「意外性のある」という意味でとても印象に残っている小説のひとつに、ブレイク・クラウチ『パインズ ―美しい地獄―』(東野さやか訳 ハヤカワ文庫NV)がある。行方不明の捜査官を探すためある町を訪れた男が、トラブルに巻き込まれて記憶を失うとともに、町に閉じ込められている間にさまざまな異常に出くわすというツイン・ピークス系スリラーと思って読み進めていった、その先の展開の意外さにひっくり返りそうになったことは、いまでもよく覚えている。

 こういった意外性というのは、エンターテインメント小説であればどの作品にもある程度備わっているが、読者が想像する展開との落差が大きいほど、意表を突かれた感は強くなると言えるだろう。

 今回は、その意外性の高さに思わず「えっ?」と意表を突かれてしまった作品を紹介したい。デイヴ・ハッチンソン『ヨーロッパ・イン・オータム』(内田昌之訳 竹書房文庫)である。

 時代は近未来。舞台はヨーロッパ。主人公はルディというエストニア人シェフである。彼はエストニアを離れ、コックとして働きながらバルト諸国を渡り歩いてきたが、いまはポーランドに落ち着き、「レストアチア・マックス」というレストランでシェフを務めている。

 ある日、レストランと用心棒契約を交わしている組織の代理人であるダリウシュという男が店を訪れる。ダリウシュとオーナーのマックス、そしてルディを交えた三人の会話から、ヨーロッパの現況が次のように語られる。

「先週のニュースで見たんですが、今年はこれまでにヨーロッパだけで十二の新しい国や独立州が誕生しているそうです」
「そのほとんどが来年のいまごろにはなくなっているだろうね」
(二十三ページ)

 二十世紀末、シェンゲン協定によって実質的な国境がなくなったヨーロッパであったが、二十一世紀に入ってからは経済の崩壊、テロ、そして未知の感染症によるパンデミックなどという事情が相次ぎ、パスポートと入国審査、そして国境が復活し、協定は事実上廃止となる。EUからは離脱が続き、国々の分断が加速していく。各地で民族、宗教、イデオロギー、U2ファンなど、あらゆる理由で集まった人たちによる小国家が生まれ、そして消えてゆく。上に引用した会話は、そのような状況で交わされたのである。

 ルディはこの会話のあと、ダリウシュからある「事案」を頼まれ、それを無事に遂行したことがきっかけとなり、「クルール・デ・ボワ」という組織にスカウトされる。もともとは宅配業者であったこの組織は、ヨーロッパが分断していくなかで国境を超えて活動する謎の密輸組織へと変容していった。そして物だけでなく、情報や人までも運ぶに至って、スパイさながらの知識と技術が求められるようになっていったのである。

 組織から派遣されたファビオという指導員のもとで厳しい指導を受けながら、ルディはさまざまな任務を負うことになる。成功、失敗、あるいは裏切りと、さまざまな経験を積み重ねる諜報員ルディの姿が描かれる前半は、たとえば鉄道路線国家「ライン」領事館への潜入事案にしろ、国境を突破しようとする連絡員の救出ミッションにしろ、世界観が綿密に作り上げられている分描写は細かく、地味ながらも近未来スパイ小説としてよくできている。しかし、ルディ自身がミッションの目的を知らされておらず、またクルールという組織の全貌もまったくわからないまま仕事をこなしていくという不透明さが、ルディのなかに違和感となって徐々に積もってゆく。そしてその違和感の極みに達するような事件が、しばしの休息を得て帰ったエストニアで起こるのである。

 違和感の元を探るために行動を起こしたルディは、ある暗号をきっかけに途方もない世界の秘密にたどり着く。ここまで光学迷彩とか布製のパソコンといった近未来SF的ガジェットは登場するものの、どちらかといえばスパイ小説の趣きが強かった本作が、この秘密によって一気にSF小説へと変貌する。この反転がすごいのだ。帯の「ジョン・ル・カレ×クリストファー・プリースト」という文句に惹かれた方、特にプリーストがお好きな方なら、この大ネタは大変喜んでもらえるだろう。

 本作が書かれた二〇一四年というのは、イギリスにはEU離脱の声がくすぶっている状況ながらも、Brexit(イギリスの欧州連合離脱)が現実のものとなるにはまだ六年の歳月が必要だった。作中、各国のEU離脱を促す要素のひとつとなったのは感染症のパンデミックだった。こういった設定も、いまの世界状況とシンクロしているように取れる。さまざまな形で描かれる分断によって、ヨーロッパ全体に「野蛮さ」が蔓延しているかのような本作の世界観ではあるが、それもまたこの現実世界の将来を予見しているのではないかとさえ思えるのである。

 しがないシェフだった男がひょんなきっかけからスパイとなり、ヨーロッパ中を駆け回るうちに仰天するような真実にたどり着く、という大筋があり、先に「意表を突かれる」とは表現したものの、一方ではルディのシェフ経験や家族にまつわるエピソードなどのひとつひとつが、あたかも短編小説を読んでいるかのような味わいもある、ちょっとした珍品(ほめてます!)とでもいうべき本作。実は《分裂ヨーロッパ》というシリーズの第一作で、本国では今年のうちに第五作が刊行される予定とのこと。二作目以降も日本語で読めることを強く望むところである。

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。第10回読者賞はこちらで発表しております。Twitterでも随時情報発信中です(Twitterアカウント @hmreadersaward

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