みなさんこんにちは。毎回このご挨拶パートで何を書こうか悩んでしまう東京創元社Sです。前振りって大事だと思うんですが、難しいですね。

 さて、今回の課題本はH・F・セイント『透明人間の告白』です。前回に引き続き、書店在庫のある本(創元用語では「生きている本」といいます)なので、紹介文を書くほうも気合いが入るってもんです。興味を持たれたかたはぜひお買い求めくださいね(にっこり)。 

●あらすじ●

 34歳の平凡な証券アナリスト、ニックは、科学研究所の事故に巻き込まれ、透明人間になってしまう。透明な体で食物を食べるとどうなる? 会社勤めはどうする? 生活費は? 次々に直面する難問に加え、秘密諜報員に追跡される事態に……〈本の雑誌社が選ぶ30年間のベスト30〉第1位に輝いた不朽の名作。(上巻のあらすじより)

 椎名誠さんによる本書の名解説(なぜか上巻についている)に、こんな一文がありました。「おそらく世界中の人が『もし自分が透明人間になれたら』という夢を一度は抱いたことがあるのではないかと思う」これを読んで「えっ、そうなの?」と思ってしまいました。私は一度も透明人間になりたいと思ったことはありませんねぇ。なれるわけないじゃん、とかひねくれたことを考えてしまうタチだからでしょうか。それにしても、本書を読んでますます透明人間にはなりたくないなぁ……と思うようになりました。

 なぜかというと、本書は“透明人間の日常”をことこまかに描いた作品だからなのです。主人公のニックはある事故がきっかけでいきなり透明人間になってしまうのですが、それからがもう大変。体が透明になったからといって、ご飯は食べなければ生きていけないし、いきなり仕事を辞めるわけにもいきません。このあたりの描写が非常にリアリティがあってめちゃくちゃおもしろかったです。

 体が透明になっても、飲んだり食べたりしたものまで透明になるわけではありません。と、いうことは。例えば、私の大好きなネギトロ巻きを食べたとしたら、それが咀嚼され、食道、胃を通って消化されるまでが完全に見えてしまうのです。うーん、想像してみると、ちょっとキモチワルイ光景ですね、ほんとに。ニックもそのことに気づいて、なるべく透明なものを摂取しようとします。そりゃそうですね、せっかく透明になっても、胃の中の食物が見えていたんじゃ、そこにおかしな生き物がいるってばれちゃいますから!!

 ニックが透明な食べ物を得るために、スーパーに電話して品物を配達してくれるように頼むシーンがあるんですが、ここがとにかくユーモラスで大爆笑しました。本書の魅力のひとつに、高見浩先生の翻訳文がとても読みやすくて、どことなくおかしみがあることが挙げられると思います。その証拠に、笑える箇所がいくつもあります。また、登場人物たちの会話がまるで声が聞こえてくるかのように生き生きとしていて、ずっと読んでいたくなります。訳文の力もあって、人間味と良い意味での滑稽さがある物語になっています。誰でも楽しめる作品ですよ〜。

 あとは、透明人間だからといって気配まで消すことができるわけではないので、子どもたちに襲われてしまったシーンもよかった……。そういう緊迫感あふれるシーンもとってもおもしろくて、ぐいぐい読まされてしまいます。特に、ニックをスパイとして利用しようとする秘密諜報員の追跡がすさまじくて、どういう展開になるか先が読めないのもスバラシイ。“透明人間の日常”と同時に、“透明人間の冒険”を描いている作品なのです。

 また、ちょっとせつないシーンの演出もうまいんですよ〜。透明になってしまって、親しい人間に会ったり触れたりすることができない。食べ物を確保することも、寝るところも自分でなんとかしなくてはならない。透明になるということは、孤独であるとイコールなんですね。本書を読んで、“ひとりで生きること”がいかに大変かという点に気づかされました。ニックが透明人間として生きるしかないと腹をくくって、秘密諜報員に追跡されないように自分と外部の人間との接点となっているものを残らず燃やすシーンは、読んでいてとてもせつなかったです。お酒を飲みながら、手紙、日記、小切手や写真を燃やしていく場面は胸が詰まりました。ここを読んで、やっぱり透明人間にはなりたくないなぁ、と思ったのでした。

 さて、ほめてばかりだとつまらないレビューになってしまいますので、そろそろツッコミのお時間にさせていただきたいと思います(笑)。うん、この作品、とてもおもしろかったんですよ。でもね、こう、女子的にはどうしても許し難いもろもろもいっぱいありましてね……。

 ニック。この主人公がもう、とにかく気に入らないというか、「ほんと信じられないこの変態野郎!!」って罵りたい気分でいっぱいです(きっぱり)。透明人間になったから、やっぱり見てしまうわけですよ、秘書の女性のお着替え&トイレの最中やら、恋人同士のなんたらのシーンを……。いや、確かにニックだけが悪いわけじゃない。そこに彼がいることは気づかれないわけだからしょうがない。でもさぁ、じゃあ目をつぶっておくとかしとこうよ! なんでそんなにじっと見つめて、詳細に描写するのよこの変態野郎!!

 そもそも、冒頭からなんかニックに感情移入しにくかったというか、駄目男臭を感じ取っていたんですね。そうしたら、案の定ですよ。私が好きなのは「コンプレックス持ちハイスペック男子」であって、「愛すべきゲス野郎」ではないんだ!!(拙文「コンプレックス持ちハイスペック男子」が活躍! 新たなる名探偵の誕生を描く『ゴッサムの神々——ニューヨーク最初の警官』について」をご参照ください☆)そもそもニックが透明人間になっちゃったのだって、けっこう自業自得だからね!? とある研究所で、防火サイレン的な警報が鳴っているのに無視しちゃって、その結果事故に巻き込まれたのがきっかけだからね!? なんていうかもう、常に「しょうもないなぁ……」と思う行動を取る人物で、まったく好きになれませんでした!!!(笑) でも読む人が違えば、ニック大好き! という人もいるのでしょう……きっと……どこかに……。

 さて、愛あるツッコミ(というか罵り?)が炸裂してしまいましたが、作品自体は非常におもしろかったですので、気になったかたはぜひ読んでみてください。ミステリや冒険小説、SFなどたくさんの要素が詰まったステキ小説です。楽しい読書になることは間違いないと思います!

【北上次郎のひとこと】

 マッキヴァーン『ジャグラー』はセントラル・パークをジャングルに見立てて敵を追い詰めていく話だったし、ブライアン・コフィ(ディーン・R・クーンツ)『マンハッタン魔の北壁』は高層ビルの壁面を冬山に見立てる冒険小説だった。大都会も見方を変えれば大自然なのだ、という発想といっていい。これらに比べて本書『透明人間の告白』は、周囲を変えず、主人公を変えることで大都会のサバイバル物語にしたのである。つまり主人公を透明にすることで、生きることの、生活することの困難を描き出すのだ。この逆転の発想が実に新鮮であった。

東京創元社S

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 入社5年目の小柄な編集者。日々ミステリを中心に翻訳書の編集にいそしむ。好きな食べ物は駄菓子のラムネ。2匹のフェレット飼いです。9月の東東京読書会が無事に終わりました。次は来年を予定しております。ぜひご参加ください。TwitterID:@little_hs

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