(4)フィンランド編・前半

 お次はスウェーデンの東の隣国、フィンランドです。とはいえ、前回のノルウェー編でも話に出たとおり、スカンジナビア三国の言葉とフィンランド語はまったく系統のちがう言葉ということもあって、スウェーデンは隣国なのにあまり情報が入ってこないのです。なかなかいい作家がいるという噂は耳にするのに、スウェーデン語に訳されているミステリー作品がどう考えても少ない。調べてみたところ、なぜかドイツではけっこう訳されているのに……

 これはぜひともフィンランド語のできる方、できればフィンランド在住の方にお話をうかがわなければ、と考えていたところ、フィンランド語の翻訳や通訳を手がけていらっしゃるセルボ貴子さんと知り合う機会を得ました。ここぞとばかりにすがりつき、しがみつき、図々しくもフィンランド西岸・ポリのご自宅まで押しかけて、話が尽きず午前1時過ぎまでセルボさんを夜更かしさせる大迷惑ぶりを発揮しながら、お話をうかがってきました。

 折しも今年のフランクフルト・ブックフェアのゲスト国はフィンランド。今年はムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの生誕100周年にもあたっています。来るにちがいない、いや、すでに来つつあるのかもしれないフィンランド・ブームを、ご一緒に先取りいたしましょう。

フィンランド語は宇宙の言葉!?

ヘレンハルメ(H):フィンランドのミステリーなんですが、どんな作家がいるかあらかじめお伺いして、何人か教えていただきましたよね。フランクフルト・ブックフェアに向けて翻訳が進んでいる作家の名前も挙げていただきました。でも調べてみたら、この中で作品がスウェーデン語に訳されている作家って意外と少ないんですよ。隣国だし、歴史的なつながりもかなりあるのに……ドイツ語訳は多いんです、なぜか。

セルボ貴子さん(S):そうですよね。ドイツ人は北欧のミステリーが好きみたいで、ドイツ語には豊富に訳されています。フィンランドは歴史的に親ドイツの傾向があるので、それも関係しているかもしれませんね。つねに脅威であるロシアに対抗するため、ドイツと手を結んで、第二次大戦は敗戦国となりました。

H:20世紀のフィンランドの歴史はまさに激動ですよね……そのへんもあとでじっくりうかがいたいのですが、まずはフィンランドの人気ミステリー作家についてうかがわせてください。ぱっと思い浮かぶ名前は?

S:イルッカ・レメス(Ilkka Remes)、レイヨ・マキ(Reijo Mäki)、レーナ・レヘトライネン(Leena Lehtolainen)、ハッリ・ニュカネン(Harri Nykänen)、セッポ・ヨキネン(Seppo jokinen)、マッティ・ロンカ(Matti Rönkä)、マルック・ロッポネン(Markku Ropponen)、ユハ・ヌンミネン(Juha Numminen)、ピルッコ・アルヒッパ(Pirkko Arhippa)、エーヴァ・テンフネン(Eeva Tenhunen)あたりでしょうか。このへんは、よく人気サスペンス・ミステリー小説リストに載っていて、書店でもいい位置にある作家たちです。あと、オウティ・パッカネン(Outi Pakkanen)は少し昔の人ですが、とてもいい本を書くと通の知人がおすすめしていました。私はこの中で読んだのは5人で、全部はまだ手が出せていないんですが……あと最近の人ではアンッティ・トゥオマイネン(Antti Tuomainen)が人気が出てきているとか。

H:おお、馴染みのないフィンランドの名前がたくさん……北欧ミステリーの登場人物の名前が覚えにくいとおっしゃる読者の気持ちが、いまわかった気がします(笑)。

S:フィンランド語は、スウェーデン語やノルウェー語のようなスカンジナビアの言葉とは、まったく系統がちがいますもんね。むしろハンガリー語やエストニア語と親戚です。

H:それもあって、スウェーデン語への翻訳があまり進まないのかな、と思います。

S:フィンランドは19世紀初めまでスウェーデンの属国で、いまもスウェーデン系フィンランド人がいますし、スウェーデン語も公用語で、みんな学校で習いますから、スウェーデン語ができる人は多いです。けど、逆はあまりないんでしょうね。

