以下は本書の訳者あとがきです。
 臆面もなく言うと、自分でも気に入ってるあとがきなので、少しでも多くの方に読んでいただきたく、版元の許可を得て載せさせてもらいました。ちょっと図々しい気もするけど、どうかなにとぞあしからず!

 今ノリにノッテいるアメリカのミステリー作家、ドン・ウィンズロウの最新作『ダ・フォース』(原題 The Force)をお届けする。
 “扉を開けて開けて開けて……どんどん先に進んでいく”ウィンズロウがまた新たな境地を示してくれた。本書については、ウィンズロウ自身が“これまでの自分の人生はすべてこの本を書くための準備期間だったのではないか”とまで語っている。作者のそんな並々ならぬ意気込みがひりひりと痛いほど伝わってくる、文句なしの傑作である。
 物語はニューヨーク市警の中でも一番のエリート特捜部“ダ・フォース”一番のヒーロー刑事、デニー・マローンが拘置所に収監されているところから始まり、そこに至るまでの経緯が時間をさかのぼって語られる。そもそもヒーロー刑事がどうして収監されたのか。理由はなんの変哲もない。密かに働いてきた不正がFBIと連邦検察局によって暴かれたのだ。あまつさえ、ニューヨーク史上最大の成果を挙げたヘロイン工場の手入れでは、二百五十万ドルの現金と五百万ドル相当のヘロインを着服したばかりか、一見なんの意味もなく大物麻薬ディーラーを撃ち殺していたことまで発覚する。どうしてそんな無用の殺人を犯したのか。そのわけはさらに時間をさかのぼって後半で明かされる。さらに最後にはその殺人をめぐるどこまでも切ない裏切りが待っている。
 それでも、最後の最後になって、マローンはある選択を迫られる。マローンのその後の人生を大きく左右する選択だ。マローンはどんな選択をして、どんな行動に出るのか。この最終章ではウィンズロウ節が一気に加速し、特徴的な現在形が冴えに冴えわたる。そして、巻末にはこれまたどこまでもどこまでも切ないひとことが待っている。
 警察の腐敗を描いた映画や小説などというのはそれこそ枚挙にいとまがないだろう。そもそも警察は腐敗した組織という前提で撮られたり、書かれたりしているものも少なくない。本書では警察だけでなく、司法組織全体の腐敗もまたこれでもかこれでもかと暴かれていく。しかし、現在の・・・アメリカの司法組織の腐敗をセンセーショナルに暴くことが本書の主眼ではない。暴力と麻薬の蔓延を文字どおり体を張って防いでいる現場の刑事はいかに考え、いかに感じ、いかに行動しているかを緻密な取材に基づいた圧倒的なリアリズムで描ききった現代の街場の叙事詩。それが本書だ。
 とはいえ、つまるところ悪徳刑事の自業自得たんではある。そんな人間にはとても肩入れはできないと思われる読者もあるいはおられるかもしれない。確かに、マローンはウィンズロウの前々作『失踪』(中山宥訳/角川文庫)の愚直で好人物の堅物刑事フランク・デッカーのような、読者が感情移入しやすい主人公ではない。あくまでダーティヒーローだ。しかし、最初は些細だった不正がどうしてこれほど大きくなってしまったのか。“いかにして人は一線を越えてしまうのか。一歩一歩越えるのだ”と過去の過ちを振り返って自らに語り聞かせる、悔やんでも悔やみきれないマローンの痛恨のことばには胸がつまる。さらに家族を守るための彼の苦渋の決断には、同情とまでは言わずとも、多くが憐れみを禁じえないのではないだろうか。
 本書がそのような効果を上げ、凡百の警察告発小説に大きく水をあけているのは、現場の刑事たち――毎日街に出て、体を張って司法制度を支えている者たち――に対する作者ウィンズロウの惜しみない共感とまっとうな敬意が、車の両輪のように本書を支えているからだ。彼のそうした思いは巻頭に殉職警察官の名が列挙され、本書がその警察官たちに捧げられていることからも明らかだ。“正義”をおこない、秩序を保つには誰かが汗を流さなければならない。時には血も流さなければならない。場合によっては命も賭さなければならない。あるいは、手を汚さなければならないこともあるかもしれない。高所大所に立たなければ見えない地平というものがあるなら、現場に身を置かなければ知りえない真実というものもある。そんな現場で日々汚れ仕事をしている者たちへの作者の強い思い。その思いは最後にマローンにも乗り移る。
 マローンには黒人ジャンキーのナスティ・アスという情報屋がいるのだが、食物連鎖のような警察組織において、ナスティはその底辺からさらにこぼれたところにいる。マローンは自分が上から利用されているのと同様、自分もまたナスティを一個人として見ることなくただ利用していたことに、最後の最後になって気づく。そして、非常事態の中、自ら孤立無援になりながらも、孤立無援のナスティを懸命に助けようとする。そんなマローンに愛人のクローデットが尋ねる。“(ナスティは)友達だったの?”“おれの情報屋だった”と反射的に答えたあと、彼は言い直す、“いや、おれの友達だった”と。ここもまたなんとも切ないシーンだ。
 クローデットは黒人女性で、アイルランド系白人のマローンとはことあるごとに人種問題で言い合いになる。が、ふたりがどれほど話し合おうと、どれほど愛し合っていようと、ふたりのあいだの人種間の溝は埋まらない。この人種問題は時限爆弾として物語に仕掛けられており、最後に派手に爆発する。また、音楽のリフのように繰り返されもして、そのたびに今もなおアメリカ社会の底に流れる根深い問題であることが浮き彫りになる。
 ホラーからミステリーへ活動領域を最近広げたスティーヴン・キングは本書を“うっとりするほどすばらしい。大変な偉業。『ゴッドファーザー』の警察版。それほどにいい”と絶賛している。“これまでに書かれた警察小説でおそらく最高の一冊”。これはスリラー界の大御所リー・チャイルドの評だ。ともに大変な賛辞だが、どちらも大げさには聞こえない。本書はそれほどにいい。見事な小説だ。

