(2)ノルウェー編・前半
今回から2度にわたって、スウェーデンの西の隣国、ノルウェーにスポットを当てます。スウェーデンにいると、ノルウェーのミステリーはとてもよく見かけるのですが、日本ではスウェーデンやデンマークの陰に隠れてしまっているようではないですか? なんともったいない。息をのむほど美しい自然と、成熟した民主主義を誇り、王太子がロックフェスティバルでドラッグ歴のあるシングルマザーと出会って結婚してしまう(すみません、個人的趣味入りました。ホーコン王太子ご夫妻けっこう好きです)ノーベル平和賞授与国、ノルウェーのミステリーと社会の実情を、ちょっとご紹介したいと思います。
今回、ノルウェー編に協力してくださったのは、ノルウェー情報サイト「ノルウェー夢ネット」を運営し、ノルウェー語の通訳・翻訳、語学レッスン、語学書の出版や書籍翻訳などを手がけていらっしゃる、青木順子さんです。協力者を探していた私に、ノルウェー在住の友人が「この人に連絡をとってみたら?」と教えてくれたのが、青木さんのサイトでした。さっそく拝見してみたところ、圧巻の情報量! 文章もおもしろく、気がつけば時間を忘れて熟読していました。そんな心強い協力者を得て、ノルウェー社会やミステリーについて面白いお話をうかがうことができました。
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ヘレンハルメ(H):青木さんにおすすめいただいた、カーリン・フォッスム(Karin Fossum)の『Elskede Poona(いとしのプーナ)』読みましたよ。
青木さん(A):どうでした?
H:すごく引き込まれました。読み終わったあともしばらく、怖さがじわじわと迫ってきて。片田舎に住むノルウェー人の冴えないおじさんが、インドの女性の美しさに夢を抱いて、インドへ花嫁探しに出かけ、ほんとうに見つけてしまうんだけれど、ノルウェーに到着した彼女におぞましい事件が……という話で、描かれている犯罪も恐ろしいんですが、それよりもなによりも、狭い社会に暮らすごくふつうの地味な人々の心理の動きが、なんとも不気味で恐ろしい本でした。
A:カーリン・フォッスムは精神病院で働いていたこともあるので、心の闇の描きかたは卓越していますね。小説の舞台となるのも首都ではなく郊外です。ノルウェーって実は、大きな都市と言えるところがほとんどなくて、こういう郊外の田舎町がほとんどなんですよ。そんなところに暮らすごくふつうの人たちを描いて、人間って実はこういうことを考えている、というのを掘り下げるのがうまいですね。
人気ではジョー・ネスボが筆頭
H:ノルウェーのミステリー作家といえば、ぱっと思いつくのはジョー・ネスボ(Jo Nesbø)ですよね。スウェーデンでも人気がありますし、アメリカの『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーリストでトップになったというニュースも流れました。ノルウェー国内でも人気なんでしょうか。
A:大人気ですよ〜。ネスボの新作が出版されると、書店をはじめとして大がかりなキャンペーンが展開されます。下の写真は昨年6月、新作の『Politi(警察)』が出版された時のディスプレイです。
H:すごい。本屋さんの壁一面に垂れ幕のように張ってあるんですかね? ノルウェーのミステリー作家の中でも、人気の面では別格という感じですよね。先日、コペンハーゲンの本屋さんをのぞいたときにも、最新作の『Sønnen(息子)』がお店の真ん中に大量に積んでディスプレイしてありました。「キング・オブ・クール・ミステリー」という謳い文句とともに、ネスボの顔写真をどーんと載せた垂れ幕が下がっていて、売りかたがロックスターみたいだと思いましたよ。あっ、そういえばネスボは実際、ロックバンドのヴォーカリストでもあるんですよね、確か。
A:日本にたとえると、ネスボの新作発売は村上春樹の新作発売に近いかな。本屋さんに行列ができて……。驚いたのは、今年5月にノルウェーを訪れた際、スーパーでも彼の本が並んでいるのを見たことです!
H:そんななんですね。
A:それだけ人気があるぶん、ネスボ嫌い、っていうアンチもけっこういますけどね。ナルシストすぎるって。
H:青木さんはネスボ、お読みになりました?