H:ほんとうに全然ちがう言語なので、フィンランドに来たとたん、さっぱり見当もつかなくなるんですよ。たとえば数字ひとつとっても、スウェーデン語はエン(1)、トゥヴォー(2)、トレー(3)と英語に似ていてわかりやすいんですが、フィンランド語はユクシ(1)、カクシ(2)、コルメ(3)って……初めて聞いたときはびっくりしました。「どこの宇宙語!?」って。自分に馴染みがないからって宇宙語扱いするのは失礼きわまりないとわかってはいるのですが……正直、ほんとうにそういう感じでした。とにかくフィンランド語はすごく難しいイメージがあります。

S:発音は、母音が多いので、日本人にはとっつきやすいと思いますよ。ただ、格変化が30近くあって。in TokyoがTokiossa、from TokyoがTokiosta、等々。単数か複数かによってもまた変わるので、とっても面倒です。

H:聞いただけで目眩が……

S:フィンランド語でひとつ、面白いと思うのは、「彼」「彼女」がないことですね。どっちも「Hän(ハン)」で、性別の区別がなく、名前を見ないとわかりませんし、名前がなければ文脈で判断するしかありません。日本語みたいな女性言葉や男性言葉もあんまりないので、そこからの判断も難しいです。

H:それはすごい。スウェーデン語も性別による言葉遣いのちがいや敬語がほとんどなくて、セリフから年齢や性別を判断しにくい言語だと思うのですが、小説の登場人物なら「彼」か「彼女」かははっきりしているから、さすがに男性か女性かわからないというのはめったにないですね。

 フィンランド語はどうやって勉強されたんですか?

S:13年前にフィンランドに引っ越してきたんですが、その年に、職業安定所経由で受けられるフィンランド語コースに3か月通いました。無職の場合に受けられる無料の語学コースで、補助金も出るんです。ロシア人にまじって勉強しましたね。あとは、なんというか、多文化センター、というふうに呼ばれているところで、語学コースを安い授業料で受けられます。そこに行ったり、夫の伝手で家庭教師を頼んだり。大都市なら、大学の夜間コースに行く人も多いですけどね。

 2年目に翻訳(英日)で知人の産休のあいだの仕事を引き受けるために起業しまして、出産や子育てでばたばたしたりもしていたのですが、そのあいだも新聞やテレビで勉強したり、フィンランドの文豪、ミカ・ワルタリの小説を音読してもらって書き取りしたり……そうそう、ワルタリが書いたミステリー『パルム警部(Komisario Palmu)』シリーズ、私にとってはフィンランド語で読んだ2冊目の本がこのシリーズのものだったんですが(フィンランドに来て2年目の話です)、これはフィンランド・ミステリーの古典と言っていいと思いますよ。

H:ミステリーに話を戻してくださってありがとうございます(笑)。

ミカ・ワルタリ『パルム警部』シリーズ

H:ワルタリは私、不勉強きわまりないことに全然知らなかったんですが、教えていただいて調べたら、フィンランドの代表的な作家ですね。あっ、ミカという名前ですが、男性ですよね。

S:そうです、ミカはミカエルの略なんです。で、アキはホアキム(Joakim)の略称なんですよ! よく日本人にアキやミカって女性みたいと言われますが!(って、もろに映画監督カウリスマキ兄弟の名前ですが……)

H:ああ、そうなんですか! それは知らなかった。ミカ・ワルタリは、ミステリーだけでなく、いろいろなジャンルで書いていたみたいですね。

S:歴史小説が有名です。夫は「フィンランドの吉川英治」と呼んでいます(笑)。いちばん有名なのは、古代エジプトを舞台にした歴史小説『エジプト人(Sinuhe egyptiläinen)』、本人も最高傑作と言ったそうで、邦訳も過去に出ています。すごく面白いですよ。『パルム警部』シリーズの3冊も有名で、フィンランド・ミステリーの原点と言っていいのではないかと思います。若者は知らないかもしれませんが、中年以降ならみんな知っていますね。1960年代に映画化されて、見ている人が多いですし。この映画化がとにかくすばらしくて、もう本と映画が結びついているというか、切り離しては考えにくい状態です。1作目の映画化作品は、フィンランドの映画史に残る傑作です。ファンがたくさんいて、パルム警部シリーズのロケ地をまわったりするんですよ。

