ウィリアム・ボイル『わたしたちに手を出すな』(鈴木美朋訳 文春文庫)の冒頭。9年前に夫を亡くし、ひとりで暮らしていたリナ・ルッジェーロが、近所に住む老人エンジオの自宅に呼ばれ、セックスを迫られた挙げ句、ガラスの灰皿でエンジオの頭部を殴打するというシーンがある。

 エンジオは、夫を亡くしてずいぶん経つリナの気持ちを汲んで自宅に誘いワインを勧め、ポルノ映画を見せ、バイアグラを飲み、結果として灰皿で殴られてしまう。殴られる要因を作ったのはもちろんエンジオで、その理由を挙げるなら、1)彼女の気持ちを汲んだ気になっているというひとりよがり、2)たいていの男性と同じく、女性もポルノ映画を見れば気持ちが高揚するだろうという勘違い、3)バイアグラを飲んだ自分を見せつければおのずとそういう気持ちになるはずという予断、といったところだろうか。

 30年近く前、「多少抵抗してても、乳首に触りさえすればもうその女はいけたも同然」と嘯くような男と知り合いだったことを思い出す。「いやよいやよも好きのうち」を地で行くような男に向かって、それを犯罪だと指摘する声は当時まったくなかった。逮捕されるリスクはおろか、灰皿で殴られるリスクすらなかったのだ。そもそも順序が逆なのだ。なぜ相手が承知していないのに行為に及ぼうとするのだろうか。それから30年経ったいまでこそ、#MeTooを始め、世界中でさまざまな動きはあるものの、状況が大きく変わったとは言い難い。未だマチズモは維持されていると言わざるを得ないのである。

 そんなことを考えつつ読み始めた本作は、3人の女性たちが、愚かな男たちによって次々にもたらされる厄災をかわしながら生き延びていく様を描く、実に痛快なサスペンスであった。

 エンジオを殴り倒して逃げ出したリナはブロンクスに住む娘のエイドリアンを頼るが、以前から母娘の関係は最悪で、エイドリアンはリナに会おうともしない。エイドリアンの娘ルシアもまた母親を嫌っており、言い合いをしては家を飛び出す。そんなルシアを、向かいに住む元詐欺師にして元ポルノ女優のウルフスタインが家に呼び入れる。リナもまたウルフスタインの家に迎えられ、祖母と孫は久々の再会を果たす。一方、エイドリアンと愛人リッチーは、マフィアの仕事仲間を殺して奪った金を元手に、ルシアも含めた3人で新しい暮らしを始めようと、ニューヨークを離れる計画を立てている。こうしてウルフスタインの家にはリナルシアエイドリアンリッチーが一同に介することになるのだが、マフィアの殺し屋がリッチーを襲撃したことをきっかけに、リナ、ウルフスタイン、ルシア3人の逃避行が始まるのである。

 本作の特筆すべきところはキャラクターの存在感だ。3人の女性と2人の男という5つの視点が目まぐるしく移り変わるという構成でありながら、キャラクターの人間性をくっきりと浮かび上がらせている。主役の女性たちのみならず、糞みたいな男どもでさえも愛着を感じてしまうほどの掘り下げようでありながら、作品全体の疾走感はまったく失われていないのだからまさに脱帽もの。一気読み必至の快作に仕上がっている。

 殺人、金、逃避行という、サスペンス小説ではもう数え切れないほど扱われたネタでありながら、これほど新鮮な物語がまだ描けるのかと驚く。60歳を過ぎ、けっして楽じゃない人生を過ごしてきた女性たちの友情と行く末、そして糞野郎どもの末路をしかと見届けられたい。ユーモアとドタバタが満載で楽しく読める作品だが、マチズモからの脱却を意識させられる一作でもある。

 この連載には「読み逃してませんか~??」というタイトルがついているので、いつもそのような目線で作品を選んでいるのだが、つい最近私自身が「しまった読み逃してた」と思ったのがアリス・フィーニーである。昨年3月に刊行された『ときどき私は嘘をつく』(西田佳子訳 講談社文庫)でデビューし、この8月には『彼と彼女の衝撃の瞬間』(越智睦訳 創元推理文庫)が出たばかりなのだが、この2作品、どちらも「ミステリを読む」という楽しみに満ちあふれており、ぜひここで取り上げたいと思った。

 デビュー作を読み逃していたのは、刊行時期と私の仕事の関係による。2020年3月といえば、国内のコロナ患者が少しずつ増え始め、仕事のほうが次第に慌ただしくなっていった時期。だからチェックが甘かった、というのはもちろん言い訳に過ぎないのだが、どんなに忙しくても新刊チェックの手は抜かないよう心する次第である。

 前者は、何らかの理由で病院のベッドに寝たきりになっている(けれど耳だけは聴こえている)主人公が、病室での会話だけを頼りに、なぜ自分がこんな状況に置かれているのかを探っていくミステリであり、寝たきりの原因となった出来事の記憶が抜け落ちている主人公の「現在」と「少し前」が交互に語られ、それに「だいぶ前」と称された幼少期の日記が時折差し込まれる構成となっている。

 後者は「彼」と「彼女」の二人が、ある殺人事件について自らの視点で語っていくことで事件の様相を明らかにしていくというタイプのミステリだが、これもまたこの語りの間に誰ともつかない人物のモノローグが挟まれていく作りとなっている。

 2作とも中身についてはこれ以上触れることができない(というかこれだけでもけっこうスレスレではないか)し、これだけだとどちらも同じような作品に見えてしまうと思うが、味わいはまったく違う。似た構成でこれだけ味わいの異なる物語を作り上げるところに、2018年のデビュー以来、まだ4作しか出ていない作家とは思えない力量の高さが伺える(2作目、4作目は未訳)。

 もうひとつ触れておきたいのは、海外文庫にはつきものである冒頭の「登場人物紹介」が、この両作品にはないということである。事前情報など一切入れずに読み始めてほしいというこの趣向、出版社から出たものにしろ著者側から出たものにしろ、それは作品に対する信頼感の表れ、おもしろさへの絶対的な自信からくるものだと言えるだろう。

 どんなに先読みしようと、とことん惑わされること間違いなし。どちらも読み逃してはならない作品である。読み始める際には、紙とペンをご用意いただくことをオススメする。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。