A:原書では『Marekors(五芒星)』(ハリー・ホーレ刑事シリーズ5作目)、邦訳では『ヘッドハンターズ』を読みました。どちらも北欧ミステリーの特徴と言える社会批判の側面はほとんどなくて、殺人シーンや暴力シーンなどの描写が映像的かつ派手ですね。仕掛けが大きいです。
H:たしかに。私はハリーシリーズ1作目の『Flaggermusmannen(蝙蝠男)』を読みましたが、とっても映像的でスペクタクル的で派手でした……
A:あと、舞台がオスロである必然性がないですね。無国籍風。主人公の名前も、Harry、Rogerとわかりやすいです。ゆえに国際的なヒット作となったともいえるのかも。
H:『Flaggermusmannen』も、舞台はシドニーでしたよ。ノルウェー社会についてはこれじゃさっぱりわからんなと思いました(笑)。むしろオーストラリアのアボリジニの民話などが豊富に紹介されていて、それはそれでとても面白かったですけどね。シリーズではほかにタイに行ったり香港に行ったりしているみたいですね。ある意味、あまりノルウェーらしくない作家なんでしょうか。だから心理的な障壁がなく、国際的にも受けがいいのかもしれません。ノルウェーではどうして人気があるんでしょう。
A:ハリー・ホーレはアルコール依存症で問題児。一匹狼風で、個人主義的なところが、ノルウェー人にとっては自己投影しやすいのかな、と思います。同時に、憧れの存在でもありそう。ノルウェー人男性って、007シリーズが大好きなんですよ。新作が発表されるたびに大騒ぎです。さっきも言ったとおり、ノルウェーのほとんどが田舎町で、人々はあまり刺激のない、同じような生活をしています。毎日、外食もせずに味気ないオープンサンドばかり食べて、仕事のあとは保育園に子どもを迎えに行って、みたいな生活をしてると、ジェームズ・ボンドに憧れちゃうんじゃないですかねえ(笑)。
H:うーん、ハリー・ホーレとジェームズ・ボンドがある意味同列って、かなり新鮮です。
A:ボンドよりかなりくたびれたおっさんのハリーですが、女性になぜかモテる、というところがまた、ノルウェー人男性の心の琴線に触れるのではないかと想像しています。さらにネスボの作品は、セレブやリッチな登場人物が出てきて、ある種、のぞき見的な好奇心を満たすことができるのも、ノルウェー人にとっては魅力なのではないかと思います。
ちなみにハリー(Harry)という名前は、ノルウェーではネガティブなニュアンスがあります。もともとハリーは英語圏の男性の名前ですが、1900年代の初めごろからノルウェーで、労働者階級を中心に、この名前を子どもにつけるのが流行りました。退職した小学校の先生の知り合いがオスロにいるのですが、彼女はそうしたアメリカかぶれした名前の子どもがクラスにいると、内心、軽蔑していたそうです。そんなわけで、harryは「下品な、庶民的な、頭が悪い」といった意味を持つネガティブなスラングになってしまいました。
H:面白いですね。実はスウェーデンでも、ハリー、ソニー(Sonny)、トミー(Tommy)など、yで終わる男性の名前はあまりいいイメージがなくて、その点はノルウェーと同じです。統計的にもyで終わる名前だと犯罪率が高いそうで。ミステリーを読んでいても、チンピラとか、あまり頭脳派ではない警察官とか、そういうキャラクターにyで終わる名前がついていることが多い気がしますね。これは統計をとったわけではなく、私の印象なんですけど。
A:あと、詳しくはここに書いたのですが、Harryという言葉についてはちょっとおもしろいエピソードがあります。ノルウェー人は安いお酒やたばこ、食料品を買うために、わざわざ国境を越えてスウェーデンまでショッピングに出かけるんですが、その行為が「harry」、つまり愚かで下品だということで、こうしたスウェーデンへの買い物を「harryhandel(ハリーの買い物)」と表現するんです。
H:ノルウェー、物価高いですもんねえ。そのharryhandel、何年か前にオスロへ車で行ったときに目撃しましたよ。ちょうど夏休み前だったこともあって、国境の町のショッピングモールへ向かうノルウェー人の車で、反対車線が大渋滞していました……。人口の少ないスウェーデンで、事故以外で大渋滞と呼べる状態を目撃したのは、あれがいまのところ最初で最後です(笑)。
おすすめの作家など
H:話をちょっともとに戻しますね……ノルウェーのミステリーに興味のある人がいたら、青木さんはどの作家、作品を勧めますか?