H:映画化が1960年代ということは、小説はそれよりも古いんですね。

S:3冊で完結しているんですが、1作目『スクロフ夫人を殺したのはだれか?(Kuka murhasi Rouva Skrofin?)』が1939年、2作目『パルム警部の誤算(Komisario Palmun erehdys)』が1940年、3作目『(仮)星の定めですよ、パルム警部(Tähdet kertovat, komisario Palmu)』が1962年。映画は1960年、61年、62年です。そのあとに、ワルタリが書いたのではありませんが、映画だけの4作目が69年に作られています。

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ミカ・ワルタリ『パルム警部』シリーズ。右の2冊は生誕100周年だった2008年に合わせて発売されたもので、新装丁は映画をイメージさせるデザインになっています。

H:実際、どんなシリーズなんですか? パルム警部というのはどんな人物なんでしょう。一匹狼系とか、冴えないおじさん系とか、いろいろあると思いますが。

S:冴えないおじさん系です(笑)。叩き上げ系というか。古ぼけたコートを着ているのが、ちょっと刑事コロンボのような。独身ですけどね。(なので「うちのカミさんがね……」はありません。)古典的な探偵をモデルとしていて、パルム警部の捜査を部下の「私」が記録しているという設定は、シャーロック・ホームズっぽいかも。イギリス風の山高帽をつねにかぶっているところは、ポワロやメグレ警視のようでもあります。頑固で、自分の古いやりかたに固執していて、若者に困惑していて、葉巻とコニャックが大好き、学歴コンプレックスがあり、独学でラテン語など学んでいて、音痴で本人もそれを気にしている、というキャラクターです。

H:それはたしかに愛着の湧きそうな主人公ですね。

S:完璧じゃないところが読者の同情を誘いますね。歌が下手だったり、若者のことがわからなかったり。弱きを助け、強きをくじく、人情派なところもあります。

 内容としては、地道な警察捜査と、パルム警部が発揮するポワロのようなひらめきの組み合わせで、1作目と2作目は典型的なフーダニットの作品です。社会の暗部を描いた、現代のどんより社会派ミステリーに比べると、まるで時代劇のようで、安心して読めるというか、ほっとする作品ですね。

 3作目は、映画監督がワルタリに執筆してほしいと頼んで、映画のために生まれた作品なんです。1960年代当時の若者文化(革ジャン着てチューインガム噛んでふらふらしてる不良たち。心根は善いのですが)に、古い時代の昔ながらの刑事がぶつかることによる、衝突や困惑なども描かれています。若い部下のほうが階級が上がって、パルム警部が追い越されたりもします。パルム警部は古いやりかたに固執しつつ、謎はきちんと解くんですよね。若く生意気な部下と衝突しながらも、かわいがったり。最初の2冊のほうがフィンランドでは評価が高いと思いますが、これもなかなかです。

H:とっても読んでみたくなりました!

 パルム警部以外で、だれでも知っているミステリーの主人公というと、ほかにだれかいるでしょうか?

S:ハルユンパー刑事シリーズでしょうか。作者であるマッティ・ウルヤナ・ヨエンスー(Matti Yrjänä Joensuu)は、2011年に他界したのですが。ベストセラーになるだけでなく、テレビドラマシリーズにもなると、やはり強いですよね。かなり暗い内容ですけど……

H:ヨエンスーはスウェーデンでも知られているほうかもしれません。スウェーデン推理作家アカデミーのマルティン・ベック賞(翻訳ミステリー賞)をとってますね。1980年代の話ですが。

レヘトライネン、トンプソン、『白雪姫』三部作

H:さきほど、ミステリー作家の名前をたくさん挙げてくださったんですが、私、あの中ではレーナ・レヘトライネンしかよく知らなくて、いま焦りの気持ちでいっぱいです。あとはマッティ・ロンカやアンッティ・トゥオマイネンも書店で見かけますが、そのくらいでしょうか。日本ではレヘトライネンが訳されているほか、フィンランド在住のアメリカ人、ジェイムズ・トンプソンが高く評価されているようです。フィンランドでも彼らは有名ですか? 作品、お読みになったことあります?

