その2 金来成と金聖鍾

 今回は韓国ミステリ界の巨匠金来成(キム・ネソン)と金聖鍾(キム・ソンジョン)について話します。

幻の書『思想の薔薇』を論創社が刊行!

 まず「韓国推理小説の父」と称される金来成ですが、今のところ一部の探偵小説愛好家を別にすればあまり馴染みがないかもしれません。韓ドラ「人生画報」(韓国KBSドラマ/2002.08.05−2003.04.19放映)の原作者と聞かされると「ほう」と思う程度ではないでしょうか。実は数年前までかくいう私自身もそんなひとりでした。2009年に金来成生誕百年を記念して何冊か復刊本が刊行されたのを機に読みだしてから関心を持ったというわけです。2年ぐらい前のことだったか、たまたまインターネットで「アジアミステリリーグ」というサイトを見つけ、細々と韓国ミステリの翻訳をやっている者にとっては勇気づけられると同時に、いろいろと貴重な情報も得ました。とくにこのサイトでは金来成に関する内容は充実しており、今ここでは極力サイト内記述との重複を避けながら、「アジアミステリリーグ」の声に応えるかたちで進行中の金来成探偵小説大型企画と日本では認知度の低い佳品を少し紹介しようと思います。同サイト内に注目すべき記事が載っています。その部分を紹介すると、「長編探偵小説『血柘榴』を日本語で執筆し完成させていたが、これは日本では発表されず、約20年後の1955年に韓国で『思想の薔薇』として発表された」とある。俄然、読んでみたくなり、『思想の薔薇』の所蔵を探したところ、韓国国立中央図書館に1冊所蔵があることがわかったものの貴重書扱いで閲覧日以前に申請してからでないと閲覧もできないうえ、古書市場でも品薄らしく入手の難しいことがわかった。翻訳どころか読むことすらままならないのかとあきらめかけていたところ、ある日突然、アジアミステリ研究家松川良宏氏から『思想の薔薇』がソウルの古書市場に上下巻別々の店でそれぞれ一冊売りに出ている、との情報提供があった。この機会を逃せば幻の書で終わってしまうかもしれない、そう思わせるほど珍しい書物なので思わず身震いしたほどです。松川氏の情熱に後押しされる格好で早速古書店との交渉を開始し、1か月ぐらいかけてようやく手にすることができました。事の重大さに気づいた論創社のミステリ編集部が見逃すはずがなかった、というわけで、『思想の薔薇』は「論創ミステリ叢書」の『金来成探偵小説選』へ収録されることになり、刊行時期は来夏(2014年夏)の予定と聞いています。

 金来成は自身が日本語で書いた作品をほとんど自ら韓国語に翻訳していますが、私が知る限りすべて改作しています。しかし、それは文才のなせる業で作品の性格を変えるものではないと私はみています。『思想の薔薇』は20年近く経って日本語から韓国語に直したものなので当然改作が想定できますが、金来成は本書の序文で執筆当時の自身の心理状態を追憶しながら、本作品の執筆動機について明解に述べています。作者の意気込みを一言で伝えるとすれば、昭和十年に探偵小説のあり方を巡って文学性を重視する木々高太郎と謎解きの論理性を重視する甲賀三郎との間で探偵小説論争があったわけですが、『思想の薔薇』は前者を支持する立場から、その論争に対する金来成なりの回答を示した作品であると言えるでしょう。朝鮮戦争のさなかにも金来成は日本語で書かれた原稿を風呂敷に包んで持ち歩いていたことは確実だと思います。『思想の薔薇』の原型とはどんな内容だったのでしょうか……、それを推理するのも本書を読む楽しみの一つでもあります。

