詩篇は、旧約聖書に収められた聖典39書のうちのひとつであり、150篇の神への賛美の詩で構成されている。その半数近くがダビデによるものと言われているが、そのなかでも第22篇は有名なもののひとつで、とくにその第1節がよく知られている。

わが神、わが神、
なにゆえわたしを捨てられるのですか。
                    口語訳聖書 詩篇22篇1節

「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」というイエスの公生涯最後の叫びはここから引用されている。この絶望とも取れるような叫びから始まる第22篇の主に前半は、周りから蔑まれ、攻撃され、心身ともに疲れ果ててしまった詩篇作者(ダビデ)が、神に向かって嘆き、救済を懇願する内容になっている。しかしこの詩は、前半の嘆きから一転して後半には祈りが聞き届けられたことへの賛美に転換していく。その転換前の、最後の嘆きが以下である。

わたしの魂をつるぎから、
わたしのいのちを犬の力から助け出してください。
                    口語訳聖書 詩篇22篇20節

 だらだらと詩篇の話ばかりして何事かと思った人も、この節を読めばピンとくるものがあるのではなかろうか。というのもこの節は、ドン・ウィンズロウ『犬の力』(東江一紀訳 角川文庫)のエピグラフとして引用されているからである。そしてこの節は、原書の刊行から54年もの時間を経て昨年ようやく邦訳刊行されたトーマス・サヴェージ『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(波多野理彩子訳 角川文庫)にもエピグラフとして引用されている。というわけで今回は、かの傑作『犬の力』と原題が同じ、エピグラフも同じというこの作品を紹介したい。

 舞台は著者が育ったモンタナ州と思しき架空の土地。大戦後の好況に沸く1920年代、牧場主として成功した父の跡を受け継いで牧場経営に勤しむ二人の兄弟が物語の中心人物である。兄のフィルは牧場の仕事をなんでも器用にこなすうえ学業も優秀、読書家にして芸術にも秀でており、牧場に雇われているカウボーイたちのカリスマとして、その存在は牧場のみならず町の人々にも広く知られている。一方、2歳年下のジョージは、人のよさと真面目さだけが取り柄のずんぐりむっくりで、兄からはいつも「太っちょ」と呼ばれからかわれている。

 フィルについて最初は、牧場でのさまざまな作業で手を守るために誰もが着用する手袋をまったくしないことや、どこに行くにも常にカウボーイの格好でいること、あるいは移動には常に馬を使うところなど、牧場で働く男としての強いプライドを持っている様が描かれる。しかし、女性を極端に嫌うことや、自宅で入浴せず自分しか知らない川辺で月に一度だけ沐浴をするなどの様子が描かれるに至って、読者の目にも寡黙でストイックなカウボーイと映っていたはずの男が、徐々に奇妙に見えてくる。種々の才能に恵まれ、なにひとつ欠けのない男が、実は女性を嫌悪し、人種差別的な思想を持っていて、酒場で居合わせた酔っ払いの医者を自殺に追い込んでしまうほど面罵するという異常さを兼ね備えた男でもあったと読者が再認識するまで、そう時間はかからない。一方で、愚鈍なだけだと思われていたジョージが、実は人がいいだけではなく良識的な考えの持ち主であることが徐々に描き出されており、フィルジョージは兄弟でありながらどこまでも対照的であることが強調されている。前半は、このような兄弟の牧場における暮らしぶりが描かれる。

 物語が動き出すのは、ジョージローズという寡婦と結婚することをフィルに告げる辺りからである。ローズの前夫は、フィルが以前自殺に追いやった医者であり、このことをフィルとジョージはもちろん知っているが、ローズは知らないままであった。異常なほどに女性を嫌うフィルは、弟が、しかも自分が手ひどく面罵した男の妻だった女と結婚することが気に入らないため、ローズに対してさまざまな嫌がらせをする。また、ローズと前夫の間にはピーターという息子がいて、この息子が中性的なたたずまいであるために、フィルはより嫌悪感を抱く。このことはローズを苦しめ、その苦しみから逃げるように彼女はアルコールに溺れていく。

 フィルはなぜここまで女性を嫌うのだろうか。ヒントは、時折フィルの口に上るブロンコ・ヘンリーというカウボーイにある。フィルとジョージがまだ若いころ、彼らにカウボーイのイロハを授けた人物のようなのだが、フィルはこのブロンコ・ヘンリーに深く心酔しており、ことあるごとに彼のことを引き合いに出す。彼の存在が、フィルのカウボーイとしての矜持を支えているだけでなく、生きる縁なのである。読み進めていけば、作中明確には描かれない、ブロンコ・ヘンリーに関わるある事柄がフィルの行動に多大な影響を与えていることが理解できるだろう。

 はじめに私は、詩篇22篇は大きく二つに分かれておりその変わり目に当たる20節がエピグラフとして引用されていると書いた。22篇の前半は嘆きであり、後半は賛美である。

 ローズを嫌悪し、息子のピーターすらも利用して彼女を苦しめようとするフィル。フィルの嫌がらせに消耗し、どんどんアルコールに耽溺していくローズ。フィルの思惑など素知らぬ様子で彼に急接近していくピーター。その様子を間近で見ていながら何もしようとしないジョージ。4人それぞれが抱く嘆きとはなにか。犬の力から逃れたのち、4人にもたらされるものはなにか。そして犬の力とはいったい何なのか。これらを読み取ろうとすることこそ、この作品を味わう醍醐味ではないかと思うのである。

 ところで本作は、ジェーン・カンピオン監督、ベネディクト・カンバーバッチ主演で映画化されたことでも話題になった。原作の持つ緊張感や不穏さをそのままに映像化されており、大変見応えのある作品なのでこちらもぜひ。私はできれば、原作→映画の順で見るのがいいと思うのだが、みなさんはどう思われるだろうか。

 

 2022年も読者賞だよりをよろしくお願いいたします。3月には第10回読者賞の投票も控えております。今回は、2021年に刊行された翻訳ミステリー小説が対象となります。詳しい告知は近々おこなう予定ですので、ぜひそちらもお楽しみに。

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。