S:はい、両方とも読んでいます。トンプソンは外国人で、現地人の配偶者がいるところは、私たちと同じですね。英米圏の読者に向けて英語で書かれているので、住んでいる人にはあたりまえのことがたくさん説明されています。移民に対する感情とか、ラップランドの過疎地の雰囲気とか、フィンランドのメーデー前後の飲んだくれカルチャーとか、社会福祉の制度についても……ですので、ある意味、フィンランド・ミステリーの入門編として最適かもしれません。

H:そういう説明があるからこそ、国際的に受け入れられた面もあるでしょうね。もちろん、もともと英語で書かれているという言葉の利も大きいと思いますが。

S:私自身は、1作目はそういう説明的なところがくどいと思ってしまいましたが、2作目からは引き込まれました。時事問題が反映されているのも興味深いですし(2000年代以降の右翼政党の台頭を描いていたり、大富豪の娘さんが誘拐された実際の事件を利用していたり)、メーデーで飲んだくれている話とか、とっても身近で面白いです。

H:フィンランド語訳も出ているんですか?

S:カリ・ヴァーラ警部シリーズはジム・トンプソン(Jim Thompson)の名で3作目までがフィンランド語訳で出ています。どうしてでしょうね、同姓同名のレーサーとか格闘家とかいるからでしょうか。でも、Jim Thompsonの同姓同名の推理小説作家もいるんですよね、50年ぐらい前に活躍した人ですが。なにはともあれ、現代のジェイムズ・トンプソンの人気はそれなりにありますが、ベストセラーのトップ10には入っていないかな。トップ10に入るのはフィンランドの作家のものですね。

 レヘトライネンはちょうど最近50歳を迎えたということで、新聞にインタビューが載っていましたが、とても幅広く活動している人です。長く続いたマリア・カッリオのシリーズは、女性のキャリアという観点からも楽しめますし、新しいシリーズも出ています。脚本も手掛けていて、今年秋に出る新作は、とある有名な画家の評伝の戯曲化だそうです。本人が思うところの自分がほんとうなのか、それともメディアや周囲が作り上げるものがほんとうなのか、ということに焦点をあてたものだそうで、刊行されたらすぐに読みたいと思っています。

H:レヘトライネンはミステリーだけでなく、いろいろな分野で活躍しているんですね。北欧ってそういうケースが多いような気がします。貴子さん一押しのミステリー作家っていますか? フィンランドのミステリーに興味のある人がいたら、どの作家、または作品を勧めますか?

S:ワルタリの『パルム警部』シリーズは当然ですが、現代のものでしたら、レヘトライネンは外せませんね。あとは、30代前半で筆も乗っているサッラ・シムッカ(Salla Simukka)が、今後もいいものを出してくれるのではないかと思います。ヤングアダルト・ミステリーの『白雪姫』三部作(Lumikki-trilogia)が大人気で、数十か国に版権が売れているんですよ。三部作の結末がこの3月に出たばかりで、全部読みました。主人公が、高校生なんですが、宣伝文句が「フィンランドのリスベット・サランデル」です。

H:フィンランドのサランデル……それはどういう意味で?

