ぼくにとって、訳者あとがきを書くのはしんどい作業です。翻訳をするときと訳者あとがきを書くときとでは使う脳の部位がちがっていて、翻訳用の部位を長いあいだ使っていると、あとがき用の部位にエネルギーがまわってくれないのです。ただし、この『スパイの忠義』の訳者あとがきは、しんどい作業ではありませんでした。拷問でした。(決してあとがきから読んでほしいわけではありません)
そう感じた最大の理由は、ストーリーの枠組みのせいです。まず、大枠として「ジョーナ」や「ミランダ」という主人公の名前を冠した大きな章が交互に続きます。「ジョーナ」の章はジョーナの視点で、「ミランダ」の章はミランダの視点で書かれています。そして、大きな章は、時間枠の異なるいくつかの小さな章で構成されています。下は、ページと時間枠です(まだサンプルが届いていないので、原書のページです)——
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ご覧のとおり、特に前半では、時間枠が頻繁に変わります。
主人公は三人いるといっていいと思います。ひとり目のジョーナはイギリスのとある秘密情報組織の一員、ふたり目のミランダはジョーナの恋人ーー途中、中東で出会い、恋人になるいきさつがわかります。そして、ノアという第三の主人公もいて、ジョーナを裏切ったり、裏切られたりします。ノアは視点人物ではありませんが、紙面に出ていないときにはテロ組織に潜入していたり、何事かを企んでいたりしています。ひょっとすると、だれかに脅されていたり、殺されそうになったりしているのかもしれません。紙面に出てこないジョーカーとしてのノアの動きを想像するのが、「読みどころ」というか「読まないどころ」でしょうか。
でも、繰り返しになりますが、こういう枠取りを踏まえて、翻訳作業で疲弊した脳みそをだましだまし動かして、ネタバレしないようにあとがきを書くのは、やっぱり拷問です。
いまさらですが、邦題『スパイの忠義』(原題は A Loyal Spy )のとおり、本書は近現代の欧米と中東を舞台にしたスパイ物です。舞台はアフガニスタン、アメリカ、イギリス、イラク、クウェート、シエラレオネ、トルコ、パキスタン、ヨルダンなどで、ストーリー全体の時間枠(1988〜2005年)のあいだに、9.11 アメリカ同時多発テロ(2001年)があり、その報復として、アメリカを中心とした有志連合諸国と北部同盟が、アルカイダのウサマ・ビンラディンらの引き渡しを拒んでいたアフガニスタンに侵攻し(2003年)、さらに、なぜかイラクにも侵攻し(2003年)、その後、イギリスで、アルカイダによる 7.7 ロンドン同時爆破事件(2005年)が起こります。
本書でも重要なファクターになっている2003年のイラク侵攻について、アメリカの戦略家、歴史家、経済学者、国防アドバイザーであるエドワード・ルトワックの解説を紹介します——
……二〇〇一年に九・一一事件が起こった。これはアメリカにとてつもない精神的ショックを与えた。このフラストレーションを解消するために、アメリカはたった一カ月のうちに「反撃」としてアフガニスタンに侵攻していったのだ。
ここでの問題は、アメリカが「反撃」に出た時、すでにアルカイダやタリバンは戦わずに逃げてしまっていたことだ。……肝心の敵が存在しなかった。
……代わりにアメリカはイラクにターゲットを探すことになったのである。サダム・フセインは九・一一事件とは何の関係もなかったのだが、とにかく彼はそこに存在してあり、しかも逃げたりしないので……ターゲットとして好都合な存在となった。
それを正当化するために流されたのが、「フセインがアルカイダを支援しており、九・一一事件に関与している」というウソの情報であった。
——『中国(チャイナ) 4.0 暴発する中華帝国』(奥山真司訳 文春新書) p. 95-6
もうひとつ、興味深い点があります。先述のとおり、本書のキーワードのひとつは「9.11アメリカ同時多発テロ」です。また、その後のアフガニスタン、イラク両国への侵攻に関連して、グアンタナモ収容所も登場します。そして、ハリケーン・カトリーナ(2005年8月)の描写も出てきます。この三つは、カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン——惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(幾島幸子、村上由見子訳 岩波書店)の内容と一致します。下は岩波書店のサイト( https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/5/0234930.html )に載っていた同書の内容紹介です:
戦争,津波やハリケーンのような自然災害,政変などの危機につけこんで,あるいはそれを意識的に招いて,人びとが茫然自失から覚める前に,およそ不可能と思われた過激な市場主義経済改革を強行する.アメリカとグローバル企業による「ショック療法」は世界に何をもたらしたか.3.11以後の日本を考えるためにも必読の書.
