本書を訳すことになって、まずは、このウィル・トレント特別捜査官シリーズの前作にあたる『ハンティング』を読んだ。ん? 読んだことがある気がする……。元々よくはない記憶力が最近とみに怪しいので自信はなかったが、読書録を探ってみると、おお、あった! 八年前、某社からの依頼で読んでいた。徐々に蘇ってくる記憶。そうそう、あのときも緻密な構成や、確かな文章力や、人物描写の巧みさに感心したのだった。あいにく、その企画が通ることはなかったのだが、八年たってまたこうして巡り会うことになるとは。偶然? いやいやいや、ここは“運命”ということにしておこう。

 さて作者のカリン・スローターだが、イギリスやオランダではベストセラーリスト一位に名を連ねたこともあり、ヨーロッパで特に人気が高い。著作は三十六か国語に翻訳され、売り上げはトータルで三千五百万部を超えているにもかかわらず、残念ながら日本での知名度はいまひとつだ。このシリーズをきっかけにもっと広く読まれるようになってほしいという願いをこめて、本書を紹介させていただこうと思う。

 夫である警察官のジェフリーを失ったサラは、故郷のハーツデールからアトランタに生活の拠点を移していたが、休暇で実家に戻ってきた際に事件に巻き込まれる。殺人犯として逮捕された若者が、かつてサラがこの地で小児科医として勤務していた頃の患者のひとりだったのだ。だがその若者は留置場で自ら命を絶ってしまう。死ぬ前に自白したと聞かされたものの、その若者をよく知るサラは彼に犯行は不可能だと確信する。取り調べにあたったのがレナという刑事であることを知ったサラは、彼女がまた失態を犯したのだと考え、事件の再調査を州捜査局に依頼した。かつてジェフリーの死の原因を作ったのがレナだったからだ。そして派遣されてきた特別捜査官のウィルはレナと共に捜査を開始するのだが……

 ウィルは常に三つ揃いのスーツをまとい、一見会計士に見えるような風貌だが、実はジョージア州捜査局きっての敏腕捜査官である。その外見にだまされて対峙する相手がつい油断してしまうところとか、まったく関係なさそうな話をしているふりをしてじわじわと相手の首を絞めていくところなどは、刑事コロンボとよく似ている……ような気がする。古ぼけたレインコートは着ていないし、もっとずっと若くてハンサムではあるけれど。犯人側からすると、これほどいやな相手はいないかもしれない。ウィルには読み書き障害【ディスレクシア】があり、それをまわりの人に気づかれないようにあれこれ工夫を凝らしているのだが、非常に観察眼が鋭いのはその障害を補うためなのだろう。

 作者は作品ごとに、ウィルと幼馴染でありのちの妻となるアンジーとの関係や、ウィルと相棒であるフェイスとのパートナーシップなど、事件と並行して主要登場人物たちの人間模様を描いていて、本書ではサラとレナの関係に焦点が当てられている。このふたりの心理描写が絶妙で、実際に顔を合わせてはいないのに対決しているように思えてくるのだが、これが人間の弱さとか醜さといったものを突きつけられているようで、実はかなり怖い。間接的にではあるけれど夫を殺したのはレナだと考えているサラ。非は認めながらも、自分は悪人ではないと信じているレナ。同じひとつの事柄であっても、見る角度が変わるとまったく別物になってしまうことがよくわかる。

 本書では凄惨な場面を封印し、違う形の恐怖を追及したようだが、いずれの作品でも残酷な描写が多い作家である。鈴木美朋さんと交互に担当するので一息つけるものの、人間の残酷さを見せつける本シリーズの迫力は際立っている。前作『ハンティング』共々、今後のシリーズも楽しみにお待ちいただければ幸いである。

田辺 千幸(たなべ ちゆき)

 主な訳書はリース・ボウエン「英国王妃の事件ファイル」シリーズ(原書房)、エミリー・ブライトウェル「家政婦は名探偵」シリーズ(東京創元社)、ジム・ブッチャー「ドレスデン・ファイル」シリーズ(早川書房)など。

 二年前にダイエット目的で始めたランニングにすっかりはまり、ランニングシューズコレクターと化している今日この頃。

■担当編集者よりひとこと■

 皆様、ハーパーBOOKSイチオシ作家、カリン・スローターの登場でございます。

「ハーパーBOOKS」って何? という方のために説明いたしますと、米国の大手出版社ハーパーコリンズの日本法人ハーパーコリンズ・ジャパンから2015年に産声をあげた文庫レーベルでして、この7月にめでたく創刊2周年を迎えます。どうぞお見知りおきください。

 さて、今作『サイレント』『ハンティング』に続く、特別捜査官ウィル・トレントを主人公にしたシリーズの新作となっています。米国ではすでに8作目まで発売されている人気シリーズで、追いつけ追い越せの勢いで次作『FALLEN(原題)』は2017年内に刊行を予定しています。

「次作まで待てない」という方は、猟奇っぷりが半端ない、1話完結の『プリティ・ガールズ』もおすすめです。背筋の凍る残忍さと密度の濃い人物描写に、気づいたらはまってしまう人続出の人気作家。田辺千幸さんと鈴木美朋さんの二人三脚で、日本でも続々刊行予定です。

 また、翻訳ミステリー大賞の授賞式でプレゼンが時間切れになった我が社のイチオシ、ダニエル・シルヴァの新刊『ブラック・ウィドウ』も7/22にいよいよ発売です! どうぞお楽しみに。

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※表紙は変更の可能性がございます。ご了承ください。

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【↑ダニエル・シルヴァ『ブラック・ウィドウ』紹介フライヤーのダウンロードはこちら】

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(ハーパーBOOKS編集部:担当N) 

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