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執筆者近影?

 こんにちは、ピエール・アンリ・カミ・高野(←今、勝手に名乗った)こと、高野優です。このコーナーではフランス文学界が生んだ奇才、あのチャップリンが「世界最高のユーモア作家」と呼んだピエール=アンリ・カミについて、お気楽に紹介したいと思っています。

 はじめに、そうですねえ。カミのシュールなまでにバカバカしい面白さを知っていただくために、《ハヤカワミステリマガジン》2008年6月号「ミステリ史を覆す! 世界バカミス宣言」に掲載された「カミの三つのコント」のうち、最初の作品をご紹介します。

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悲劇のカーニバル 挿絵はカミ

カミの三つのコント(《ハヤカワミステリマガジン》2008年6月号掲載)

   1.悲劇のカーニバル

第一場 恋人たち

(部屋に女がひとり。女は愛人を待っている)

不倫妻 嬉しいこと。夫は旅行に出かけてしまった。今日はカーニバル。もうすぐ恋人がやってくる……。これから仮面舞踏会に連れていってくれることになっているの。

(闘牛士の仮装をした愛人、部屋に入ってくる)

愛人 おお、わがいとしの恋人よ。約束どおり、ぼくは闘牛士の格好をしてきた。今日のよき日を忘れられないものにするために、さあ一緒に行こう。

不倫妻 まあ、絹の衣装に金色の飾りをつけて。あなたはなんと美男子なのかしら。あなたの鼻眼鏡と馬の蹄鉄の形をした顎ひげが、その美しい衣装にひと味もふた味も加えて、お似合いだったらありませんわ。私はこれからアンダルシアの女の衣装に着替えますから、その間、おお恋人よ、歌を唄ってくださいな。私たちの仮装にふさわしい、あの素敵な国を思い出させる歌を……。

(愛人、熱い声で唄う)

愛人  黒い瞳のスペイン娘 オレッ!

    アンダルシアのカルメンシータ アレッ!

    闘牛士に恋をした モエッ!

    あの有名なキュウリモミータに オレ?

    そして迎えた試合の日 アレッ!

    娘は大事な恋人に オレッ!

    長い睫毛をお守りに ソレッ!

    心をこめてプレゼント クレッ!

    闘牛場ではキュウリモミータ オレッ!

    雄牛が来るのを待ちうける ソレッ!

    そこで突然悲鳴があがる アレ?

    雄牛の角をよけきれず アラ?

    キュウリモミータ跳ね飛ばされる ゲゲッ!

   けれども胸に縫いつけられた オヤ? 

    カルメンシータの長い睫毛が アレ?    

    危ういところで一撃そらし ウソッ!

    みごと命が救われる オレッ!

不倫妻 ああ、心が震える歌ですわ。でも、そろそろ行かなくては……。お待ちになって。肩にヴェールのショールをかけますから……。なまめかしく見えるように……。ええ、これでいいわ。あとはお庭を横切って、屋敷を出るだけ。さあ、仮面舞踏会に参りましょう。

第二場 夫の名誉

(屋敷の庭)

愛人 おお、こうしてぴったりと身を寄せあって、庭の門に向かうのは、なんと幸せなことだろう。おや、あれはなんだ? なんだかモーモーという音が聞こえるぞ。

不倫妻 あれはきっと風ですわ。お庭の木立ちの間を風がモーモーと吹きぬけているのでしょう。

愛人 いや、そうじゃない。よく聞いてごらん。あのモーモーという音は風の音なんかじゃない。雄牛の鳴き声だ。

不倫妻 まあ! 怖いわ。私、怖いわ。

愛人 あれは何だ? ああ、恐ろしいものが見えたぞ! ご覧よ。茂みの奥から雄牛の頭が現われた。いや、ちがうな。ぼくが見ているものは何だ? そうか。あれは本物の雄牛じゃない。人間だ。カーニバル用の仮装に、張りぼてでつくった雄牛の頭をかぶった人間だ。