拷問などによってショック状態に陥らせると、人間は通常では考えられないような要求を呑んでしまう。その手法が地域や国にも使用されているというわけです。
つまり、ぼくがこんな駄文を書いてしまったのは、訳者あとがきという拷問によってショック状態に陥っていたときに執筆を頼まれたからなんです——という壮大な言い訳でした。
熊谷千寿(くまがい ちとし) |
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本名です。♂です。最近の訳書:マーク・オーウェン、ケヴィン・マウラー『NO HERO アメリカ海軍特殊部隊の掟』(講談社)、C・B・マッケンジー『バッド・カントリー』(ハヤカワ・ミステリ文庫)、フレドリック・T・オルソン『人類暗号』(ハヤカワ文庫)、イアン・ランキン『偽りの果実:警部補マルコム・フォックス』(新潮文庫)。今月はじめ、久しぶりに参加した推協ソフトボール合宿では、エラー多数、ホームラン一本でした。 |
■担当編集者よりひとこと■
訳者の熊谷さんは嘆いていますが、誤解しないでください。
これは決して読みにくい小説ではありません。それどころか、読み始めたら意外な展開が続いて、どんどん引き込まれていきます。
問題は、物語の構成上、「あらすじ」がとても書きにくいことなのです。これは冒頭のこの年代で明らかになっているから書いて大丈夫だとか、この時点ではこういう事実は明らかになっていないから書いては興をそぐといった判断を、物語の進行と年代を頭に入れながらしなくてはならないからです。とても制約が多く、長年編集者をやってきた私でも難しいと思いました。
とはいえ、「訳者あとがき」やカバー裏の内容紹介は必要です。なんの情報も先入観もなく読んでもらったほうがどんなにいいか、と思う時もあるのですが、本の面白さを読者に伝えなくてはなりません。熊谷さん、ほんとうにお疲れさまでした。
これは壮大な裏切りの物語です。スパイ小説には裏切りはつきものですが、今回は胸を揺さぶります。国家の政策上やむなく幼なじみを裏切った男と、幼なじみで尊敬する相手から裏切られた男。このふたりに悲運の女性が絡んで波瀾万丈のドラマが繰り広げられます。タイトルは『スパイの忠義』。「忠義」と「裏切り」は表裏一体の言葉です。「忠義」とは誰の何に対するものなのか? 読み終わったあとで考えると、なおいっそう楽しめると思います。
この作品は、2010年の英国推理作家協会賞(CWA)賞のスティール・ダガー賞を受賞しました。スティール・ダガー賞は、スリラー(冒険小説、スパイ小説など)を対象にした賞ですが、この年の最終候補作は、ドン・ウィンズロウ『紳士の黙約』、リー・チャイルド『61時間』、スコット・トゥロー『無罪 INNOCENT』、ミック・ヘロン『窓際のスパイ』、モー・ヘイダー『喪失』(アメリカ探偵作家クラブ〔MWA〕賞最優秀長篇賞受賞作)など、強者ぞろい。これらの作品を押しのけて受賞したのですから、その面白さはお墨付きです。できればまっさらな状態で読んでください。きっと満足するはずです。
(担当編集者 T・M)