お待たせしました、ケイト・モートンの最新作『湖畔荘』が刊行の運びとなりました。

 ケイト・モートンといえば、『忘れられた花園』(2011年)、そして『秘密』(2013年)と続けざまに栄えある翻訳ミステリー大賞に輝いた作家として、皆様の記憶に新しいところでしょう。いずれも並みいる強豪候補作を僅差で振り切っての受賞、しかも『秘密』はありがたくも読者賞まで頂戴したわけですから、訳者としてこんなに嬉しいことはありません。ご声援くださった翻訳家、そして海外ミステリーファンの皆さまに改めてお礼申し上げます。
 
 『湖畔荘』は前二作よりさらにパワーアップしたプロット構成で幻惑させます、圧倒します、魅了します、ご期待ください! となれば「果たして三冠なるか?」の声もちらほら聞こえてきそうですが、こればかりは新宿・花園神社の霊験におまかせするしかございません(これ、『忘れられた花園』以来わたしの恒例行事)。


 さて、舞台はイギリスのコーンウォール地方にたたずむ古い館〈湖畔荘〉。
森とぉ~泉にぃ~囲まれてぇ~静かにぃ~眠るぅ~……なぁんてつい口ずさみたくなる(ブルコメ、ご存じない? 忘れてください)、まさにそんな風情のお屋敷です。
 時は1933年、ここに暮らすエダヴェイン家が開いたミッドサマー・パーティのさなかに、一歳の誕生日を目前にした当家の男児が育児室から忽然と姿を消す。
 その70年後、この未解決事件の真相究明に乗り出すのが、ロンドン警視庁勤務の女刑事セイディ・スパロウ。といっても正式な再捜査ではありません。彼女はロンドンで起きた母親失踪事件の捜査がらみで問題を起こして謹慎を余儀なくされ、祖父の暮らすコーンウォールで鬱々と不遇をかこっている。そんなとき、たまたま耳にした過去の悲劇が、彼女の刑事魂に火をつけるのであります。

 謎解きがさくさくとテンポよく進むと思ったら大間違い。本作の醍醐味は、メインの事件が起こるに至った背景を、作中にばらまかれた関係者たちの内なる声の断片をつなぎ合わせて読み解くところにあるのです。「訳者あとがき」ではこの作品を長距離走に譬えたけれど、むしろめちゃくちゃ入り組んだ迷路に放りこまれてあっちこっちに引きずり回される感じといったほうが当たっているかもしれません。連れこまれる袋小路や迂回路にも語りの伏線がさりげなく仕掛けられているので要注意。「おお、あそこにちらりと覗いていたあれの正体はこれだったのか!」と発見したときの心地よい驚きこそ、モートンが目指す物語の姿です。
 今回も気丈さと脆さを合わせ持つ女性たちが何人も登場します。正義感が強く、ひたむきに仕事に取り組む熱血刑事セイディ・スパロウをはじめ、いなくなった男児の15歳上の姉で、いまやミステリー小説界の大御所となっている御年86歳のアリス・エダヴェインとか、時代に翻弄されて一生を終えたエリナ(アリスたちの母親)とか、なかなかの個性派ぞろい。彼女たちの心にうごめく葛藤をとくとご堪能ください。男性陣は、これも毎度のことながら、心優しき有能なサポーターとしてしっかり脇を固めてくれています。ちなみに訳者のご贔屓はピーター・オーベルです。

 最後に楽屋話をひとつ。
 訳者がこれまで関わった作品に限って言わせてもらえば、原書にちょっとした誤りがひとつやふたつ見つかるのは当たり前。いちばん多いのは年齢とか日数とか、いわゆる数字上のケアレスミス。そのせいで話の辻褄が合わなくなったりするわけです。こういうことに日本の読者(とりわけミステリーの)はシビアですからね、訳す際には入念なチェックが欠かせません。ところが今回は、うっかり見落としていた誤りが校正の段階で発覚! 「冬に向かうにつれて」とすべきところが原文では「夏に向かうにつれて」になっているじゃありませんか。これだとふたつの出来事を隔てる期間の計算が合わなくなる。しばし絶句する訳者――するとI編集者がぱっと顔を輝かせ、「これ、ケイト・モートンのうっかりミスですよ。彼女は南半球の生まれですから」なるほどザ・ワールド(ご存じない? 忘れてください)。豪・英・米の何人もの編集者たちの目を何度もくぐっているはずなのにこれですからね。日本の編集者はやっぱりすごいのだ。

 夏バテも吹き飛ぶ珠玉の物語を是非お試しあれ!

