかとか。あの悶々とした気分ですよ! わかるでしょう! わからんやつはあっちに行ってよろしい! ……と、そういう気分を抱えながらも、主人公は遊園地「ジョイランド」で先輩の大人たちに揉まれながら、仕事の楽しさと自分の存在価値を実感してゆくのが前半。そして幽霊や殺人鬼の影が濃くなってゆく後半、彼はそこからさらに先へと進んでゆくのです。

 世の中とうまく渡り合えずに苛立つ子どもが、恐怖と不安の線を乗り越えて、ひとりの自立した人間として、社会のなかでの自分というものを見つける瞬間。それが『ジョイランド』でキングが幽霊と遊園地と童貞を通じて描いたものなのです。もちろんそれは、「スタンド・バイ・ミー」にも『ファイアスターター』にも『IT』にもあった、キングの一貫した主題です。それに失敗した子のドラマが『キャリー』であり『クリスティーン』であり、あるいは『シャイニング』のジャック父さんなのでしょう。

 ちなみに夏に刊行する『ミスター・メルセデス』にも、そういう最高に素敵な脇役が出てきますのでお楽しみに。

 その渦中にいるときには辛くて仕方のないことも、やがて歳を重ねると「あれはあれでいい思い出だ」と懐かしく思えるものです。『ジョイランド』は、「スタンド・バイ・ミー」と同じく、書き手が自分の青春時代を振り返って書いている体裁をとっていますから、そういう「記憶のなかの痛み」の枠が、全編にかかっているのです。

 もちろん、記憶によって和らげられない痛みもあります。そこも『ジョイランド』はちゃんと書いています。

 読み終えたら是非、カバーの右肩に小さく描かれたものを見てみてください。

(文藝春秋・N)   

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