ちょうどこの原稿を書いている最中、ある脚本家によるテレビ番組での発言が話題になっているのを知りました。ネット記事で切り取られた発言のみを取り上げてあれこれ勝手なことを言うわけにはいかないので、まずはその番組を配信で見てみました。するとそのなかで、(日本語で作ったドラマが)翻訳されて海外に出たら、その言葉の意味は、海外の人に伝わらないという主旨の発言がありました。確かに誤訳など、意図した内容が正確に伝わらない可能性はあるのかもしれません。しかし現実には、日本語から外国語へ、また外国語から日本語へと、小説やコミック、映像作品など、数え切れないくらいたくさんの作品が翻訳され、紹介されています。

 言葉が違えば伝わらない、ではなく、伝わりにくさをどう超えていくかという課題に、翻訳家や編集者など、多くの人たちが取り組み続けていることを私たち読者は知っていますし、その結果生み出される作品の数々が、人々の心を動かし続けてきたということもまた知っています。作品そのものの魅力がそうしているのはもちろんなのですが、翻訳作品においては、海外の作品を私たちの言葉で、という作り手の熱量も込みで心を動かされていると言ってもいいのかもしれません。

 件の脚本家には、別に翻訳という作業に対して不満を述べる意図はなかったのでしょうし、このことが翻訳作品に対する偏見を生むようなことにはならないとも思いますが、切り取られた記事が話題となったことで、私自身もやっとするところもありましたので、自分の気持ちを語る場所ではないことは重々承知しつつも、思うところをまとめさせてもらいました。要は読者として、あるいは視聴者として、翻訳のために捧げられる努力に改めて敬意を表したい、ということをお伝えしたかったのです。

 というわけでこの件ここまで。本題に入ります。

 年末恒例のランキングも出揃って、順位をチェックしつつ未読の作品をおさらいしている方も多い時期だと思いますが、当欄には「読み逃してませんか~??」というタイトルもついていることですし、今月は、ランキングには出ていないけれどこれはぜひ読んでほしい! という作品を紹介いたします。

 ハ・ジウン『氷の木の森』(カン・バンファ訳 ハーパーコリンズ・ジャパン)は、二〇〇八年に韓国で刊行された著者のデビュー作ですが、オーディオドラマがヒットしたことを受け、二〇二〇年に外伝を加えた形で再版されました。今年七月に邦訳されたのは、この再版バージョンとなっています。

 時は一六二八年最後の日、《音域の神モトベンの聖地にしてすべての音楽家たちの故郷である》エダンという街で、あるヴァイオリニストのコンサートが開かれていました。その名はアナトーゼ・バイエル。エダンで最も優れた音楽家に与えられるド・モトベルトの称号を史上最年少で授かり、若くしてすでに伝説とまで言われる天才ヴァイオリニストです。彼が手にしているのは燃え尽きて灰になったように真っ白なヴァイオリン「黎明」。稀代の楽器製作者であるJ・カノンが制作したこの名器は、演奏した者の命を奪うといういわくつきのヴァイオリンで、長らく行方不明になっていたのですが、三〇年という時を経て、いまアナトーゼ・バイエル・ド・モトベルトの手に渡ったのでした。この日、聴衆を身悶えさせるほどの演奏を「黎明」とともに繰り広げたバイエルはしかし、聴衆に対する罵倒の言葉を最後に残し、姿を消します。

 このようなプロローグで始まる本作は、音楽の神に魅入られた天才ヴァイオリニスト、アナトーゼ・バイエルと、その友にして自らもまた優れたピアニスト、そしてバイエルの熱烈な追従者でもあった、ゴヨ・ド・モルフェの二人に降りかかる、数奇にして残酷な運命を描いたファンタジー長編です。

 アナトーゼ・バイエル最後のコンサートから遡ること一五年、エダン音楽院に入学した十歳のゴヨは、入学と同時に大きな注目を浴びていたバイエルとは対照的に、平凡な学校生活を送っていました。しかしその生活は、進級試験の二重奏パートナーとして、バイエルから指名されたことで大きく方向転換をしていくことになります。

