先日登壇した『見知らぬ人』トークイベントにおいて、課題書にちなんだ「次に読む一冊」を紹介するコーナーがあった。私は多視点の物語という観点から、アイヴィ・ポコーダ『女たちが死んだ街で』(高山真由美訳 ハヤカワ・ミステリ)を紹介したのだが、なにぶん時間がなさすぎて、このとても複雑な物語の、さわりにもならないようなことしか言えなかったので、今回は当欄でしっかり取り上げたい。

 舞台は2014年のロサンゼルス、ウェスタン・アヴェニュー。物語はこの界隈に住む女性たちの語りによって進められる。フィッシュフライスタンドを営むドリアン、ストリップクラブで働くジュリアナ、風俗取締係の刑事エシー、アーティストのマレラとその母であるアネケという順で、彼女たちひとりひとりの日常が語り継がれていく。彼女たちの語りの背景には、15年前にこの地区で起こった連続殺人事件が横たわっており、それぞれの語りの合間に、当時唯一の生存者となったフィーリアという女性のモノローグが差し込まれるという構成になっている。彼女らの語りは、登場人物の重なりはあるものの独立した短編のようになっており(語り手が変わるごとに章立ての数字もリセットされる)、いわば連作短編集の趣も備えている。

 語りが進むにつれ、15年前に起こった連続殺人の被害者が13人だったことや、そのほとんどがセックスワーカーだったこと、そしてこの事件が未だ解決していないことなどが明らかになってくる。同時に、未解決となっている理由が警察の無関心と予断によるものだということも描かれており、そこから語り手に共通する痛みや苦しみ、あるいは喪失感といったものが浮かび上がってくる仕組みになっている。

 そんななか、15年前と同じ手口で女性が殺害されるという事件が起こる。警察は昔の事件との関連性に着目することもないまま捜査を始めるのだが、エシーただ一人が過去の事件との接点にこだわろうとする。しかし風俗取締係である彼女には直接捜査に関わることが許されておらず、できるのは、事件に関係のある女性たちの話をただ聞き続けることしかなかった。強者からの暴力に常に晒され続け、どれだけ叫び続けても聞き届けられることがなかった女性たちの声にようやく耳を傾けようとする刑事が現れたことで、バラバラの点でしかなかったものが徐々に繋がり始めてゆく。

 著者が描いているのは、「セックスワーカーなら何をされても仕方がない」「犯人は黒人に違いない」などといった職業差別、性差別、人種差別の現実であり、このような差別に満ちた世界で、喘ぎながらサバイブしていこうとする女性たちの姿である。先に述べたとおり、本作は女性たちの語りで構成されているため、殺人を扱いながらも警察の捜査がほとんど描かれない。しかし代わりに、しつこいくらいに描写される女性たちの痛み、不安、怖れ、失望が、本作を優れたサスペンスとして成立させている。

 また本作は、事件の解決が人々に何をもたらすのか、という問題も提起している。殺人犯が捕まりさえすれば、自分たちの境遇に何か変化が生まれるのか。職業や人種、性によって差別されている人たちの人生が変わるのか。被害者の家族にには平安が訪れるのか。痛みや苦しみを受け続けた女性たちに癒やしは与えられるのか。このようなことを著者は読む者に強く突きつけてくる。これまで決して届くことのなかった彼女たちの声が聞き届けられたとき、彼女たちはその先に何を見るのか。それを見届けることこそ、本作のページを開く私たちに課せられていることなのである。

 

 改めて、10月23日におこなわれた読書会トークイベントをご視聴いただきありがとうございました。登壇者の一人として心から感謝申し上げます。課題書となった、エリー・グリフィス『見知らぬ人』(上條ひろみ訳 創元推理文庫)は、作中作や見立て殺人など、さまざまな要素がこれでもかと盛り込まれた作品です。ネタばれありのイベントだったため、読み終わってからごらんいただいたことと思いますが、そういった方々にも改めて読み返したいという気持ちになっていただければ幸いです。まだお読みになっていない方も、ぜひ読んでいただいてからイベントのアーカイブをごらんいただければと思います。

 自分一人では決して気づくことのできない何かに気付かされること、これが読書会の醍醐味だと私は思っています。このようなイベントを通して、ひとりでも多くの方に読書会の魅力が伝わり、全国の翻訳ミステリー読書会がおおいに盛り上がっていくことを切に願うものです。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。