みなさまご無沙汰しております。ラムネとフェレットをこよなく愛する翻訳ミステリ編集者、東京創元社Sです。ほんとうにお久しぶりになってしまって申し訳ございません。今年はすごくあわただしくて、この原稿を書いているのもなんと年末の仕事納めの日という……。会社の人間が続々と帰っていくなか、果たして最後のひとりにならずに原稿を書き終えられるのか!? タイムリミット・サスペンスや!
 


 ……というのは冗談といたしましても、前回よりかなりお待たせしてしまってすみませんでした。とはいえ作品のせいではないのです!! この『ヴァチカンからの暗殺者』(A・J・クィネル)、めちゃめちゃ面白かったです!! まずはあらすじを……。

韓国訪問を予定しているローマ法王を密かにKGBが狙っている――。法王を守るためその側近たちが出した結論は、アンドロポフ書記長暗殺だった。《法王の使者》として選ばれた男は、亡命したポーランド秘密保安機関のエリート少佐。妻を装った若く美しい修道女を道連れに、クレムリンへの長く危険な旅が始まる! 大胆な構想で展開する、息もつかせぬポリティカル・サスペンス。(本のあらすじより)

 このあらすじを読んでタイトルの意味がわかりました。『ヴァチカンからの暗殺者』ってそういうことかー!? 要するに、「ローマ法王が暗殺されそうだから、それを阻止するためにこっちも対抗してソ連に暗殺者を派遣しちゃえ☆」ってことなんですよね。殺られる前に殺れ! でもこの作品、訳者あとがきによると、なんと実際にあった事件をもとに書かれているのです。実在の人物が実名で作品に登場しており、特にポーランド人として初めて法王に就任したヨハネ=パウロ二世は、1981年に狙撃されているのです! 犯人はその場で逮捕されて、狂信的なイスラム過激派テロリストだったらしいですが、著者のクィネルさんはその背景を作家的想像力で膨らませて、ソ連のユーリ・アンドロポフ議長(この人も実在)に指揮されたKGBの仕業だったということにしたんですねー。虚実が入り混じっているから、とんでもない設定のように思えても、しっかりリアリティが感じられるのです。
 
 それにしても、読み始めてすぐに、こんなぶっとんだセリフに出会おうとは……。

「われわれ三人は聖職者だ……神に仕える身だ……それがなんと素早く簡単に殺人を決意してしまったのだろうか」

 ほんとにな!! とはいえ歴史を考えてみても、別に聖職者が殺人をしなかったわけではないと思うし……でもこれ、カトリック教会から苦情とか訴訟とかなかったのかなぁなんて心配(?)をしていたら、案の定訳者あとがきで、本書のアメリカ版を刊行した出版社は実名で登場したある大司教から「プライバシーを侵害された」として訴訟が起こされていたと書いてありました……。日本ではイギリス版から翻訳したので訴訟の対象にはならなかったみたいですが、出版社側の人間としてはかなーり避けたい事態ですね。ひえー。
 
 まあでも、そういうぶっとんだ作品のほうが面白いんだけどな!! とにかく、ローマ法王の暗殺を阻止すべく、側近3人は暗殺者を派遣するわけです。選ばれたのは、上官を射殺してポーランドから亡命してきたスツィボル。ポーランド秘密保安機関の少佐だった人です。彼は過去の出来事からアンドロポフに恨みを抱いていて、それをうまく利用されるんですね。そして厳しい特殊訓練を受けたのちに、いよいよソ連に潜入することになります。
 
 ここで登場するのが、本書の大事な登場人物のひとり、アニア。彼女はポーランド人の敬虔な修道女で、スツィボルと夫婦のふりをして、ソ連に行くために選ばれました。そのほうが潜入が楽になるからですね。このアニアはすごく信心深い、いかにも修道女という感じの女性なのですが、まあ物語のお約束的に「ものすごい美人」なんですよ!! でもって、これまたお約束的に、スツィボルはアニアといっしょにいるうちに彼女にどんどん惹かれてしまうんです!!
 
 もうね、このスツィボルとアニアの恋の行方が、本書の最大の読みどころです(きっぱり)! 鍛えられた冷酷な暗殺者であるスツィボルと、神にすべてをささげて、恋愛なんて考えたこともないアニア!! 最初はお互いのかたくなな態度に反発しあっていて、でもソ連に潜入するために長い時間をともにしているうち、いつしか……って、書いてて恥ずかしくなりましたよ!! でもこの恋愛のハラハラ感が、アクション面のハラハラ感とあわさって、ものすっごくページをめくらせてくるんですよ。うまいなー、ほんとに。アクションもド派手です。どんどん敵はやってくるし、とてもじゃないけど平穏な潜入行にはなりません。途中、ふたりが離れ離れになることも。でもだからこそふたりの感情は燃え上がる……! って、ほんとにそういう話なんですってば。
 
