制御不能となったトロッコの進む先に5人の作業員がいる。このままでは暴走するトロッコにはねられて作業員は全員死んでしまう。あなたは線路の切り替えポイントのすぐそばにいて、それを切り替えれば5人の命を救うことができる。しかし、切り替えた先には1人の作業員がいて、5人を救おうとすればその1人が死んでしまうことになる。暴走するトロッコが切り替えポイントに迫るなか、あなたはポイントを切り替えるのかそれとも……。

 これはトロッコ問題と呼ばれる倫理学上の有名な問題である。ポイントを切り替えれば5人は助かるが1人は死ぬ。逆だと1人は助かるが5人は死ぬ。功利主義的な考え方をするなら5人が助かる方が正しいと判断するだろう。しかし道徳的にはどうかとなると、ポイントを切り替えようが切り替えまいが人は死ぬわけで、そういった行為に加担しないという選択しかないことになる。

 これは単なる思考実験ではなく日常のなかにも潜んでいて、たとえば災害や救急の現場でおこなわれるトリアージという行為もそうである。重症度や緊急度に応じて傷病者を振り分けるこの行為は、医療の原則から外れたいわば「命の選別」をおこなっているとも言え、いまもさまざまな議論がなされている。そんななかでもこの制度が運用され続けているのは、リソースが限られている災害の現場において必要不可欠な行為であるという認識があるからで、全員を救うことが叶わないのなら可能性の高い者から救うという、ある意味功利主義的な考えに基づいた行為なのだと言える。

 数の多いほうを残すという功利主義的判断も、たとえば支線側にいる1人がVIPだったら? などの要素が加わることで容易に揺らいでしまう。誰かを助けるために人の命を犠牲にするという判断が選択者には許されるのか。許されるのだとしても、状況に応じて選択に揺らぎが生じてもかまわないのか。トロッコ問題にはこのようなジレンマがどうしてもつきまとう。

 T・J・ニューマン『フォーリング ―墜落―』(吉野弘人訳 早川書房)を読むと、こういったジレンマについて改めて考えさせられる。

 ロサンゼルスに住む、コースタル航空の機長であるビル・ホフマンはある日、上司の頼みでニューヨークへのフライトを引き受ける。しかしその日は、息子のスコットが出場するリトルリーグの開幕戦で、ビルはその試合を見に行く約束をしていたのだった。妻のキャリーは、息子よりもフライトを選んだビルに対する不満を抱えながらも夫を自宅から送り出す。その直後、キャリーとスコット、そしてまだ生まれてまもない娘、エリースの三人は、インターネットの修理を装って来訪した男に誘拐されてしまう。

 家族が誘拐されたことを知らないビルは、ロサンゼルス国際空港に到着し、いつもどおりフライトの準備をし、離陸して、自動操縦を作動させる。しばらくするとビルのPCにメールが届く。見てみると妻からの、件名も本文もない添付ファイルだけがついているメールであった。ファイルは、自宅で妻と息子が写っている画像だったのだが、画像のなかの妻の様子は明らかにおかしかった。自爆ベストが彼女の体を覆っていたのである。画像を見て混乱しているビルのもとにFaceTimeの着信があり、隣にいる副操縦士に気取られないようイヤホンを装着したビルは、その画面に淡褐色の肌の男を認める。やがてビルは、それが自分とほぼ入れ違いに自宅を訪れたインターネット修理の男であると気づき、その男に家族が誘拐されたことを理解する。

「飛行機を墜落させろ。さもないとあんたの家族を殺す」

 これが男の要求であり、この要求によってビルはトロッコ問題における切り替えポイントに立たされたことになる。乗客の命か家族の命か。まさに命の選別を迫られたビルだったが、男はなおも、ビルに対して隣にいる副操縦士を殺すよう命じたり、キャビンに向かって有毒ガスの缶を投げ込むよう指示するなど、ビルの精神を徹底的に追い込んでいく。ここまでで実はまだ60ページ弱。この展開の早さとテンポのよさは、本作の特徴のひとつでもある。