ベストセラー『魔人』の誕生

 ただ、金来成を「韓国推理小説の父」と呼ばしめるに至ったのは『魔人』の成功があったからです。長編探偵小説『魔人』はまず『朝鮮日報』に連載(1939.2.14-1939.10.11)され、連載終了直後に朝光社から単行本が刊行されました。この一事だけでも反響の高さが窺えますが、当時の出版界における『魔人』の位置は客観的にみてどのようなものだったのか。学術論文「韓国近現代ベストセラー文学に表れた読書の社会史」(文和羅、『語文研究』第33巻第3号、2005)によると、1920年代半ばまで朝鮮全人口の九割近くが読み書きのできない状態にあったが、1930年代に入り近代的教育環境が拡大していくにつれ、都市労働者、学生、新女性などの読書人口が大きく増加していった、という千政煥(チョンジョンファン)の考察(『近代の読書』p.279、2003)を援用しながら、1930年代において初めて朝鮮におけるベストセラー小説が誕生したとしている。そして具体的に、朴啓周『殉愛譜』、李光洙『愛』など1930年代に発刊された長編小説9編のタイトルを挙げているのだが、なんとそのリストの中に『魔人』が含まれているのだ。『魔人』は発行後1年で6刷まで増刷したという(初版は19刷まで確認できるとも言われているが、戦後の1948年に海王社が『魔人(犯罪編)』の再刊本を発刊したときの新聞広告によると、朝光社版『魔人』は18刷までで絶版になったとのことだ。余談だが、同広告には最近某社が出版した作者不明の『魔人』は絶対に金来成氏の著作ではないと読者に注意を喚起している)。この数字の意味について文和羅は、「このうち(上述9タイトルのうち)1年以内に5版以上再発行した本は出版と同時にブームとなり、注目を集めたという点から読者が期待に胸を躍らせながら作品に接するさまが推察される」と分析している。

『魔人』は社会学的な視角から当時の大衆心理を探る資料として読んでみるのも一興だが、京城という特異な都市を背景に1939年という特定の時代に金来成という作家がそこにいたからこそ生まれた稀有な作品であると同時に長編探偵小説の一つの理想型を具現した作品として今でも充分に楽しめます。朝鮮において私立探偵が自立的に活躍する探偵小説は、この作品が最初で最後と言えるかもしれない。新聞連載の第2回目にして早くも怪盗アルセーヌ・ルパンに扮した人物を仮装舞踏会に登場させるなど、一気に読者を物語に引き込んでいく手腕は余人の追随を許さない天性の勘によるものであろうか。『魔人』が戦後の推理作品やドラマの脚本に与えた影響は決して少なくない。韓ドラでしばしば用いられる、とあるシーンの原型はこの作品に求めることもできそうだ。

『白蛇図』は怪奇小説なのか

 一般に韓国での戦前の金来成の作品は探偵小説として『魔人』を書く一方で『白蛇図』『悪魔派』などを怪奇的な作品を短編小説として書き分けたと解説されているようだ。例えば事実、金来成本人が『白蛇図』は探偵小説ではなく怪奇小説だと称しているのではあるが、しかし、とくに『白蛇図』は『思想の薔薇』での試みをひそかに一歩進展させた作品ではないか、私にはそう思えてならない。

『白蛇図』とはだいたいこんな作品です。「女の裸体に大小の蛇がからみついた『白蛇図』という鮮展の特選絵画作品に魅せられた男が、江原道の辺鄙な村に謎の画家を訪ね、世にも不思議な話を聞かされる。その画家は巫女と結婚するが、その後ほど経て画家の父母が家の中で死に、深夜山道で蛇と戯れる若い妻の姿を目撃して苦悩する。父母の死と妻の奇妙な行動と何か関係があるような気がしてならないのだ。画家は悶々とした挙句……。ありえないような話だが、月と星以外に明りのない辺鄙な村の果樹園を背景に据えることで異様な話が妙に現実味を帯びてくる。不可思議な事件の顛末について男は一つの合理的解釈を示すのだが、果たして事実とは……」

『魔人』の日本語版を刊行

 韓国推理小説の古典とみなされるに至った『魔人』もまた、来夏「論創海外ミステリ」として刊行される予定です。現在、『朝鮮日報』連載時の内容を基本に翻訳を準備中ですので、今しばらくお待ちください。

 金来成を手っ取り早く知る方法は、短い作品を読むことです。

 金来成に『綺譚・恋文往来』(1935)と『鐘路の吊鐘(しょうろのつりがね)』(1939)という日本語で書かれたショートストーリーとでも呼ぶべき作品があり、この2作品を読むと話のうまさに思わずうなってしまいます。読書時間よりも、読後の余韻の方が長いというか……。ともあれ、戦前の金来成作品は天才的ミュージシャンの演奏にも似てすべて読む価値があると言えるのではないか。