 ウィンズロウ・ファンには嬉しいニュースを。『カルテル』(峯村利哉訳/角川文庫)の続編が二〇一九年に上梓の予定だそうだ。ということは、これは『犬の力』(東江一紀訳/角川文庫)と合わせて三部作になるのだろう。『カルテル』もそうだが、本書にも映画化の話がある。映画化というのは話だけで終わることも少なくないが、製作リドリー・スコット、監督ジェームズ・マンゴールド(脚本にはデヴィッド・マメットの名が挙がっている)で決まり、二十世紀フォックス社が来年の三月一日封切りを公表しているところを見ると、かなり期待が持てそうだ。さらに、二〇二〇年にはまったく別の小説の新作も刊行予定だという。さらなる扉を開けたウィンズロウのさらなる新境地を今から期待したい。

 最後に――ウィンズロウはアメリカ本国よりむしろ日本でさきにブレイクした感があるが、これは処女作『ストリート・キッズ』(創元推理文庫)を日本に紹介し、その後ウィンズロウ作品の翻訳を何作も手がけられた故東江一紀さんの功績に負うところが大きい。彼の名訳がなければ、本国で新作が上梓されてもそう次々と邦訳が出ていたとはかぎらない。本書を翻訳するという幸運が訳者に舞い込むこともなかったかもしれない。天国の東江さんに改めて敬意と感謝を捧げたい。
 なお、本書の訳出に際しては、翻訳家の黒木章人さん、不二淑子さん、翻訳専門学校〈フェロー・アカデミー〉受講生の矢島真理さんにお手伝い願った。お三方にも感謝を。

二〇一八年二月

田口俊樹(たぐち としき)
 調布在住、翻訳歴約40年、訳書約200冊、コスパ至上主義を近年改めた老翻訳者。だってコスパを考えてもしょうがないんだもん。今月はロス・マクドナルドの『動く標的』の新訳も出ました。こっちもよろしく!
(Photo © 永友ヒロミ)
■担当編集者よりひとこと■

「ダ・フォースか、ザ・フォースか」――社内会議でも割れたのが、本作の邦題。ちなみに原題はThe Force。本文中の原文表記はDa Force「ダ」・フォースとは銃や麻薬犯罪を取り締まるニューヨーク市警のエリート部隊マンハッタン・ノース特捜部の通称で、本書の肝となる刑事たちのチーム名だ。しかしながら、本文中はもちろん著者ウィンズロウのインタビュー記事を探しても“ザ/ダ問題”への言及は見当たらない。
「いやでも、ダ パンプ(DA PUMP)がザ パンプだったらなんか違うし」
「ザ・フォースだと、〈スター・ウォーズ〉みたいだし(実際、本文中には例の台詞をもじったニヤリとするやりとりが)」
「でも、なんでじゃなくてなのか説明がいらない?」
 ……と会議は紛糾。原題の「ザ・フォース」には主人公たちを翻弄する権力者の大きな力、悪が持つ引力など、さまざまな意味が含まれているのかもしれない。けれど、執筆にあたり数多くの警官を取材したというウィンズロウが本書で命を吹き込んだキャラクターたちの台詞に理屈はない。だからこそページから立ち上ってくる現場のリアリティに圧倒され、ラップバトルのような台詞の応酬、街のリズムに一気に引きこまれる。その主人公たちの息遣いを邦題からそのまま感じていただけたらと願った本書『ダ・フォース』は、著者が執筆中に殉職した168名の警官たちに捧げられている。ウィンズロウの筆が冴え渡る警察小説をぜひ1人でも多くの方にご堪能いただけたら幸いです。

ハーパーBOOKS編集部・O)


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