S:個性的で、頭脳明晰、護身術を習っていて強いんですよね。高校生としては、まあリアリティーのある設定だと思います。過去にいじめられていたことがあって、ものすごくひどいことをされていたりもします。そのせいで、一匹狼としてあまり人と関わらず、ひとり暮らしをしていて、演劇専門の高校に通っているんですが、そこで事件に巻き込まれる、という話です。いろいろな童話をモチーフにした物語になっています。主人公のお父さんがスウェーデン系フィンランド人という設定で、昔の童謡がスウェーデン語で出てきたりしますよ。

H:これも面白そうです……1作目のスウェーデン語版が出るのは今年の秋の予定だそうです。待ち遠しい……

フィンランドの歴史

H:そもそもミステリーというジャンルの人気は、フィンランドではどうなんでしょう。スカンジナビア三国ではどこでも人気ジャンルのようなんですが。

S:人気ありますよ。ちょうどいまごろ、夏休み前によく売れるみたいですね。

H:ああ、やっぱり。イースターとか、夏とか、長い休暇の前にミステリーをたくさん売ろうというキャンペーンが張られていることが多いですよね。北欧って冬が長いから、冬の夜長に読書しているんだろうと昔は思っていましたが、実は冬ってけっこう忙しくて、日常に追われているから、夏の休暇でゆっくりできるときにまとめて読書、という人が多いように見えます。

S:本が売れる時期といえば、あとは父の日やクリスマスなど、プレゼントとして本を買う時期ですね。父の日やクリスマス商戦を見込んで秋にキャンペーンを張っているのもよく見かけます。フィンランドは、スウェーデンもそうですが、父の日が11月なので。

H:おっしゃるとおりですね。クリスマスはまだわかりますが、父の日のプレゼントとしてもミステリーが人気なんですね。

S:あとクリスマスシーズンや父の日シーズンに人気があるのは、フィンランド独立に関する歴史もの、戦争もののハードカバーです。30〜40ユーロして、自分で買うには高いけど、プレゼントとしては買いやすい、と言えばわかりやすいでしょうか。歴史オタクがごろごろいます(笑)。兵役があって軍隊経験のある人が多いから、身近っていうのもあるのかな。フィンランド内戦、冬戦争、継続戦争あたりについての本は、毎年飽きずに新しいものが出ますね。内戦はいまだに引きずっている家庭も多くて、同じ一族に赤衛軍、白衛軍が両方いたりすると、もうこれはちょっとしたタブーですが、みな内部に抱えるものを解決したいという気持ちはあるので、こうして途絶えることなく本が出るのだろうと思います。

H:なるほど……歴史の話、ちょっと聞かせていただけますか。すごく端折った流れとしては「スウェーデンの支配→ロシアの支配→独立→内戦→第二次大戦、ソ連に侵攻されて孤軍奮闘→ドイツと手を組んでしまう→ドイツを追い出そうとするもラップランドを焼き払われて大変→敗戦国扱いに→でも驚異の復興」と理解してるんですが、まちがってないでしょうか。ぜひ補足してください。

S:そうですね、もう少し詳しく(笑)フィンランドは12世紀から19世紀まで、ずっとスウェーデンの一部だったんですよね。ところが19世紀初頭、スウェーデンとロシアの戦争でスウェーデンが負けて、フィンランドはロシアの自治領みたいな扱いになりました。

H:ロシア時代は、フィンランド語が公用語になったりと、スウェーデン時代に比べてけっこう自由が認められたので、フィンランド文化が大きくクローズアップされはじめた時代ですよね。

S:で、1917年、ロシア革命に乗じて独立しました。ところがソビエト連邦に参加したい「赤衛軍」と、非共産主義の保守派「白衛軍」とのあいだで内戦が勃発。1918年のことです。ドイツやスウェーデンの支援を受けた白衛軍のほうが勝ちました。その後、第二次大戦のときには、ソ連に侵攻されて、いわゆる「冬戦争」が始まりました。1939年から1940年にかけての冬ですね。ソ連という大国を相手に、圧倒的少人数だったにもかかわらず、「一寸の虫にも五分の魂」的な底力を発揮して、独立を守り切りました。

H:フィンランド孤軍奮闘・ど根性伝説ですよね! でも、結局、ソ連へのカレリア地方割譲という結果になってしまったわけですが。

S:周辺国は自国の戦争で手一杯だったり、ソ連やドイツとの開戦が怖かったりで、ほとんどフィンランドを助けてくれなかったんですよね。で、フィンランドはドイツに接近する道を選びました。1941年、ドイツのソ連侵攻にともなってフィンランドもソ連に宣戦布告。いわゆる「継続戦争」です。