A:さっきも話に出た、カーリン・フォッスムですね。彼女の文章力、心理描写は卓越しています。ネスボのような派手さはなくて、もっと静謐な感じの文章です。小説の舞台も出てくる人も、ごくありきたり、地味すぎるぐらいですが、そうした人たちの織り成す心の澱を描く筆力は素晴らしいです。
H:邦訳が出ているのは、ガラスの鍵賞を受賞した『湖のほとりで』だけみたいですね。
A:フォッスムは刑事コンラッド・サイエル(Konrad Sejer)シリーズが有名ですが、この刑事は、ネスボのハリー・ホーレとは対照的な、地味で穏やかな人物です。いろいろな意味で、ネスボとの比較は興味深いです。
とにかく『いとしのプーナ』のおじさんみたいな冴えない男を書かせると上手いんですよ(笑)。もうひとつ面白かった作品が、これはミステリー仕立てではないんですが『Jonas Eckel(ヨーナス・エッケル)』。これも地味で冴えない男の話で、彼はなんとか結婚に成功するんだけど、とにかく女の人の心理がまったくわからない。ディスコミュニケーションというのかな、その描写が真に迫っています。
H:そもそもノルウェーでは、ミステリーというのは人気のあるジャンルなんでしょうか。
A:ベストセラーランキングを見ると、ミステリー、多いですね。ノルウェーの作品だけではなく、スウェーデンのミステリーも人気があります。スティーグ・ラーソン、ヘニング・マンケル、ヤン・ギィユー、リサ・マークルンドあたりでしょうか。スウェーデンのミステリーは、オリジナルのスウェーデン語版のポケットブックが安く売っているので、手軽に買える印象です。
H:そうなんですか?
A:そのほうが安いんですよ。ノルウェー、本が高くて。ハードカバー399クローネ(約6,800円)とかありますし。
H:スウェーデンも高いと思いますが、さすが物価高ノルウェー、本の値段もスウェーデンの上を行っているんですねえ。スウェーデンだと、ノルウェーのミステリーは基本的に翻訳されて売られています。ノルウェー語版をそのまま書店で売っているのは見かけたことないかも……まったくないわけではないと思いますが。ひょっとすると、ノルウェーに近い地方だとよくあるのかな。
A:ノルウェー人って、スウェーデンのほうが文化的に優れているというコンプレックスのようなものを抱いているから、それもあるのかもしれません。ノルウェー語よりもスウェーデン語を使うほうがカッコ良いと思われていますしね。ちょっとした言葉、たとえば、おめでとう(Gratulerer)や、さよなら(Ha det)を、スウェーデン語でGrattis、Hej dåと言ったりします。スウェーデン発、というと、なにかと人気が出ますね。
ノルウェー独特かなと思うのは、イースター(ノルウェー語でポースケ)前になると「ポースケクリム(påskekrim)」がたくさん書店に並ぶこと。「クリム」はミステリーです。イースターの休暇中、別荘にこもって、ミステリー小説を楽しむ伝統があるようです。
H:イースター休暇中はテレビやラジオもミステリー一色になると聞きました。スウェーデンにはこの伝統、もともとなかったと思うのですが、各出版社がノルウェーを真似してプロモーションしようとしているらしくて、最近は耳にすることもあります。
スウェーデン語のまま書店に並んでいる本
ノルウェー・ミステリーの特徴
H:ノルウェーのミステリーに独自の特徴があるとしたら、それはなんだと思いますか?
