カルメン・モラという作家について、現在唯一の邦訳作品である『花嫁殺し』(宮崎真紀訳 ハーパーBOOKS)のあとがきには次のように記されている。

著者のカルメン・モラは匿名作家で、本書の舞台であるマドリード出身の女性作家だということはわかっているが、ほかのプロフィールは完全に伏せられていて

(訳者あとがき 509ページより引用)

 しかし先月の中頃、このプロフィール自体が虚構だったという記事がネットに出て大変驚いた。カルメン・モラという人物は実在せず、実は3名の男性脚本家の共同筆名だったということを、スペインの文学賞授賞式で公表したというのだ。

 著者代理人のウェブサイトには後ろ向きの女性の写真が掲載され、過去のインタビューでも夫と子がいる大学教授だと述べているため、カルメン・モラという人物がひとりの女性作家なのだということを、周囲が疑う余地はなかっただろう。このことによってモラの件は、単に匿名作家の素性が明かされたというだけではなく、読者や関係者を「騙していた」という部分にスポットが当たることとなった。

 世に匿名作家は数多く存在していて、モラのように受賞を機に正体を明かす作家もいれば(日本では推協賞受賞時に素性を明かした北村薫が思い出されますね)、匿名で活動し続ける作家もいる。さまざまな事情から匿名を選択するというのは十分理解できるが、隠すことと偽ることは違うという考え方もある。モラについては、匿名性を維持するだけなら性別不詳でも構わなかったのではないか、あるいはなぜ自分ではない写真をウェブに掲載したのか、などの疑問があり、実際に本国ではこのやり方に対して強い批判も出ているようだ。

 とはいえ、作家の態度が批判されたとしても、それで作品のおもしろさが損なわれるわけではない。モラという作家についてこのようなニュースが出てしまったことが、『花嫁殺し』という作品を手に取らないという理由になってはいけないのである。というわけで今回は、このスペイン産スリラーを取り上げる。

 本作の舞台はマドリード。とある公園で若い女性の他殺体が発見される。すぐに身元は判明し、その女性が結婚を控えており、独身最後の、女性だけのパーティに参加していたその晩に殺害されたことが明らかになる。それどころか被害者の姉も7年前、結婚直前に、しかも同じ手口で殺害されていたことがわかったため、7年越しの連続殺人という線が見えてきた。しかし、そちらはすでに犯人が逮捕され、現在は刑務所に収監されているため、少なくとも今回の事件に関与していないことははっきりしている。今回の事件は模倣犯なのか。それとも同一犯なのか。だとしたら7年前の捜査になにか問題があったということになるのだろうか。

 特殊分析班(BAC)は、通常の警察組織から独立しており、一般的な事件を扱うことはほとんどない。しかし今回は7年前の事件との関連性、そして殺害方法が極めて猟奇的(こんな殺し方があるのかと正直驚いた)だったことから、BACが初動の段階から乗り出すこととなる。このBACの面々がとても個性的で、とりわけ主人公でありチームのリーダーでもあるエレナ・ブランコのキャラクターが際立っている。五十歳も目前という年齢ながら三十代の体を維持しており、若い男性とマンションの駐車場でゆきずりのセックスを楽しんだかと思えば、昼夜を問わずグラッパを呷るという奔放ぶり。しかし捜査となれば決して手を抜かない優秀な警察官であり、メンバーの信頼も厚い。マドリードの一等地にあるマンションに一人暮らしをしているが、離婚歴があり子どももひとりいることが後に明かされる。この、エレナの子どもをめぐるエピソードもまた、物語を紡ぐ糸の一本となっている。

 そしてもうひとりの主人公ともいうべき、アンヘル・サラテもまた独特なキャラクターの持ち主である。件の殺人を担当する所轄署の刑事だが、BACに事件を横取りされたことを根に持っており、半ば強引に捜査に首を突っ込んだあげく、時限措置のような形でBACの一員となった。気が強く、誰にでも強気の態度で出るような気質があり、あるメンバーには強い反感を買っている。またサラテは、7年前の事件で陣頭指揮を取った引退警官を師と仰いでいるため、ふたつの事件が同一犯なのだとしたら師の顔に泥を塗ることになりかねない。認知症に苦しみつつある師に、そんな事実を突きつけることは避けたいと考えていた。

 また本作では、スペインにおけるロマの立ち位置についても描かれる。特定の地域にコミュニティを形成し、差別に耐えながら生活してきたロマのなかには、ドラッグなどが絡む犯罪に手を染める人が多いといわれているが、一方では古い習慣を守り家族を大切にするという民族性も持っている。しかしそのことは、逆にそこから抜け出したい、出自を隠したいと思う人々にとって強烈な足かせとなる。そういった状況が本作にも色濃く反映されている。

 物語はエレナサラテ、そしてBACメンバーそれぞれの動きを中心として進んでいくのだが、メンバーそれぞれのキャラクターが立っているため、彼らのやり取りが大変おもしろく描かれる。と同時に、猟奇殺人をめぐる展開の妙や、エレナの個人的な事情や警察官同士の軋轢などさまざまな要素が絡み合い、謎は二転三転しながら読者を翻弄する。そう簡単に真相にたどり着かせてはくれないという意味では大変よく練られたミステリだと言える。

 一方で、殺害方法や後半明らかになってくるある要素などはいささか過激すぎるのではと考える方もいるだろう。三部作の第一作ということもあり、ラストは大変なクリフハンガーとなっているのだが、そういうことも含めて「外連味あふれる」という表現がぴったりの作品である。本国ではすでに三部作すべて刊行済み。邦訳が出るのかどうか、あとがきによると未定のようだが、これはぜひ最後まで読ませてほしいと思う。ホントお願いします!

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。