 進級試験でバイエルの演奏に魅了されてしまったゴヨでしたが、バイエルはゴヨとの関係性を深めるどころか、敬遠するかのような素振りを見せます。しかしバイエルは、二人共通の親友でもあるトリスタン・ベルゼに対しては親しげな態度を取るのです。貴族(ゴヨ)と平民(バイエルとトリスタン)という身分の違いがあるとはいえ、自分がそのような扱いを受ける理由に思い至らないゴヨでしたが、バイエルからどれだけ冷たくあしらわれようとも、自分から彼を遠ざけるようなことはできませんでした。ゴヨはそれほどに、バイエルの演奏に心酔していたのです。

 あるとき、バイエルは、自分が演奏する目的を「どこかに必ずいる唯一の聴衆」を見つけるためだと、ゴヨにだけ打ち明けます。それを聞いたゴヨは、まだそれが見つかってないのならば、自分が彼の唯一の聴衆になりたいと望みます。しかし、そんなゴヨの気持ちを知ってか知らずか、バイエルは演奏のたびに唯一の聴衆を探し続けるのです。まるでそれはゴヨではありえないと言わんばかりに。

 三年に一度開かれるコンクール・ド・モトベルトの年、予選に出場したゴヨのもとにトリスタンからの知らせが届きます。死後何年も経ったように腐り果てた死体が発見され、その殺人の容疑者としてバイエルの名前が上がっているというのです。発見された腐乱死体は、前日までまったく普通に生きていた人のものであり、それをたった一夜にして腐乱したかのような状態にできるのは、演奏した者すべての命を奪うというヴァイオリン「黎明」の持ち主、バイエルしかありえないというのがその理由でした。しかし、「黎明」の持ち主が、そんな死体をどうやって作り出すことができたのかを証明できない以上、近衛隊もバイエルを逮捕するわけにはいきません。一夜にして現れた腐乱死体。やったのは誰なのか。謎はまったく解けないまま、バイエルとゴヨはコンクール本戦への準備を進めます。しかし、そんな彼らをあざ笑うかのように、また新たな腐乱死体が出現するのです。

 と、未読の人の興を削がないようにストーリーを紹介しようと思いながらも大変長くなってしまいました。この先は実際に本作を手にとっていただくとして、ここからは本作の魅力についていくつかご紹介したいと思います。

 まずはその独特な世界観から。ジャンルとしてはファンタジーに分類される本作の舞台は、エダンという架空の都市です。最初のド・モトベルトと言われるイクセ・デュドロが、荒れ地だったこの地に住み着いたことによって人が集まり集落となります。イクセは数多くの弟子を育て、その弟子たちがまた弟子を育てるうちに、エダンはいつしか芸術家の故郷と呼ばれるようになりました。どこかの国に属さず、自治都市として周囲の国からもその価値を認められている都市、それがエダンです。エダンには貴族と平民がいて、貴族が演奏する音楽をマルティン、平民が演奏する音楽をパスグランと呼びます。ヴァイオリンやチェロ、ピアノといった楽器の呼び名はそのままですが、彼らが奏でる音楽はクラシックとは呼ばれません。このような独特の世界観は、本作の幻想的な雰囲気をより一層高める役割を果たしているといってもいいでしょう。

 次に、バイエルとゴヨ、そしてトリスタンという三人の青年らが織りなす友情と、嫉妬、尊敬、怖れ、不安などの感情描写の瑞々しさが挙げられます。特に、どこまでも純粋無垢な存在として描かれるゴヨと、彼を翻弄し続けるバイエルという二人の関係性は、いつ壊れてもおかしくないほど脆弱に見え、二人を見守る読者の気持ちを強く掻き立てます。これがね、いいんですよ。物語はゴヨ目線で進みますので、おのずとゴヨと同化するかのような読み方になると思いますが、ひとたびゴヨの目線に立てば、バイエルのいわばツンデレな態度にもやもやしつつ、身悶えするゴヨと同化するかのような気分を味わえます。