A:ノルウェーだけ、と限定するのは難しいかもしれません。北欧ミステリー共通だと思いますが、
• 一見して世界的に成功している福祉国家の闇の部分を暴く社会性。
• 主人公がスーパーマンではなく、むしろアルコール依存症だったり、家庭に失敗していたり、同性愛者(アンネ・ホルト(Anne Holt)のハンネ警部補)だったりと、一筋縄ではいかないところ。
• 北欧は一般的に美男美女のイメージだが、登場人物はほぼ地味でリアリズム的。
• ミステリー作家であっても、児童書や純文学を出版しているなどノン・ジャンルなところ。カーリン・フォッスムはいわゆる純文学も書いているし、ネスボやアンネ・ホルトは児童書も数多く出版している。
H:なるほど。たしかに、どれもスウェーデンと共通しているかも。児童書を出しているミステリー作家はスウェーデンにもけっこういますし、純文学とかけもちしている人も何人かすぐに思いつきます。社会性があるという点も、スウェーデンではそういう作品が実際多いし、また好まれる傾向があるように思うのですが、ノルウェーもそうなんですね。
A:いま、いちばん人気のあるネスボは、あまり社会派とは言えないと思います。むしろ、ダークなエンターテインメントに徹している感があります。さっきも話したとおり、ノルウェーという退屈な国で非日常感を得られるのが彼の人気の理由だと思います。
H:ああ、それは、スウェーデンでも少しずつ、そういう作品が増えてきているような気もします。エンターテインメントに徹した、映画的な作品。国際的にも売れやすいからかな……。
A:でも、そのほかの作家のミステリーだと、社会的な要素が大なり小なり浮き出ています。アンネ・ホルトは自身が同性愛者であり、元法相という立場もあって、同性愛への偏見、児童福祉の問題点、移民、難民差別、レイプ犯罪の刑があまりに軽いこと、などをストレートに告発しています。
H:アンネ・ホルトは邦訳も何冊か出ていますよね。不勉強でまだ読んだことないんですが、とても興味あります。
A:弁護士さんでもあるから、法廷シーンとかリアルで面白いですよ。
H:ミステリー以外でおすすめの作家とか作品とかあります? 人気のあるジャンルはほかにありますか?
A:私も翻訳・出版にかかわった、グロー・ダーレ(Gro Dahle)という絵本作家は素晴らしいです。『パパと怒り鬼(Sinna Mann)』は、絵本というジャンルでDVという問題を扱った異色作です。出版までの道のりは平たんではありませんでしたが……このブログをご参考までに。
彼女は、「離婚して傷ついた子ども」「いい子の役割を演じなければならない女の子」などを詩的な文章でつづっています。
H:これは確かにおもしろそうです。
A:人気のあるジャンルは、ミステリーがダントツですが、ノンフィクションも人気があります。2011年に起こった連続テロ事件の犯人について詳細につづった『ノルウェーの悲劇(En norsk tragedie)』は、テロ関連本の中でもベストの呼び名が高く、ぐいぐい読ませる力があって、まるで上質なミステリーのような1冊です。
ノルウェー・ミステリーと社会
H:ノルウェーで、ミステリーの古典と考えられている作家や作品はなんでしょう? たとえばスウェーデンだと、1960年代のマルティン・ベック・シリーズがいまのスウェーデン・ミステリーの礎を築いたと言えると思うのですが。
A: グンナル・ストーレセン(Gunnar Staalesen)というミステリー作家の作品に出てくる私立探偵、ヴァルグ・ヴェーウム(Varg Veum)かな。1作目は77年ですので、マルティン・ベックほど歴史はありませんが、1977年から2012年までに18冊出版されています。映像化もされていて、日本でも「私立探偵ヴァルグ」というタイトルで放送されました。ノルウェー人ならば誰でも知っている作家・私立探偵です。
H:はあ〜、これ知らなかったです。新発見。これもハードボイルドで一匹狼なハリー・ホーレ系みたいですね。ほかに、だれでも知っているミステリーの登場人物っていますか? スウェーデンだと、マルティン・ベックはもちろん、最近ではヘニング・マンケルのヴァランダー警部も、テレビドラマの影響が大きいのでしょうが、ミステリーを読まない人でも名前はだれでも知っていると思います。
A:前述のヴァルグ・ヴェーウムに加えて、ジョー・ネスボのハリー・ホーレ、カーリン・フォッスムのコンラッド・サイエル刑事、ウンニ・リンデル(Unni Lindell)のカトー・イサクセン、くらいでしょうか。ヴァルグ・ヴェーウムを除いて、みんな警察官です。これらの登場人物の作品はシリーズ化され、映像化もされています。認知度には多少差がありますが、ヴァルグ・ヴェーウムとハリー・ホーレはまさに「だれでも知っている」レベルですね。
H:ノルウェー・ミステリーの主人公というか探偵役は、たいてい警察官なんでしょうか?
