あとがきなり宣伝文なり、ゴダードについて何か書くときは、作品の雰囲気に合わない浮ついた文章にならないよう常々心がけています。もちろん訳文自体も、ガラの悪い人物の台詞のほうが実はすらすら浮かぶわたくしなりに、品格あるものにしようと日々努めております。でもたまには、ちょっとだけ浮ついた紹介をさせてくださいね。悪の組織(という噂の)翻訳ミステリー大賞シンジケートの根城でなら、きっと許されるはず。

 ゴダードによる三部作の第一巻『謀略の都』は、第一次世界大戦後の講和会議が開かれている1919年のパリで幕をあけます。主要なホテルは各国の代表団の宿舎となって、協議にあたる政治家や政府官僚や外交官、警備を担う警察官や情報局員、移動車両の整備係や運転手らに占拠され、周辺には報道記者や、会議に乗じた隙間商売で稼ぐ者や、物乞いをする元兵士などがひしめいている——そんな混沌の街が舞台です。

 元戦闘パイロットのジェイムズ・マクステッド(通称マックス)は、英国代表団の一員である元外交官の父が転落死したとの知らせを受けてその街にやってきます。父の死には不審な点が多々あるにもかかわらず、関係者たちはなんだか無理のある仮説を立てて事故死として処理しようとしています。これを怪しんだマックスはひとりパリに残って調査をはじめ、死の直前の父が講和会議の行方をも左右しかねない危険な取引にかかわっていたことを知ります。追求を続けるマックスはやがて、各国の主要機関にひそむドイツのスパイたちを敵にまわすことになり……というお話です。

 これまでの作品群と異なる特色はというと、とにもかくにも主人公が若返っています。ゴダード作品の主人公はエリートにせよダメ男にせよ、巻きこまれてしぶしぶ謎の究明に乗り出す中高年男性というパターンが多いのですが、マックスは戦争捕虜になった経験を持ちながらも、トラウマを負うどころか戦闘のスリルを懐かしんでいる27歳のタフガイで、序盤からエンジン全開で行動して物語を牽引します。

 と言っても、今回は脇にまわって主人公をサポートする年配男性たちがいい味を出していますので、「ゴダードの書くおじさんキャラが好きなのに!」というかたもがっかりなさいませんよう。

 裏切りと欺瞞の物語を書きつづけてきたゴダードがスパイものを手がけたと知ったときは、“おお、ついにそちらの方向へ”と思いましたが、実際に読んでみた三部作の印象は、ル・カレやラドラムの本格諜報小説のそれとは全然ちがっていました。この独特な感触は、主人公が本職のスパイではなく肉親の秘密を探ることを第一目的とした素人、という設定から生まれているようです。家族との関係や軋轢もしっかり描かれているせいか、スパイ小説らしからぬドラマ性があります。

 今回は著者お得意の史実と虚構のミックスもかなり大がかりで、歴史的大事件や実在の人物(日本人多数)がストーリーにばんばんからんできます。特に講和会議の首席全権を担った西園寺公望侯爵は、登場場面こそないものの、全三作を通してディープなからみ方をしているので注目です。

 ヒストリカル・スパイ・スリラーの顔をしたこの三部作は、背景がとんでもなく壮大な家族小説と呼んでもいい気がしています。

 各巻の色合いと舞台が変わっていくのもこの三部作のいいところです。主人公が亡き父の遺した謎のリストを手がかりに調査を進めていく第一部は、素人探偵ものに近い雰囲気もあり、舞台はパリに固定されています。第二部『灰色の密命』(3月刊行予定)では、マックスとその仲間たちが英国各地とパリに分かれて、ドイツのスパイ組織リーダーと日本の軍国主義政治家を相手に、諜報ものらしい攻防を繰りひろげます。さらに、第三部『宿命の地』(5月刊行予定)では、探求の果てに日本へたどり着いた主要メンバーたちが横浜、東京、京都を奔走し、クライマックスの冒険に突入します。

 日本と聞いていや〜な予感がしているかた、あちこちの東洋文化をごっちゃにしたようなトンデモ描写や、過剰にデフォルメされた日本人キャラクターは出てきませんのでご安心を。

 ゴダードを継続して読んでくださっているかたは、テンポの速い作品とゆっくりした作品が交互に発表されているのにお気づきかもしれません。速いほうにあたる今回の三部作はエンターテインメント色が強めで、ゴダード初体験のかたにもおすすめです。邦訳版は隔月でお届けしますので、いろいろ忘れてしまうこともなく、いいペースで読み進めてもらえるのではないでしょうか。

 登場人物多数でプロットが込み入っているのはいつもどおりですが、膨大な情報で頭を満杯にして読みふけるのが、ゴダード作品の正しい楽しみ方です。ひるまずページを開いてみてください。あとは練達の語りが引っ張っていってくれますよ!

北田絵里子(きただ えりこ)

20170125225047_m.gif

 文芸翻訳者。主な訳書は、フィオナ・マクファーレン『夜が来ると』(早川書房)、ジェイムズ・レナー『プリムローズ・レーンの男』(ハヤカワ文庫NV)、ロバート・ゴダード『欺きの家』『隠し絵の囚人』(講談社文庫)など。

 金沢在住、翻訳ミステリー金沢読書会世話人

 読書会のお知らせはこちらから発信→ Eriko Kitada @erk_ktd

■担当編集者よりひとこと■

 欧米で刊行される書籍は小説でも学術書でも、かなりのボリュームがありますね。日本の書店では分厚い書物が敬遠される傾向があるのと対照的だと思います。

 名手ゴダードが満を持して世に問う初の三部作、北田さんによる翻訳原稿は400字原稿用紙換算で合計3,500枚に上りました。描かれるのは、1919年の春から夏にかけてのわずか半年足らず。第一次世界大戦後の不安定な世界情勢を舞台にしたことがじつに効果的な歴史小説でもあり、事件が事件を呼ぶ、筋立てが派手なスパイミステリでもあります。

 読み応え重量級。読後の満足感を保証いたします。

 じつは私、ゴダード作品の翻訳も手掛けられる越前敏弥さんとは、ご近所同士の長いお付き合いです。運動会のパン食い競走で越前氏に敗北を喫してから早や十余年。巡り巡ってゴダード作品を担当する奇縁を感じながら、今日も第二部『灰色の密命』のゲラを読んでおります。 

(講談社文庫 H.O.)   

【随時更新】訳者自身による新刊紹介 バックナンバー