ミステリー小説の背景に、差別や貧困、あるいはドラッグ、DVなどの暴力といった社会的な問題が横たわっていることが多いのは、これらの問題が犯罪と密接に関係がある、というか犯罪を引き起こす要素を多分に孕んでいるからだろう。と書くと、こういった問題に苦しんでいる人たちが犯罪を犯すかのように勘違いされそうなので言い換えると、こういった問題の渦中にある社会的弱者が被害者となる小説が数多く書かれている、ということだ。

 私たちはもちろん娯楽としてミステリー小説を読む。そしてその行為はとりもなおさず、こういった問題に思いを馳せることでもある。この「読者賞だより」でもそういった作品をいくつか紹介してきた。そして今回も、と言いたいところなのだが、今回取り上げる作品をどういう文脈で紹介すればいいのか、正直なところいまも考えあぐねている。ただ、この作品が放っているただならぬ怒りの熱量については、どうしてもいま書き記しておかなければならないという、これもまた熱にほだされたような状態で、パソコンに向かっている。

 30代も半ばにさしかかり、気力もないまま調査会社の仕事を続けているルーシーは、ある日素行調査の対象であった15歳の少女、ヴァランティーヌを見失ってしまう。依頼人である祖母は激怒し、彼女に与えた任務を素行調査から行方不明者の捜索へと切り替えた。そんな経験などまったくないルーシーは途方にくれ、それでもなんとか伝手を頼って、裏の世界では名の知れたフリーの探偵ハイエナに協力を依頼することに。ルーシーのことなど歯牙にもかけない態度のハイエナだったが、なぜかルーシーの依頼を引き受ける。こうしてルーシーは、優秀だが少々手に余る相棒とともに、少女の捜索に乗り出した。

 ヴィルジニー・デパント『アポカリプス・ベイビー』(齋藤可津子訳 早川書房)はこのようにして始まる。

 この部分だけを取れば、よくある探偵小説の始まりのようだ。始めルーシーは、ハイエナがどうしても理解できない。ハイエナもまたしかり。行動をともにするにつれ二人がわかりあうという流れは、バディものとしてお決まりの展開と言ってもいい。しかしそのわかり合えなさが、性的指向の相違を中心に描かれるところが他とは違う。ヘテロのルーシーとビアンのハイエナ。この二人がどんな経緯を辿ってわかりあうことになるのか、というのは実は少女の捜索とはあまり関係がない。しかし、デパントはこのことをしつこいくらいに描き続ける。それはなぜか。

 本作は、ルーシーの一人称での語りをベースにしているが、その合間にヴァランティーヌに関係のある人たちの視点で語られる章が差し込まれるという構成になっている。その人物は全部で7人。ヴァランティーヌの父親フランソワ、フランソワの再婚相手であるクレール、ヴァランティーヌのいとこヤシヌ、実母ヴァネッサ、ハイエナ、修道女エリザベス、そしてヴァランティーヌ本人。私たちは、これらの語りを追いながら、事件との関わりを探っているかと思えば、次の瞬間には彼らそれぞれの個人的な事情を垣間見る。そこに描かれるのは、事件と直接関係がない彼らの俗物性であり、醜悪さだ。置かれた立場や抱えている問題はさまざまだが、彼らに共通しているのは孤独と激しい怒りだ。デパントはこの7人のみならず、さまざまな境遇にある人たちを数多く登場させ、彼らを通してそこに渦巻く怒りを描き出す。それはなぜか。

 少女の失踪という探偵小説的な切り口はデパントにとってこの怒りを描き出すとっかかりに過ぎない。というのも、この失踪事件自体はそれほど複雑なものではなく、少女の行方は割とあっさり明らかになるからである。しかし、当のヴァランティーヌは物語後半まで登場することはなく、それまでは上に書いたように彼女を取り巻く人たちについて延々と語られるのだ。まるで私たちに、このような俗物的な人々に取り囲まれたヴァランティーヌの本心とその選択を目撃する覚悟を決めさせるかのごとく。

 1993年に刊行されたデパントのデビュー作『バカなヤツらは皆殺し』(稲松三千野訳 原書房 邦訳は2000年刊行)は、若い女性二人がとにかく目の前にあるものすべてを撃ちまくり殺しまくるという衝撃的な作品だったが、この作品の主人公のひとりであるナディーヌが最後の1ページでたどり着く境地というのは、実は本作におけるヴァランティーヌの選択と(デビュー作で描かれたほどの哀切さはないものの)共通するのではないかと思う。つまりデパントは、デビュー作と本作でまったく同じことを描いているのだ。デビュー作においてストレートに描かれたデパントの怒りは、それから十数年の年月を経て醸成され、さまざまな境遇に置かれた人々のなかに蔓延する不安や鬱憤を取り込みつつ、探偵小説という軒を借りることによってより巧みに、より盛大に爆発した。それがこの『アポカリプス・ベイビー』なのではなかろうか。

 それにしても、本作が2010年に刊行されたというのがどうしても信じられない。どこをどう読んでも、10年前に書かれたものとは考えられない。たったいま刊行されたといってもまったく不思議ではなく、まるで現在の社会情勢を予見したかのような書きぶりにただただ驚愕するしかない。どうか本作を通して、デパントの怒りとその熱量の高さに触れてみてほしい。できればデビュー作も、と言いたいところだが現在入手が難しいようで、こちらもぜひ復刊してほしいものである。

 というわけで、2021年最後の記事となりました。今年も読者賞だよりにお付き合いくださってありがとうございました。拙いながらも精一杯、読み逃してほしくない作品を紹介してきたつもりです。どうかひとつでも多く、みなさまの読書計画に加えてくださいますよう。

 年が明けたら、第10回読者賞の告知も少しずつ始めてまいります。頭の隅っこに留めておいていただけると幸いです。また現在、翻訳ミステリー大賞の予備投票も絶賛受付中です。1月7日の締切に間に合うよう、みなさまの投票をよろしくお願いいたします。

 それではまた来年お目にかかります。みなさまどうぞよいお年をお迎えください!

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。