 真面目な話、こんなにも恋愛要素が絡んだスパイ小説だったのか! とびっくりしちゃいました。どんどんピンチが襲い掛かってくるなか、ほんとうにアンドロポフを暗殺できるのか!? という筋に、スツィボルとアニアの恋の行方はどうなっちゃうの!? という筋をプラスすることで、見事なサスペンスを作り出しているんですね。アニアもおとなしい修道女かと思いきや、しっかり特殊な教育を受けて、ソ連に旅をしてもおかしくない、現代的なレディを演じていますし、恐ろしくつらい潜入にも耐えて、ただのお飾りではないところを見せつけます。このふたりが力をあわせて困難を乗り越えようとするところが、たまらなく面白いのです。これぞ冒険小説の醍醐味! と手に汗握って読みました。
 
 今回もたいへん面白いものを読ませていただきました。とっても上質なスパイ小説で、心の底から堪能いたしました。あと個人的にすごいなと思ったのが、冒頭でも触れた、「史実と虚構を織り交ぜている」ところですね。正直、いまのご時世だったらこういうタイプの作品を刊行するのって相当たいへんだと思うのですよ。1987年だったから出せたのかもしれませんが、でも当時も、実名で登場した人から訴えられてしまっているわけですし。でもそこで、著者のクィネルさんがすごいことを言っているんですよ。

「(訴訟を起こした)大司教を登場させたのは、法王を救うために必要とあれば彼ならこうしたことをやりかねないと思ったから」

 もちろん、人を傷つけたり貶めたりということはしてはいけないと思いますが、そういう考えをきっかけに、この素晴らしく面白い作品が生まれたわけで……。裁判沙汰になってしまったのはたいへんだったろうなぁと思いますが、それでもこれだけ夢中になって読める物語を書いてくださったことには感謝したいです。2017年に読んでも、とても楽しめる作品でした。
 
 ふう、というわけで、第三十回の『ヴァチカンからの暗殺者』のご紹介でした。ここでお知らせなのですが、今回でこの連載は終了とさせていただくことになりました。長年この記事の更新を楽しみにしてくださったみなさまには申し訳ございませんが、なかなか時間がとれず、ここ数年はぜんぜん更新できていなかったこともあり、きりのいい三十回で終わらせていただければと思います。
 
 この連載ではたくさんの方にお世話になりましたが、まずは北上次郎先生に深く御礼を申し上げたいと思います。2009年、東京創元社に入社した直後で右も左もわからない状況で、「北上次郎先生ご推薦の冒険小説を読んで感想を書く」というミッションを与えられたときのことは、いまだによく覚えています。飲み会の席でした。それまで本格ミステリばかり読んできたため、冒険小説はまったくの初心者で、アリステア・マクリーンのことすら「なんか聞いたことがある」レベルだった人間に、辛抱強く面白い本を薦めてくださり、ありがとうございました。この連載のラインナップを見ていただければわかると思うのですが、感動するくらい「めちゃくちゃ面白い冒険小説」ばかりですよね!! どの作品も楽しく読ませていただき、わたしのなかですごく糧になっております。ほんとうに、どうもありがとうございました!
 
 そして毎回原稿を待って、厳しくも愛のある取り立てをしてくださった翻訳ミステリー大賞シンジケート事務局のみなさまにも感謝を。いつもいつもお待たせしてしまい申し訳ございませんでしたー!!(スライディング土下座)いろいろご迷惑をおかけしてしまいましたが、ありがとうございました!
 
 そして最後に読者のみなさまにも御礼を。長らくご愛読ありがとうございました! 毎回記事を楽しみに読んでくださったみなさま、さまざまなイベントや読書会などで「ラムネの更新を待ってます」と言ってくださったみなさま、コメントをくださった方もありがとうございました!!
 
 これにて『冒険小説にはラムネがよく似合う』は終了となりますが、今後も楽しく冒険小説を読んでいきたいと思います。みなさまもぜひこの連載で取り上げた本を読んでいただけるとうれしいです。
 
 ほんとうにありがとうございました!
 
 2017年12月28日 東京創元社S
 

【北上次郎のひとこと】
 まず最初に、東京創元社のSさんに、お疲れさまと申し上げたい。
 仕事のかたわら、冒険小説を読んで、その感想を書くというのは大変な作業だったと思いますが、30回も続けてこられたことに、敬意を表します。
 冒険小説の旧来の読者からすると、Sさんの反応は大変興味深く、そこがウケルのかと毎回発見の連続でした。
 心残りはただ一つだけ。この連載はまだ続くと思っていたので、マーク・グリーニーをテキストにしないまま終わってしまったこと。冒険小説の神が降臨した、とまで書いてしまったグリーニーの作品をSさんがどう読むのか、それを知りたかったのですが、残念です。
 これに懲りずに冒険小説を時にはお読みになっていただきたいこと、特にグリーニーの作品に時間があれば手を伸ばしていただけることを期待します。   (Photo © 永友ヒロミ)

 

東京創元社S
20120628124233_m.gif  小柄な編集者。日々ミステリを中心に翻訳書の編集にいそしむ。好きな食べ物は駄菓子のラムネ。東東京読書会の世話人もしております。〈Webミステリーズ!〉で翻訳ミステリについて語る&おすすめ本を紹介する連載「翻訳ミステリについて思うところを書いてみた。」をはじめました。TwitterID:@little_hs

 





 

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