H:ここでも独立を守り切ったんですよね。ほんとうに根性あるなと思います。

S:この戦争のせいで、第二次大戦ではドイツや日本と同じ「枢軸国」のひとつとみなされ、敗戦国扱いで終戦を迎えました。フィンランドはソ連の一部になることはなく、共産主義国にもならなかったけれど、戦後はソ連にへこへこして(当時のケッコネン大統領がそれはもう涙ぐましい努力で)、しかも戦争賠償金を払いつづけ、なんとか平和を守り抜きました。そのため長いこと、冷戦終わり近くまで、非共産国なのに事実上、東側陣営の一部とみなされていたんです。そのイメージの払拭に一生懸命だった時期もありますね。北欧理事会に加盟したり、EUに加盟したりして、そういうイメージも薄れてきましたが、ロシアが怖くていまだにNATOにも入っていません。ただウクライナ情勢で少し空気は変わりつつあるかもしれませんね。

H:そういう歴史があると、ぶっちゃけスウェーデンのこと、けっこう嫌いなんじゃないかと想像するんですが、どうなんでしょう。昔は支配されていたし、戦争のときには助けてもらえないしで。

S:たしかに、スウェーデンに対しては歴史的に複雑な感情を持ってますね。ロシアよりは近しい存在ですよ! でも、学校でスウェーデン語が必修で、それに対するいやがりかたが、日本人の英語苦手意識を思い起こさせます。とくに男子がね、けっこういやがってますね。

 でも、嫌いというよりは、「200年もこっちに代理戦争させて自分たちは繁栄してうまいことやりやがって」という、してやられた感が残っているのでは。

H:してやられた感。まあ、たしかにそうですよねえ。スウェーデンがここ200年、一度も戦争することがなく、第二次大戦でも中立を保てたのは、フィンランドがある意味緩衝になってソ連と戦ってくれたから、という面があると思いますし。そのせいで、戦後しばらく経つまで、スウェーデンとフィンランドの経済格差もかなりあったんですよね。冬戦争や継続戦争も、スウェーデンから義勇軍が行った話はスウェーデンでは有名ですが、フィンランドにしてみれば「それだけじゃん!?」じゃないですか? 恨まれててもおかしくなさそう。

S:いやいや、恨みの対象はロシアのほうでしょう。「カレリア地方返せよっ!」っていうね。カレリア地方はフィンランド人の心のふるさとですからね。

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フィンランド人のソウルフード「カレリアパイ」。ライ麦のパイにミルク粥のフィリングを入れたもの。日本人にとってのおにぎりに近い。

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こんなふうに具を載せて食べました(セルボさん宅にて)。かなりおいしい。フィンランドで多いのは、刻みゆで卵にバターを混ぜたものをトッピングする食べかただそうです。

 スウェーデンとのつながりは、やはりかなり強いですから、身近に感じている人も多いですよ。スウェーデンに移住した親戚がいるとか、仕事でよく行くとか。そうそう、スウェーデンの王室のニュースはみんな、それなりに親近感を持って追っているんです。こちらは共和国で王室がないですしね。

H:ほかの北欧の国はどうですか? デンマークやノルウェーでは、フィンランドって、どうも「遠い国」「よく知らない」という感じみたいですが。

S:そうですね、フィンランドでも、あとの国は遠くてそこまでイメージを持つに至っていない気がします。デンマークは1500年代にユトランド半島からフィンランド南岸のトゥルクを攻めたりしていますが、まあ中世の話ですし。デンマークはビールをよく飲むとか、レゴとか……ノルウェーはリッチだとか……その程度じゃないかな。

H:さきほど、フィンランド・ミステリーのドイツ語への翻訳が多いという話で、歴史的にドイツとのつながりが強いと教えていただきましたよね。いまの歴史の説明でもかなりはっきりしたと思うのですが、もしかして北欧というかスカンジナビア諸国よりも、ドイツのほうに親近感があったりするんでしょうか? 北欧で唯一ユーロに加盟しているのも、ひょっとしてそんな背景からだったりしますか?