金聖鍾と推理小説ブーム

 金来成の後を継ぐ作家と言えばやはり金聖鍾であろう。韓国には他に推理作家がいないわけではない。しかしながら、『最後の証人』が注目を浴びて以降、とくに80年代において国産推理小説ブームとでも呼ぶべき現象が起こるのだが、著作が刊行されるたびに10万部の販売が見込める推理作家は金聖鍾以外にはいまい。そのことを端的に示す当時の新聞記事を二、三挙げてみよう。

 1981年10月14日付『毎日経済新聞』には、「”韓国は推理小説ブーム” 日本の朝日新聞 大きく報道」との逆輸入記事が掲載されている。それによると朝日新聞藤高ソウル特派員による記事として「純文学中心の韓国に推理小説ブーム」という見出しで韓国の読書界に異変が起こっているとし、これを主導した人物は金聖鍾だと紹介している、などと日本の新聞記事を要約している。むろん韓国では周知の事実であるはずだが、韓国の言論界では長老作家をさし措いて当時はまだ中堅作家だった金聖鍾を前面に立てた記事は書き難かったのだろう。外国人の方がかえって状況を客観的にとらえることのできる一つの好例とも言えそうだ。

 次にもう一つ。

 1980年8月12日付『東亜日報』は、「女性誌付録競争」という記事を載せている。比較的景気の影響を受けないとされる女性誌は最近、不況による販売部数落ち込みをふせごうと日本の出版界の影響による女性誌の付録競争が激化しているとの内容だ。その中で『主婦生活』9月号の付録に金聖鍾小説集と旅行案内書「夏の旅人」が付いている、とある。生活スタイルの変化、推理小説の読者層の広がりなどがみてとれて面白い。

 ついでにもう一つ。

 1987年8月4日付『東亜日報』に「推理小説がよく売れる 大型書店一日に100冊余り」の記事が載っている。

「……鍾路書籍(残念ながら2002年に閉店)教保文庫などソウルの大型書店には夏になり、連日80〜100人程度が推理小説を探している。

 大型書店推理小説コーナーには現在、約120種余りが陳列されているが、中でも金聖鍾の『美しき密会』、『最後の証人』、鄭建燮(チョン・ゴンソプ)の『ミステリ34』、アガサ・クリスティ『10個のインディアン人形』(『そして誰もいなくなった』のことか)、『メソポタミア殺人事件』などがよく売れている本。

 また、最近出た魯元(ノ・ウォン) の『非常階段の女』、松本清張の『波の塔』……(中略)などもよく売れている」

金聖鍾の代表作

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 さて金聖鍾とはどんな作家か。1941年生まれで十歳前後の少年時代に朝鮮戦争による避難生活を経験し、その渦中で母を亡くしたことが強烈な原体験となっている。作品は大まかに分類すると、①原体験に深く根差した初期作品②80年代の推理小説ブームの核をなすエンターテインメントに徹したサスペンス作品③社会派タイプの作品の三つに大別されるだろうか。50作を超える著作の中でも、とくに『最後の証人』は金聖鍾の最初の長編にして代表作となる作品で、金来成がもし読んでいたら激賞したにちがいない、文芸的な要素と探偵小説的要素が見事に融合した傑作だ。すでに邦訳(論創社、2009)が出ているので説得力のない訳者による褒め言葉よりは読んでいただくのが一番だが、ソウルと地方で起こった二つの殺人事件を孤高の刑事が捜査していく過程で二十年前、つまり朝鮮戦争当時のとある事件がからんでいることに気づき、刑事は苦悩しながらも身の危険をもかえりみず事実の解明にこだわった末に得たものは…という展開になる。この作品は韓国文学史に名を残しても決しておかしくはないように思う。2014年1月には『最後の証人』仏語版『Le Dernier Témoin』(Actes Sud社)が刊行される予定。

韓国土着のミステリ

 80年代の韓国において、とくに金聖鍾の作品がアガサ・クリスティとか、フレデリック・フォーサイス(Frederick Forsyth)の翻訳物以上に読まれた理由な何か。それは創作技法の面でフォーサイスなど欧米作家の影響を受けながらも韓国という土地を舞台に韓国人の感性で独自の推理作品を描いたこと、いわば韓国土着のミステリを創作した点にあるのではなかろうか。その典型とも言うべき作品を一つ紹介しよう。『七本の薔薇』(南島社、1980)という作品がそれ。平凡なタイトルからはとくに惹かれるものはないものの、読みだすと巻を措く能わず、といった展開でひそかに楽しんできた作品の一つだ。そのストーリーはおおよそこんな感じです。