 ビルの他に視点人物が二人いる。一人は客室乗務員のジョー。ビルとは家族ぐるみでの付き合いも長く、厚い信頼関係で結ばれている。ビルの様子がおかしいことにいち早く気づき、コクピットで何が起こっているのかを知った彼女は、乗客か家族か、どちらかを殺す二択を迫られているビルに対して「飛行機を墜落させるつもりがないことはわかっている」と、それまでと変わらぬ全幅の信頼を寄せ、この危機を乗り切るためにさまざまな知恵を絞る。フライト・アテンダントの経験を持つ著者の経験が色濃く投影されているであろうジョーの描写と、課せられた問題を克服していこうとするその機知はまさに第二の主人公にふさわしい、というよりもう主人公を食ってしまう存在だといってもいい。

 そしてもう一人の視点人物となるのが、FBI捜査官のセオである。半年前に失態を犯して以来、捜査官としての評価は地に墜ち、窓際での仕事に甘んじていた彼は、叔母から届いたメールに驚愕する。その叔母こそ客室乗務員のジョーであり、メールにはたったいま彼女が乗っている機がハイジャックに遭っているということが記されているのだった。セオはすぐに上司に進言するが、上司曰くすでに「ツーストライク」となっているセオに対して冷淡な態度を取る。このメールが嘘だとしたらセオのキャリアは完全に絶たれてしまう。しかし、それでもセオは上司を説得することに成功し、ビルの自宅へと捜査官を向かわせることになる。

 物語は、犯人と対峙するビル、有毒ガスの脅威が迫るなか乗客への対応を迫られるジョー、そして地上でビルの家族を救い出すために奮闘するセオという三者それぞれの視点をめまぐるしく行き来するのだが、読む者に息をつく暇も与えないほど新しい展開を次から次に繰り出してくるその手つきは、とても新人作家のものとは思えない迫力に満ちている。この三人が、ハイジャック犯と三者三様のやり方で戦い抜く様子が、もちろんこの物語の大きな読みどころなのだが、本作には見逃してはならないポイントが他にもある。

 ひとつは犯人の動機だ。上で私は誘拐犯の肌の色を「淡褐色」と書いたが、この犯人の出自がハイジャックの動機に大きく関わっている。昨今の世界情勢に照らし合わせながら考えるとこの犯人の心情はよく理解できるのだが、日本語で本作を読んでいる私たちのなかには、いまひとつピンとこない人もいるかもしれない。そういう人こそ、この犯人の叫びに真摯に耳を傾けるべきであると言えよう。

 もうひとつはトロッコ問題について。本作ではパイロットであるビルが、乗客の命と家族の命、どちらを選ぶかという図式でこの問題が描かれるわけだが、これは終盤に至ってもうひと回り大きな構図をもって物語の表面に現れてくる。この選択については、なにもない状況であれば当然だと思う人も多いかもしれない。しかし、すでにビルの葛藤を読んできた読者にとっては、果たしてその選択は本当に正しいのか、という強い問いかけとなって迫ってくる。誰が、どのような選択をするのかというのは、実際に本作を読んで確認していただきたい。

 ところでアメリカではこういうのが一般的なのかどうかわからないが、著者のサイトでは本作のイメージムービーが公開されている。本作のスリリングな展開をそのまま映像化したような出来になっているので、興味のある方はこちらもごらんいただければと思う。訳者あとがきにはユニバーサル・ピクチャーズが映画化権を獲得したともあり、いずれは映像となって私たちの元に届くことになるのだろうが、まずは小説である。倫理問題から社会問題まで、さまざまな要素を航空スリラーという器にぶち込んで作り上げられた、この一大エンターテインメントをおおいに楽しんでいただきたいと思う。

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。第10回読者賞はこちらで発表しております。Twitterでも随時情報発信中です(Twitterアカウント @hmreadersaward

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