読者賞年度前半振り返りスペシャル
           ――Amazonのレビューに惑わされるな!

 もう10月も終わりですね。ミステリ年度でいうと最終月になるのでしょうか。先月くらいから各社とも怒濤の刊行ラッシュで、読者としてはとてもうれしい反面、読むのがなかなか追いつかない状況です。あとお財布のほうもちょっと……。

 と、そんな個人的事情はさておいて……。

 新刊が出たらまずその情報をチェックする、という人は多いでしょう。著者名、翻訳者名、出版社、価格、それから簡単なあらすじなど。そんな情報もいまやネットを使えばすぐに探し出せます。で、たぶんいちばん利用されているのはAmazonですよね。作品名で検索すると出版社よりも上のほうにAmazonのページが出てくるくらいなんですから。情報を事前に入れない、いわゆる不見転で買うという人以外、いまや本を購入するほとんどの人がAmazonのお世話になっているはずです。チェックだけしておいてあとから書店で購入する人も含めて。そしてAmazonで情報収集していると、いやでも目に入るのが「レビュー」だったりします。

 今回は、Amazonのレビューでは星がそれほど多くない、つまりぱっと見で低評価と判断されてしまいかねないんだけど、でも本当はすごくおもしろいんです! と、声を大にしてお伝えしたい作品をふたつご紹介します。まだお読みでなければ、読者賞への投票を見据えてぜひ読んでほしい作品です。

 まず、カレン・クリーヴランド『要秘匿』(国弘喜美代訳 ハヤカワ文庫NV)から。

 主人公ヴィヴィアンは、CIAでロシアの工作員の調査を担当する分析官ですが、職場を離れると、夫のマットとともに四人の小さい子どもたちを育てる母親としての顔に戻ります。ロシア担当の分析官として、なかなか成果の上がらない日々を送る中、家族は彼女を支えてくれるとても大切な存在としていつも心の中にあります。

 ある日ヴィヴィアンは、ロシア人のユーリという男のコンピュータに潜入することに成功します。ユーリは、米国内に潜むスリーパーを管理するハンドラーの疑いが強く、ヴィヴィアンはなんとかして彼が持っている情報を入手しようとコンピュータにアタックしていたのでした。そのアタックが成功し、中のファイルをひとつずつチェックしていくうちに、彼女は我が目を疑うような画像を発見するのです。そこには彼女の夫、マットが写っていたのでした。

 なぜマットの画像がロシア人ハンドラーのコンピュータに保存されているのか。結婚して10年、彼の愛情をけっして疑うことのなかったヴィヴィアンでしたが、マットから真実を聞かされ、決断を迫られることになります。つまり、夫を告発するか、あるいは国を裏切り、マットのことを見過ごすのか。

 この作品は、信頼と不信、子どもたちへの愛情、国家や自分の職務への忠誠といったさまざまな感情がめまぐるしく変わっていく様を、ヴィヴィアンの一人称で描き切っているのが大きな特徴です。また、現代パートの合間に、ヴィヴィアンとマットのなれそめや子どもたちが生まれる前後のエピソードなどからなる過去パートが挟まれており、そのときのマットの言動が今にどう繋がっていたのかを、ヴィヴィアンはもちろん、読者にも想起させ、また翻弄します。

 ロシアとアメリカ、あるいはCIAやFBIなど、スパイ小説にはおなじみの設定でありながら、そこで働く一女性の目だけを通した出来事、そして彼女の思考と行動を丹念に描くことで、スパイ小説という枠組みを外れて、家族間の関わり、とりわけ夫婦間の信頼の揺らぎを描いた心理サスペンスとしての顔も持った作品となったのではないかと思います。

 もし私が(あるいはあなたが)、愛する人から長いこと裏切られていたら……そう考えるとき、本作におけるヴィヴィアンやマットの行動は、真に迫るものとして心に刻まれるのではないでしょうか。