A:マイナーなものはわかりませんが、有名どころで刑事以外は、前述のヴァルグ・ヴェーウム・シリーズのみです。主流は警察ものですね。
H:スウェーデンでも、例外はもちろんありますが、主流は警察ものなんですよね。これについては、スウェーデンのミステリー作家であるアルネ・ダールさんが日本を訪問したときに、印象的なことをおっしゃっていました。スウェーデンで警察小説が主流なのは、スウェーデン人が根本的には警察組織を信用しているからだ、というのです。もちろん、警察や、警察にかぎらず公的機関を批判することは大いにありますが、それは「公的機関は基本的に正しい方向をめざしている」「批判をすれば改善される」という性善説が根底にあるからで、警察が腐敗しきっているとみなされている国々では、刑事が正義のために活躍する小説は成り立たない、というようなお話で、私はすごく納得しました。このコメントについてはどう思われますか? ノルウェーについても似たようなことが言えるでしょうか。
A:興味深いご指摘ですね。確かに、警察本体が腐敗しているような国では、警察小説があったとしても、まったくちがったものになるでしょう。
ノルウェーでも、人々の警察に寄せる信頼は非常に高いです。その信頼の高さを逆手に取ったのが、2011年7月22日に起こった連続テロ事件でした。犯人のアンネシュ・ブレイヴィークは、オスロの官庁街で爆弾テロを起こしたあと、警官の制服を着て、ノルウェー労働党青年部の集会が行われていたウトヤ島に現れました。爆弾テロの捜査だと偽って島への上陸に成功し、そこで銃を乱射して70人近くを殺害したんです。「警察だから安全」というみんなの意識があって、無防備にも彼を島に入れてしまい、それから殺戮が始まりました。
H:ほんとうに卑怯きわまりない手口ですよね。
A:「性善説」も、ノルウェー人にも当てはまると思います。どんな福祉国家でも、完全ではない。そして、黙っていても社会は自然に良くなるわけではない。そういう意識が強いですね。
H:それは、スウェーデンでもとても強く感じます。ミステリーに限らず、新聞やテレビの報道なども、公的機関や権力に対してとても批判的で辛辣です。マスコミが権力の監視機関としてきちんと機能しているという印象を受けます(少なくとも日本と比べると)。なにか問題を告発する報道があると、それで議論が巻き起こり、実際に改善しようという動きが始まる、という流れが、すばやいし、はっきり可視化されているし。
A:マスコミ、すごく厳しいですよね。しかも極端でネガティブな例を大きく報道することが多い。
H:それはほんとうにそのとおりですね。
A:たとえば、90歳を超えて独居で困っているのに、なかなか老人ホームに入れない、とかいう話が大々的に報道されたり。知り合いの労働ビザが下りず、そのことを新聞社に訴えたら、大きく報道されて結局ビザが下りた、なんていう話も聞いたことがあります。たとえ99%はうまくいっていても、1%のネガティブな例があれば大きく報道されてしまうんです。
H:それはスウェーデンでも同じだと思います。で、責任者にマイクを突きつけて、いったいどうしてこんなことになったんですか、どういう対策をとるんですか、と迫るんですよね。
A:ノルウェーは人口が510万人しかいないので、マスコミとの距離が近いです。新聞に載ることがけっこう身近で、しかも地方紙が多いから、赤ちゃんが生まれたっていうだけで写真が載ったり。
H:ああ、それも同じですね。知り合いが載っていてもあまり驚かなくなりました(笑)。そもそもニュースになるような事件が少ないから、ちょっとした小さな社会問題もくまなく拾おうとしますよね。いや、もちろん、当事者にとっては大問題であることも多いんですが。
A:夏休み期間中で臨時の記者ばかりになって、ネタが夏枯れ状態になることを、ノルウェーでは「キュウリの時間」って言うんですよ。「今年のキュウリの長さは何センチか」をネタにするぐらいネタがないから(笑)。そんなときは、ふつうの全国紙に、お財布を落としたけど警察に届けられていて感動した、っていう話が載ってたりして、驚きました。
H:国内のニュースが少ないぶん、外国のニュースが多くないですか? 日本とはまったく比率がちがうなと感じます。
A:そうですね。アフガニスタン情勢など、私はノルウェーのメディアを通じて知ることが多かったです。
H:シリア内戦やウクライナ情勢なども、日本ではきっと遠い話ですよね。スウェーデンではシリア難民がたくさん来ていることもあってか、かなり大きく報道されていますが。