S:第一次大戦以前からドイツに近い傾向はあったかもしれませんね。ドイツから皇帝を迎え入れようという動きもありました(実現しませんでしたが)。ドイツの軍歌なども、戦時中はたくさん取り入れていましたし。かといって、スカンジナビア諸国より近いとか、そういうことではないと思います。EUやユーロは……寄らば大樹の陰、ですね。スウェーデンはEUに加盟しつつ貨幣は維持、とうまくやっていますよね。

H:スウェーデン、ノルウェー、デンマークと貨幣が全部ちがって、けっこう面倒ですけどね……

フィンランド人男性は質実剛健!?

H:さきほど、フィンランド人男子がとくにスウェーデン語必修をいやがっている、というお話がありましたけど、それって、フィンランドではスウェーデン人男性がなよなよしていると思われている、と聞いたことがあるのですが、そのせいだったりしますか?

S:そのせい、と言えるかどうかはわかりませんが、なよなよイメージは事実ですよ! スウェーデン人男性に対しては、とてもステレオタイプなイメージがありますね。おしゃれで、なよなよしていて、細い。フィンランド人男性のほうが男らしさを大切にするというか、男はこうあるべきというイメージに縛られているような気がします。

H:そうなんですね。ノルウェーのミステリーの話をしていたときに、男女がかなり平等なので、警察小説を読んでいてもジェンダー差があまり感じられない、という話になって、フィンランドも似たような感じかなと想像していたんですが、どうなんでしょう。

S:そのへんが、フィンランドはまだちょっと保守的でして、軍隊へ志願する女性や女性の警官も増えてはいますが、イメージとしてはやはりまだ男性マッチョ警官が多そうですね。レヘトライネンが書いているシリーズのマリアはまさに、男性たちの中で小柄ながら奮闘する有能な女性警官、というテーマです。まわりの男性たちは、はいそうですか、と簡単に受け入れられるわけではなく、葛藤していますよね。同僚として大事に思いながらも、いざというときになると、やっぱり女だしな、という迷いも出る、という感じで。

H:なるほど。まあスウェーデンでも、女性差別がまったくないわけではありませんし。人の意識というのはそう簡単には変わらないものですよね。女性警官の存在に男性がとまどったり、差別的な感情を抱いたりしている描写というのは、たまに出てきます。でも、やっぱり日本に比べると男女平等はすごく進んでいると思います。逆に言うと、女性だからといって特別扱いされることもありません。レディーファーストなんて、ほとんど体験できませんし、重い荷物の上げ下げを手伝ってくれるのが女性だったり、デートも完全割り勘だったり(笑)。女性たちも強いですし、男はこうあるべき、女はこうあるべき、という意識をとにかく排そうとしている社会だと感じますから、そういう意味でも男性は弱そうに見えるのかもしれませんねえ。

S:フィンランドだと、デートでは男の子が払うべきという雰囲気がまだありますよ。それに、男なら黙って耐えろ、みたいな意識がけっこう強いかも。以前、若者を対象に、暴力をふるわれたことがあるかどうか、などについてアンケートをとった結果を見たことがありますが、女の子は暴力をふるわれたらすぐだれかに報告するのに、男の子はひっぱたかれてもじっと耐えている、という内容でした。とくに女の子にひっぱたかれたら、じっと耐えるのみですね。女子供に手は出せない、みたいな。

 年配の人だと、女性の上司という存在にまだ慣れていない人もいますし、給与の面でも、男性の1ユーロは女性の80セント、という表現があります。日本と比べればかなり平等だと思いますが、まだ障壁は大きいですね。

フィンランドの社会問題

H:女性に対する暴力や差別というのは、スウェーデンのミステリーでとてもよく扱われるテーマなんですが、フィンランドでも女性差別やレイプ、DV、人身売買・強制売春などが問題としてとりあげられることはありますか?