不倫妻 なんてこと! 神よ、あれは夫だわ。スーツが夫のものだもの。靴もそう。私たち、これでもう終わりだわ。

(雄牛の頭の張りぼてをかぶった夫、二人の前に出てくる)

牛夫 モォーッ! モー、モー、モー、モモォーッ! そうだ。おれだよ。おれは夫として、踏みにじられた名誉を回復しにきたのだ。というのも、しばらく前のことだ。おれはおまえの愛人が書いた手紙を盗み見て、今日のこのカーニバルの日に、おまえがアンダルシアの女になり、愛人が闘牛士のなりをすることを知った。そのとたん、復讐の方法が決まったのだ。おお、そのために、おれはわざわざスペインに行き、闘牛場で雄牛たちの動きを研究した。雄牛たちがどうやって、闘牛士たちをその角で突き刺すかということをな。そうして、スペインから戻ってくると、この張りぼての雄牛の頭を注文したのだ。そのあとは、この張りぼてを頭にかぶると、たくさんの人形を使い、毎日、ひそかにこの太い角で腹を突き刺す練習をした。だから、妻の愛人よ。よく聞くがいい。この頭の角は本物の腹を突き刺したくて、うずうずしているのだ。今宵の角は血に飢えている。

不倫妻 まあ、なんと恐ろしい復讐でしょう。どうかお情けを!

牛夫 情けはかけない。さあ、行くぞ、闘牛士。ぶるぶる震えていないで、この角のひと突きを受けてみよ。

不倫妻 ああ、恋人よ。どうか、身をお守りになって。ほら、夫は怒った雄牛さながらに、足で地面をかいているわ。きっと、あなたに飛びかかる準備をしているのよ。あっ、夫があなたに飛びかかった。なんて恐ろしい!

(闘牛士の仮装をした愛人、雄牛の仮装をした夫の張りぼての角に突きあげられて、宙に舞う)

愛人 ぼくは死ぬー!

(夫のほうは、落ちてきた愛人を張りぼての角で受けとめる。愛人の身体は角に串刺しになる)

牛夫 復讐はなった。おれは復讐したぞ。モォーッ!

不倫妻 (突然、頭がおかしくなって)ああ、夫の角が……。夫の角が真赤になっているわ。

(それから、うつろな声で唄いだす)

アンダルシアのカルメンシータ グスッ!

    闘牛士に恋をした グッスン!

牛夫 (不吉な声で)そのせいで——闘牛士は牛死した。モォー オーオーオー。

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 ということで、いかがでしょう? バカですねえ。ゲキバカ。でも、これを読んだら、カミつき(←やみつきだってば)になりますね。そんなあなたのために、今回は「カミ入門」第1回として、まず現在読めるカミの翻訳書を全部ご紹介してしまいましょう(そのあとはカミの生涯や原書の紹介もするつもり。Webマガジンの特性を生かして、情報はこれからどんどんつけ加えていきます)。

 まずはせっかく《ミステリマガジン》の名前が出たので、新しいところから。カミは昔から知る人ぞ知る、カミを知らなきゃユーモア小説を語っちゃいけなんいじゃない?的な作家ですが、未訳の作品は1979年以来、翻訳されていませんでした。ところが、2008年の春のこと、ミステリマガジン編集部の小塚麻衣子さん(現同誌編集長)から、「バカミス特集をするので、カミの作品を!」と依頼され、所蔵していた短篇集から3篇ばかり訳すことになり、29年ぶりにカミの本邦初訳作品が世に出ることなりました。

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《ハヤカワミステリマガジン》2008年6月号「ミステリ史を覆す! 世界バカミス宣言」と《ハヤカワミステリマガジン》2009年7月号「フランス・クラシーク・ミステール考」

 2008年6月号の収録作品は「カミの三つのコント」として、

「悲劇のカーニバル」Carnaval Tragique(L’Homme à la tête d’épingle, 1914に所収)

「ホラホラ男爵の冒険——リリパット王国篇」Le baron de Crac plus fort que Gulliver!(Exploits galants du baron de Crac,1925に所収)