A:ちょっとした社会問題も取り上げるといえば、私は講演会の通訳などもたまにやっているんですが、ときどき困ることがあります。日本人は、北欧がいかにすばらしいかを聞きたがっているのに、ノルウェー人は小さな問題を強調したがるというか、これだけ良いシステムでもまだ問題がある、と強調したがるんですよ。たとえば精神科医療についての講演で、日本人は北欧のすばらしいシステムを学ぼうと思って来ているのに、ノルウェー人のほうは「北欧は精神科病院のベッド数を減らしすぎちゃって大変なんです」という話を始めてしまったり。需要と供給が噛み合わなくなってしまって、たまに通訳として困り果ててます(笑)。
H:ある意味、ミステリー小説にも、その需要と供給の齟齬があるのかも、っていま思いました。スウェーデンのミステリーを読んだ日本の方にときどき「スウェーデンって平和な国だと思っていたのに、こんなに怖いところなんですか」「スウェーデンに行きたくなくなった」と言われるんですよ。北欧は理想の社会みたいに持ち上げられることが多いけど、当然、問題はたくさん残っているわけで、ミステリーはあえてそういうところに焦点を当てているから、幸せいっぱいのどかでおしゃれな北欧を期待して読むと、たしかに裏切られますよね。でも、どちらも同じ社会の一面であって、視点がちがうだけなんだと思います。
2011年7月22日のオスロ&ウトヤ島のテロ
H:ノルウェーの社会問題というと、爆破と銃乱射で77人が亡くなった2011年の連続テロ事件は、ほんとうに衝撃的でした。日本でどれぐらい報道されたかわかりませんが、スウェーデンでは隣国を襲った大事件ですから、とても大きく、詳しく報道されました。犯人のブレイヴィークは極右思想の持ち主で、ノルウェーの移民政策に反対して、あのような行動に及んだんですよね。実際、こんな極端な反応が表れるほどに、移民問題は深刻なのでしょうか。極右政党が台頭しているなどの問題はありますか。
A:現在、オスロの住民の4人に1人は移民または移民2世、3世です。その人口比の割には、移民に対する反発は少ないと思います。テロ実行犯ブレイヴィークは、日本の「ネトウヨ」に相当するような人物ですが、彼は幼少時に親から虐待を受けたり、周囲の裕福な家庭の子どもに比べて経済的に劣っていたりと、様々な要因が重なった不幸な例だと思います。
移民の国籍ですが、1位はポーランド。次いでスウェーデン、リトアニア、ラトビアなどが多いです。EU圏外からだと、パキスタン系が目立ちます。オスロのタクシーやバスの運転手はほとんどパキスタン人かソマリア人ですね。
H:なるほど、ブレイヴィークは当然、さすがに極端な例ですよね。パキスタン系が多いのはなぜなんでしょう。
A:パキスタン人は、ノルウェーにかぎらず、1970年代に労働力としてヨーロッパに移住してきた人が多いみたいですよ。当時、とくにノルウェーは石油が出たばかりだったので、たくさん受け入れていました。それで定住したパキスタン人が、家族や親戚を連れてきたりして増えていった、ということのようです。もちろん生活保護を受けて暮らしている人もいるけれど、政治家として活躍しているパキスタン人もいるし、さまざまです。
H:なるほど、そうなんですね。じゃあ、移民排斥政党もあんまり強くない?
A:一番の右派は進歩党(Fremskrittspartiet)です。結党当時は、極端な移民排斥を訴えてきましたが、徐々に連立政権党を目指し、過激さは薄めてきています。そして昨年秋の選挙で、保守党と連立政権を組むことに成功し、念願の政権入りを果たしました。適法にノルウェーへ移住した移民や難民に対しては、ノルウェー社会への適合を強く求めている政党ですね。
でも、移民に対する偏見がまったくないかといったら、もちろんそんなことはないでしょうね。ミステリーを読んでいても、ポーランド人やバルト三国人が登場するのはたいていチンピラ役だったりして。
H:それは、スウェーデンのミステリーでも多いですね。旧ユーゴスラビア系とか……それでは偏見を助長するということを意識しているのか、最近は変わってきているようにも思えますが。
あのテロ事件のあとは、ノルウェー社会の対応もいい意味で衝撃でした。「われわれの答えは、より民主的に、より開放的に、より人道的になること。しかし甘い認識は排すること」と語ったストルテンベルグ首相の言葉に始まって、世論のオープンさ、徹底した自己検証と批判、その透明性には圧倒されました。黙っていて自然に民主主義社会が守られるわけではない、というのも、北欧を見ていると実感させられます。
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次回「ノルウェー編・後半」に続きます!
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◇ヘレンハルメ美穂。スウェーデン語翻訳者。最近の訳書は、ルースルンド&ヘルストレム『三秒間の死角』、セーデルベリ『アンダルシアの友』など。スウェーデン南部・マルメ近郊在住。ツイッターアカウントは@miho_hh |