S:ご存じかもしれませんが、フィンランドの問題はアルコールです。

 スウェーデンやエストニア行きのフェリーで、免税のアルコールを大量に買い込む人がたくさんいて、目を覆いたくなる光景です。アルコール依存による家庭崩壊もたくさんありますね。レイプなども犯罪として当然ありますが、人身売買、強制売春などは、社会問題になるほど話題にはのぼらないですね……

H:アルコール、そんなにひどいんですか? アルコール依存はスウェーデンでももちろん問題ですし、デンマークやドイツでお酒を大量に買っているのもよく見かける光景ですが、いちばんの問題というふうにはとらえられていないと思います。でも、DVとかレイプとか、お酒が引き金になっていることも多いですから、深刻な問題ではありますね。

 それにしても、どうしてフィンランドでアルコールがそれほど問題になるんでしょうね。じっと耐えて感情を抑えがちなメンタリティーによるストレスで、アルコールに走ってしまうんですかね?

S:そういうメンタリティーといえば、フィンランドって学校での銃乱射事件がいくつかあって、すべて男子によるものなのですが、ひとりでずっと悩みを抱え込んでいる、おとなしいタイプの若者たちばかりですね。フィンランド人の男性の、悩みも抱え込んで発散しないというあたりが、こういう事件に結びつくのかなと感じています。溜め込んで溜めこんで、ある日一気に爆発するような。

H:銃乱射事件、何度かありましたよねえ。当時、フィンランドには平和なイメージしかなかったので、衝撃でした。

 ほかに、ミステリーに描かれている社会問題というと、どんなものがあると思いますか? そもそもフィンランドのミステリーって、積極的に社会問題を描こうとするものでしょうか。

S:ええ、フィンランドでも、ミステリーが傑作として評価されるためには社会性が大事ですね。というか、ミステリーにかぎらず、芸術全般に言えることかもしれません。1950年代以降、芸術にも社会性がうるさく(とりわけ左翼の側から)要求されることが多くなりました。文学賞の審査員にも、作者がいかに現代の問題を自分の目を通して掘り下げているか、という視点が、つねに求められているとかいないとか。

 描かれている問題としては、いまなら、移民、格差社会、貧困のスパイラル、ゲイ・レズビアンなど性的指向マイノリティー、などでしょうか。

H:同性愛などのセクシャル・マイノリティーがテーマ、というのは、彼らに対する差別、ということですね?

S:そうです。都会ではそのへん、かなり自由になっていると思いますが、地方に行けば差別はありますね。最近も、ゲイを描いた絵で有名な画家、トム・オブ・フィンランドの絵をモチーフにした記念切手が、この秋に発売されることになったのですが、これに反対する右翼系政党の主導で署名運動が起こる、などということがありました。(付記:どんな切手かはこちらで見られます。)

H:その件はスウェーデンでもニュースになっていました。反対するなんてフィンランドは保守的だなあ、という感じで報じられていたけれど、そもそもこういう切手を発売しようとしているのも同じフィンランドなわけですから、まあ人々の見かたはいろいろということですよね。

S:制度上でも、フィンランドでは同性カップルの教会婚は認められていません。祝福は受けられますが。スウェーデンは同性の教会婚も認められていますよね。

H:そうですね。

S:フィンランドだと、登記所に行って事実婚として登録するのがふつうだと思います。養子縁組も認められています。けど、やっぱりスウェーデンに比べると少し保守的なんじゃないかな。この件に限らず、いろいろとスウェーデンのあとを追いかけている感がありますね。

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 次回「フィンランド編・後半」に続きます!

セルボ貴子さん プロフィール

 2001年よりフィンランド西岸のポリ在住。英語、フィンランド語の通訳・翻訳、フィンランドに関する執筆などで活躍。目下、初の書籍共訳の最終段階にあり。共著書に『住んでみてわかった本当のフィンランド』(グラフ社)

ウェブサイト:http://wa-connection.net

Twitter:twitter.com/takakosuomessa

ブログ:http://japani.exblog.jp

ヘレンハルメ美穂。スウェーデン語翻訳者。最近の訳書は、ルースルンド&ヘルストレム『三秒間の死角』、セーデルベリ『アンダルシアの友』など。スウェーデン南部・マルメ近郊在住。ツイッターアカウントは@miho_hh

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