「インドの悲劇」Les drames d’Inde(Pour lire sous la douche, éd. Flammarion, Paris, 1928に所収) いずれも、高野優 訳

 2009年7月号の収録作品は、「カミのふたつのコント」として、

「処女林の玉なし男」Le désnglandé de la forêt vierge(Exploits galants du baron de Crac,1925に所収)

「虎狩り」Une chasse aux tigres(Pour lire sous la douche, éd. Flammarion, Paris, 1928に所収) いずれも、伊藤直子 訳  高野優 冗談監修

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 さて、2008年のバカミス特集の時には、当初、『機械探偵クリク・ロボット——五つの館の謎』を紹介する予定でした。けれども、この作品は中篇だということもあって、2008年には上記の作品を紹介することになり、クリク・ロボットのほうは、その後、《ハヤカワミステリマガジン》2009年2月号、3月号で分載という形になりました。その中篇に、もうひとつのクリク・ロボットの中篇、「パンテオンの誘拐事件」を合わせて、一冊にしたのがこちら。どちらも本邦初訳です。

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機械探偵クリク・ロボット(ハヤカワ・ポケットミステリ) 早川書房 2010年

「五つの館の謎」Détective à moteur(Krik-robot) : L’Énigme des cinq pavillons;éd. P. Dupont, Paris, 1945

「パンテオンの誘拐事件」Détective à moteur(Krik-robot) : Les Kidnappés du panthéon, éd. P. Dupont, Paris, 1947  いずれも、高野優 訳

 古代ギリシアの発明家アルキメデスの子孫、ジュール・アルキメデス博士がつくったロボットが「手がかりキャプチャー」や「短絡推理発見センサー」など当時の科学の粋(?)を集めた機能によって、事件を解決する話。「五つの館の謎」はバカバカしくも見事な本格推理もの。「パンテオンの誘拐事件」はバカバカしくも胸躍る冒険もの。チロリアンハットをかぶり、パイプをくわえた、今ではレトロなクリクがかわいい!

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アルキメデス博士とクリク・ロボット

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 その後、《ミステリマガジン》では上記2009年7月号でフランスの古典ミステリ特集(フランス・クラシーク・ミステリ考)をやった時に、バカバカしくもシモネッタな作品とバカバカしくも本当にお馬鹿な作品が紹介されています。まだバックナンバーはあると思いますので、2008年6月号掲載の作品とともにお楽しみください。

 さて、その《ミステリマガジン》では、1997年11月号、「創刊500号記念特大号」の掲載作品総目録によると、カミの翻訳作品は次のとおり。オルメスものを中心に全部で6篇あります。

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ミステリマガジン

1964年4月号

「女曲馬師」 l’écuyère chauve(Les Aventures de Loufock-Holmè, éd. Flammarion, 1926) 津山悌二 訳

1965年5月号

「夢遊病者の悲劇」La tragique affaire des somnanbules(Les Aventures de Loufock-Holmè, éd. Flammarion, 1926) 津山悌二 訳

1966年3月号

「血まみれの掌跡」La main rouge sur blanc(Les Aventures de Loufock-Holmè, éd. Flammarion, 1926) 津山悌二 訳

1966年7月号

「警官殺し」L’assassinat du commissaire(Les Aventures de Loufock-Holmè, éd. Flammarion, 1926) 津山悌二 訳

 以上はLes Aventures de Loufock-Holmè, éd. Flammarion, 1926に収録された作品。すべてルーフォック・オルメス物です。以下もオルメス物ですが、Pour lire sous la douche, éd. Flammarion, Paris, 1928に収録された作品です。

1976年2月号

「黒い天井」Le plafond noir(Pour lire sous la douche, éd. Flammarion, Paris, 1928)荒川浩充 訳

1979年5月号

「トンガリ山の穴奇譚」Le mystère de Trou-du-Pic(Pour lire sous la douche, éd. Flammarion, Paris, 1928) 小林武 訳

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つづく