(1)深夜の怪異

 表題については……ただの冗談です。読み流してください。

 でもよく考えると、案外、今のわたしを的確にあらわしているかもしれないぞ。というのも周知のとおり、わたしは毎回その場しのぎの仕事をしている似非翻訳家だし、そのせいで目下、危機的な状況に陥っているからである。

 何が危機的な状況かって? 翻訳家にとって危機と言えばひとつしかない。もちろん《シ・メ・キ・リ》です。かりにも翻訳家を名乗るならば、夜寝ているときも、楽しくお酒を飲んでいるときも、この一語が不吉な予兆のように、脳裏に小さく灯っていない者はいないだろう。わたしも例外ではない。そしてその締め切りが、目の前に(正確には通りすぎて背後から)どどんと迫ってきているのだ。

 思えばシンジケート事務局のKさん(外見から察するに、締め切りはきちんと守っておられそう)から、翻訳者エッセイ依頼のメールをもらったのが6月の初めごろ。そのときわたしは、こう答えたのだった。

「7月末の締め切りがあるので、8月なら少し手があきますから」と。

 しかし7月末が締め切りなのと、7月末に翻訳が終わっているのとは、言葉の厳密な意味において同義ではない。さらに経験則にのっとって言えば、まったく同義ではない。そんなこと、よくわかっているはずなのに。

 まあ今回は、そのあともうひとつ同時期が締め切りの仕事を、無理やりねじ込んでしまったという事情もあるのだけれど。そんな綱渡りのようなことをいつもしていると、ひどく恐ろしい体験をすることがある。ここに自戒を込めて、そのひとつを披露することにしよう。

 もう数年前のこと、いつものように無理な仕事の予定を立てたつけがまわって、最後は何日もほぼ徹夜が続く羽目になってしまった。訳していた作品は、フランスで映画化もされていた。それが急遽フランス映画祭で上映されることになり、何とかそのときまでに出したいということもあって、デッドラインは定まっている。そのぎりぎりの日の深夜、ようやくあと二十枚ほどというところまでこぎつけた。このままぶっとおしで訳し続ければ、昼すぎに終わるだろう。

 そう思ってほっとひと息ついたとき、突然それは起こった。左手の指に、まったく力が入らなくなってしまったのだ。指から先だけが自分の体でなくなったような、とても奇妙な感覚だった。これではキーボードも打ちようがない。どうしたらいいんだ? 右手だけで打ったのでは、能率は半分以下に落ちるだろう。疲労が極限に達したせいだろうか? 二、三時間眠ればもとに戻るかもしれないが、それではデッドラインを超えてしまう。そもそもオレの左手は、完全にいかれてしまったのでは? そうしている間にも、時はどんどんとすぎていく。いやあ、文字どおり全身から冷や汗が吹き出ましたね。

 そのとき、ふと気づいたのでした。そういえば、もう一日近く何も食べていないぞ。《寝食を忘れて》と言えば聞こえもいいが、焦りまくるあまり食欲が吹き飛んでいたのだ。でもそれくらいで、指が動かなくなるものだろうか? 不安はまだ拭えないながらも、ともかく冷蔵庫に残っていたパンやらジュースやらをお腹に詰め込んだところ、あら不思議、ほどなく力が戻ってきたのだ。猛暑にあたってしおれていた植木の葉が、水をあげるとまたぴんと立ち上がってくるような感じだ。

 こうしてまたしても、何とか絶体絶命の危機をしのいだわたしでした。ちなみにそのとき訳していたのは、フランク・ティリエの『死者の部屋』(新潮社のWさん、その節はご迷惑をおかけしました)。映画は残念ながら一般公開はされず、DVDが『スマイルコレクター』という題名で出ている。いかにもB級感漂うトホホなタイトルですが、映画の出来は悪くありません。原作に横溢する病的な雰囲気を、うまく映像化しています。ティリエは続編の『シンドロームE』も訳すことができたし(七福神の方々にも好評でした)、とりあえず仕事がつながっているのはありがたいことだ。

 そんなわけで翻訳家の皆さん、わたしの恐怖体験を教訓に、くれぐれもお仕事は計画的に。と言っている本人がぜんぜん教訓にしていないのが困りもので、やばいぞ、また仕事の続きに戻らなくちゃ。

平岡敦(ひらおか あつし)。千葉市生まれ、東京在住。主な訳書にグランジェ『クリムゾン・リバー』、アルテ『第四の扉』、ルブラン『怪盗紳士ルパン』、ジャプリゾ『シンデレラの罠』など。

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