青木純子(あおき じゅんこ)
忘れられた花園〈上〉 (創元推理文庫) 忘れられた花園〈下〉 (創元推理文庫)

 今年五月にケイト・モートンの『忘れられた花園』がめでたく文庫化されました。こちらもよろしく♪
 だいぶ前にイギリスの『ザ・ガーディアン』紙で目にした〈マスト・リード1000冊〉を死ぬまでに読破しようと誓ったはずが、ずんずん積み上がっていくだけの本を横目にちょっと切ない今日この頃です。
■担当編集者よりひとこと■

『忘れられた花園』『秘密』に続き、青木純子さん御翻訳によるケイト・モートン『湖畔荘』がそろそろ書店に並びます。
 またもや上下巻! 各巻300ページ超え。
 とはいっても、ケイト・モートンのことですから読者の皆様を退屈させることなどありません。
 
 ゴシック・ロマンス風とか、女性ファン向けとかといった印象をお持ちの方が多いかと思います。もちろんそういう味わいのある作品なのですが、ケイト・モートンが他の作品群と違うのは、それでいて、きっちりとミステリーであるところなのです。
 それこそが翻訳ミステリー大賞を二度受賞している所以ゆえんなのですが、とにかく、語られていることはすべて伏線として回収される……実にしっかり構成されているのです。見事としか言いようがありません。
 だからこそこうしてモートンを追いかけているわけです。
 今回も、1910年代、30年代、2000年代を 行き来する手法はいつもながら。
 
 ロンドン警視庁の女性刑事(謹慎中)がコーンウォールの祖父の家に身を寄せ、二匹の大型犬とランニングに出かけた森の中で無人の館を見つけるのですが、そこでは70年前のミッドサマー・パーティーの夜、男の赤ん坊が育児室から行方不明になるという事件があったのでした。
 子供は結局発見されず、事件は迷宮入りに。
 三人の娘たちを連れて両親は館を捨て、一家は二度とそこに戻ることはありませんでした。
 現在の館の持ち主は、消えた赤ん坊の姉の一人で、今や高名なミステリー作家となっている高齢のアリス・エダヴェイン。
 ケイト・モートン劇場開幕です。
 つまり、もう最終ページまで逃れることはできないというわけです。
 
 編集者がケイト・モートンのミスに気がついた、と青木さんからお褒めの言葉をいただきましたが、もともとは、細かい整合性といったことに仕事柄慣れていて当然なのに、見過ごすことの多いぼんやり気味の編集者MIは、モートンと青木純子さんによって大分きたえられてきたのです。(なにしろ、ミステリーを「ああ面白かった……」と読み終えて数か月もすると犯人さえ忘れているというボケ人間なのですから)。突然校了直前に急に不安に襲われ、青木さんに、「も・も・もしもし……あそこのあれって、最終的にキチンと回収されてましたっけ?」と慌てふためき怯えたお電話を差し上げたりというのが実情です。
 それが〈モートン-青木純子〉特訓のたまもので、今回は、南半球の人モートンの季節感の間違いに気がついたのでありました。他の方なら当然の作業のうちなのですが、私が気がついた、というのがちょっとした事件だったのです。
 
 モートンさんもいまやロンドン住まい。3人のお子さんを育てながら、こんなに素敵な作品をどれだけ書いてくださるでしょうか?
 はげましのお便りを書きましょう(?!)。        

(東京創元社編集部 MI) 







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