 また、本作の語り手でもあるゴヨの成長譚としての側面も見逃せません。先に書いたとおり、彼は貴族の子息であり、またエダン随一の富豪の家に育ちました。三男坊となれば家督を継ぐという義務もありませんし、そもそも音楽院に入学したのも、エダン有数の名家に音楽家のひとりもいないというのは恥である、と親が考えたからなのです。お粗末な実力しかないゴヨは、父親の財力のおかげで著名な音楽家に師事することができ、音楽院での学びが始まるわけですが、バイエルに出会い、その演奏に耳を傾けたり、あるいはともに演奏をすることによって、自身の音楽に向き合う姿勢が変えられて、周りを唸らせるほどの実力を徐々に身につけていきます。しかし、ゴヨ自身はその純粋さゆえに、そしてバイエルという絶対的な存在があるゆえに、自分の実力を過小評価し続けるのです。地位や財力に恵まれながら、必ずしも幸せだとは言い難いなかで成長をしてきたゴヨ・ド・モルフェという音楽家が、バイエルという唯一無二の存在とどのように向き合い、自らの人生をどう歩むのか、というのも読みどころのひとつだと私は考えています。

 そしてもうひとつ。演奏シーンを表現する言葉の豊かさにも着目したいところです。バイエルの奏でるヴァイオリンの音色、ゴヨの指先から生み出されるピアノの旋律が、どのように表現されているか。実はこの五〇〇ページを超える物語のなかで、演奏をしているシーンはそれほど多くありません。だからこそ細心の注意が払われている、そのように思えるのです。バイエルが「黎明」を手に入れ、それを初めて聴衆の前で演奏するシーンから少し長めに引用します(一一四ページ)。ゴヨ目線での描写です。

 そしてついに、弓が弦に触れた。
 雷(いかずち)に打たれたかのようなその瞬間、観衆はこらえていた吐息をこぼした。それと同時に、黎明の泣き声があふれ出た。
 カノンホールの壁をつたって響く黎明の音色に、以前森で聞いたとき以上の戦慄を覚えた。音の美しさを最大限に活かせるよう緻密に設計されたホールの構造に、感嘆せざるを得なかった。
 バイエルは視線を床に落としたまま、激情的に奏でた。まるで、生涯の敵を目の前にしているかのように。激しく追い詰めるかのような弓の動き。それは燃え上がる怒りかと思いきや、厳粛な慎み深さが感じられ、軽蔑と憎悪が入り乱れながらも完璧としかいえなかった。

 どうでしょうか。素人目には、音楽そのものを言葉にすることは難しいと思うわけですが、それでも観客の様子、演奏者の動き、表情や目線、音がホールに響き渡るさま、そして演奏を聴いているゴヨ自身の心情を細かく描写することによって、バイエルの奏でている音の雰囲気がよく伝わる表現になっているのではないかと思います。そしてこの、音を言葉にするという行為は、バイエルの探しているただひとりの聴衆に求めていることとも、ある意味通じています。著者はそのこともまた、おそらくは意識しているのではないかと感じました。

 外伝を含めて(この外伝がまたいいのです)五〇〇ページを超える長大さには圧倒されるかもしれませんが、一度読み始めたら、本を置くことができないほどその世界に引き込まれることでしょう。ミステリーとかファンタジーとか、そんな垣根はいったん取っぱらってしまって、一人でも多くの人に手に取っていただきたい作品です。超オススメ!

 というわけで読者賞だより、二〇二二年最後の更新となりました。今年も読んでいただいたみなさま、そしてシンジケート事務局のみなさまには大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。来月には、翻訳ミステリー読者賞の要項を発表する予定です。こちらもどうぞよろしくお願いいたします。

 どうぞよいお年をお迎えください!

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。Twitterでも随時情報発信中です(Twitterアカウント @hmreadersaward)。

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