「薬局の開業を夢見る三十代半ばの容貌の冴えない会社員崔九(チェグ)は旅先で知り合った若くて美人のブティック経営者と結婚するという幸運に恵まれる。夢の実現も間もないある日、犯罪組織により妻が拉致され集団で暴行されるという事件が起こった。その日を境に崔九の人生は一変する。傷の癒えない妻はふたりが出会った海辺の断崖から身を投げ、夫は復讐を誓う。妻は犯人とおぼしき七人の似顔絵を描きのこしていた。その絵を手懸かりに崔九は一個の殺人機械と化していく。警察に先んじて犯人を捜すことができるのか、仮に一人でも殺人を犯せば、追う方が今度は追われる立場になる。追いつ追われつしながらも崔九は執拗に犯人に迫っていく」

 殺人方法は古典的だが圧巻は親玉との死闘であろう。通禁(午前零時から4時までの夜間外出禁止令のこと。1982年1月5日夜から解除された)という制限を逆に利用しながら崔九が厳しい警察の追及を逃れていく描写は読みごたえ充分で、深夜には密室と化すナイトクラブで絶体絶命の窮地におちいったときの描写などは、参りましたという感じ。驚愕の反転も用意されており、本作品は韓国屈指のサスペンス・ミステリーに仕上がっている。発売当初はベストセラーにもなり、1984年にはMBC放送局のTVドラマ・ベストセラー劇場でドラマ化されてもいるが、この作品の評価についてはほとんど耳にすることはなく埋もれた傑作と言えそうだ。その後、金聖鍾は80年代の後半にかけて『生きていたい』『白色人間』『ピアノ殺人事件』『凍りついた時間』『国際列車殺人事件』などのベストセラーを生み出し、1992年には、私財を投じて釜山に「推理文学館」を開設するに至る。このころが国産ミステリの絶頂期と言えるのかもしれない。

 最近の金聖鍾はマイペースで作品を書いているようだ。つい最近(今年10月)『オオカミ少年タル』という長編小説を発表し、話題を呼んでいる。

 この小説は母を癌で亡くした少年タルがゴミ捨て場で瀕死の子犬を救い出すことから物語が始まっていく。その犬は成長するにつれ、並外れた能力を発揮するようになり、いくつか綴られるエピソードが微笑ましい。あるとき、多額の借金を抱えながら昼も夜も働き詰めのタルの父が案内役となり、セミ(タルの姉)とタルとケル(犬)と家族みんなで智異山(チリサン)縦走に挑むことになった。この縦走場面の描写は一編の冒険小説としても読め、ヤングアダルト向けを意識しているのだろう。ただし智異山は朝鮮戦争のとき、国軍と人民軍のパルチザンが激しく戦った地でもあり、たんなる冒険小説では終わらない。果たしてタルが国軍兵士の人骨を見つけるという展開になる。さて、そのあとは……。

推理小説「日流」

 1994年5月29日付『毎日経済新聞』は「翻訳推理物出刊ラッシュ」という記事を載せている。これは当時新進の時空社が世界的に名高い推理小説千巻余りの中から厳選した「シグマブックシリーズ」刊行を予告する記事で、第1回配本としてエラリー・クイーンの『災厄の町』『フォックス家の殺人』を同時刊行し、さらにエラリー・クイーンの作品については20巻まで刊行する予定だとしている。余談だが、時空社は2005年から横溝正史の金田一耕助シリーズを刊行しており、今年の2月には『病院坂の首縊りの家』韓国語版を発行している。

 2007年1月19日付『東亜日報』では、ついにこんな記事まで現れた。「日本の小説には“耐えられない”軽さがある」というのである。冒頭部分だけ紹介すると、「このごろ出版界における『日流』はたんに流れる水ではなく、洪水の水準だ……」という具合。

 さらに2007年7月6日付『東亜日報』では、「推理小説日流……夏の夜が冷たい」と題し、「日本の推理小説には特別な何かがあるのだろうか? 夏を迎え、国内では日本の推理小説熱風が強い……」この流れは当分つづくものと出版界では予測している、としている。

 韓国の国産ミステリはどうなっていくのか?

祖田律男(そだ りつお)。神戸在住。韓国語翻訳家。訳書に金聖鍾『最後の証人』、同『ソウル—逃亡の果てに』、アンソロジー『コリアン・ミステリー』など。

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