 続いては、アラフェア・バーク『償いは、今』(三角和代訳 ハヤカワ・ミステリ文庫)です。

 アラフェア・バークのお父さんはジェイムズ・リー・バーク。MWA長編賞を2度受賞した巨匠ですが、娘さんも本作で2017年のMWA長編賞にノミネートされました(受賞はノア・ホーリー『晩夏の墜落』)。

『償いは、今』の原題は『The EX』。EXとは、「元カノ、元カレ」を指すスラングですが、本作は主人公の弁護士が、殺人事件の容疑者となった元婚約者の弁護を引き受けるというリーガルサスペンスです。

 ベストセラー作家のジャックは、主人公オリヴィアとの婚約が一方的に破棄されてから別の女性と結婚し、娘をひとり授かりました。しかし、その妻は3年前に起こった銃乱射事件に巻き込まれ、命を失っています。

 ある朝、ニューヨークのウォーターフロントで3人が犠牲となる銃撃事件が発生します。ジャックはたまたまその現場近くに居合わせたのですが、3人の犠牲者のうちのひとりが妻の死に密接な関わりのある男だったため、容疑者としての嫌疑をかけられることになります。ジャックがその場所に来たのは、マデリンという女性と会うためだったのですが、彼女が現れることはなく、あきらめて帰途についた頃に銃撃事件が起こったのです。警察に連行されるジャックを救うため、娘のバックリーはある女性に連絡をします。それが主人公で弁護士のオリヴィアでした。オリヴィアはこの依頼を断るつもりでしたが、婚約破棄という負い目があるため、しぶしぶ引き受けることになります。

 ジャック自身、マデリンという女性とはその前に一度、同じウォーターフロントで会っただけ、その後はオンラインでのやりとりしかしておらず、詳しい素性はまったく知りません。マデリンを探し出し、銃撃のあった日、その場所その時間で約束していたという証言を取ることができれば、ジャックの嫌疑は晴れるのですが、マデリンを探し出すどころか調査は難航を極めます。元婚約者の誠実さは自分がよく知っている。彼が殺人などするはずがない。そんな信念を持って、無実を勝ち取るために調査を続けるオリヴィアですが、時間が経つにつれその信念が少しずつ揺らいで……。

 こうして書いてみるとちょっとややこしいストーリーに見えますが、各章が短く、また次章へのフックもよく効いているので、物語への興味を逸らすことなくテンポよく読み進めることができます。気づいたらそこには、読み始めのころに見えていた景色とは全く違う情景が見えていることでしょう。帯に記されている「三転四転」という文句に偽りはありません。

 ネット上のレビューを見ると、オリヴィアが発する「きみ」というセリフに引っかかる人が多いようです。でも現実においては、女性と男性の言葉遣いの差なんてそんなに大きくないと思うのですよ。訳者あとがきには、〈カリン・スローターが鋭い聞き手となった著者インタビューでは、読者の反応を考えてジャックとオリヴィアの男女の役割を入れ替えずに書いたこと、自分の小説で法律の長所と短所について読者に考えてもらえたらと答えている。〉とあり、この点を考えるのに大きなヒントとなりそうな気がしています。私は英語が読めないので、このインタビューに直接当たることができないのが残念なのですが……。

 上に挙げた2作品に共通しているのは、主人公の女性の視点と心情を丁寧に描くことで、信頼の揺らぎについて語っている小説だというところです。あと、諜報活動があまり出てこないスパイ小説、法廷シーンがほとんどないリーガルサスペンスと、どちらもちょっと「らしくない」小説というのも共通点かもしれません。

 ミステリ年度末ということもあり、出たばかりの作品を追いかけたいというのもありますが、ちょっと後ろを振り向いて、読み逃している作品を手に取ってみるというのもいいと思います。この2作品、読み逃したままだとホントにもったいないですよ!

 

大木雄一郎(おおき ゆういちろう)

福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。

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