6月某日

 自転車で買物へ出かけたついでに本屋を覗く。『永遠の0(ゼロ)』『海賊とよばれた男』が平台の目立つところにポップつきで並んでいるが、おなじ著者のものでも、ちょっとずらして『「黄金のバンタム」を破った男』を買う。

 子供のころからなぜかボクシングが好きで、いまも世界タイトルマッチは欠かさずテレビ観戦している。黄金のバンタムと呼ばれたエデル・ジョフレをを破った男、つまりファイティング原田の試合もいくつか観ているはずだが、もう40年以上も前のことなので、どの試合を観たのかはっきりしない。オーストラリアでの試合があったはずだと思い、本書を見てみると、昭和44年の対ファメション戦で、とんでもないホームタウンデシジョンで勝ち試合を落とした、とある。不愉快な記憶として残っていたのかもしれない。

 本書ではファイティング原田が登場するすこし前の日本ボクシング界についてもくわしく触れられている。矢尾板貞雄、関光徳、外国選手ではジョー・メデル、パスカル・ペレス、ポーン・キングピッチといった懐かしい名前が出てくる。外国勢は日本人がなかなか勝てなかった選手ばかりである。本書によると、昭和30年代は、すべての曜日のゴールデンタイムにボクシングの生中継があったという。いまでは考えられないほどボクシングの人気が高かったのだ。矢尾板は強いと言われながら肝心の試合で負けてチャンピオンになれないのが歯がゆかったのをおぼえている。だが当時は、階級は11しかなかった(元々は8階級)。世界チャンピオンは11人しかいないのだから、対戦さえ容易なことではなかったことを本書で教えられた。いまは17階級あり、チャンピオンを認定する団体が4つある。単純計算でも世界チャンピオンは68人いることになる。チャンピオンの強さも価値もまったくちがうわけだ。昭和30年代は中継される国内の試合や東洋タイトル戦でも好カードが多かったらしい。当時のわたしはテレビが自由に見られる環境にはなく、ラジオで聞くぐらいのものだったが、“ロープ際の魔術師”ジョー・メデルが関光徳をカウンター1発で倒した試合はその場面を見たようによくおぼえている。そんなことを思い出しながら、一息に読了。

 今日の本 百田尚樹『「黄金のバンタム」を破った男』(PHP文芸文庫、¥700)

 6月某日

 つづけてスポーツ物を、というわけではないが、マイケル・ルイス、中山宥訳『マネー・ボール』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫、¥987)が目についたので買う。しばらく探していた仁科邦男『犬の伊勢参り』(平凡社新書、¥840)もやっと見つかった。

 野茂英雄以来、佐々木、イチロー、伊良部、松坂、両松井、ダルビッシュ、と日本人選手がアメリカへ渡るのを追いかけてMLB観戦をつづけてきたが、さすがに最近はすこし熱がさめてきて、欠かさず観るのはダルビッシュの登板試合ぐらいのもの。だが、『マネー・ボール』を読んで後悔した。これをもっと早く読んでおけばもっと楽しめたのに、と。球団の戦力面を預かるゼネラルマネージャーの話だから、メジャーの舞台裏がよくわかるのだ。出塁率重視のアスレチックスの試合がどんなものだったか、という興味でゲームも観られたはずだ。そう思って、アスレチックス対レンジャーズ戦を観ていたら、ダルビッシュが三振を10個奪いながら、ホームランを2本打たれ、5点取られてしまった。打者は2球か3球待ち、スライダーを狙い打ちしていた。振りまわさず、四球を狙ってでも出塁率を上げる、という戦法はこういうことかと思った。今年はアスレチックスが強い。これからはこのチームのカードも観てみよう。

『犬の伊勢参り』は分類すれば犬物ということになるだろうか。犬物もけっこう愛読しているが、犬が苦労する話はあまり読みたくない。本書は江戸時代の明和年間、式年遷宮の年に伊勢詣でが大流行した際、犬が人間の代参をして、遠くは東北地方から伊勢神宮まで往復した、という史実を文献から調べあげた、ちょっといい話である。飼い主は犬の首に代参の旨と所番地を記した札と路銀をつけて送り出す。だが、それだけであとは犬が伊勢まで単独で往復できるはずはなく、道中、人々がその犬たちをどんなふうに助けたかが詳細に描かれていて、人と犬との心あたたまる交流の話でもある。

 6月某日

 足の具合が悪くなり、まともに歩けない。本のまとめ買いに遠出するつもりだったがあきらめ、家内を乗せて車で買物へ。カートにつかまってスーパー内をよたよた歩いたのち本屋へ。家内が『散歩の花図鑑』(岩槻秀明、新星出版社、¥1260)を見つけ、わたしは文庫の棚から、デニス・ルヘイン、加賀山卓朗訳『運命の日(上・下)』(ハヤカワ文庫、¥各966)を。

 わが家の狭い庭にほったらかしになっている花壇を手入れしたい、と春に家内が言いだしたので、繁茂していたドイツアヤメを大半抜いて、土を入れた。わたしも家内も園芸店で売っている草花には興味がないので、庭にはえてくるタンポポとスミレをまとめて移植してみた。それだけではものたりないので、わたしが散歩のたび、道端や川原から花の咲いているものを採取してくるのだが、手許に数冊ある野草図鑑を見ても名前がなかなかわからない。先月採ってきたニワゼキショウは調べるまでもなくわかったが、同時に見つけた一株の黄色い花は、種が流されて川原で花を咲かせた園芸種らしいが名前がわからない。そこで園芸種も出ている『散歩の花図鑑』となったのだが、やはりわからないものはわからない。先端に紫色の星型をしたかわいい花が一つつくのも、似たものは写真があるが、やはり花のつき方がちがう。線路際で採った青い花は家内によるとワスレナグサらしいがちょっとちがうようで、栽培種もあるらしいから、そっちかもしれない。この世に名もない草などというものは存在しない、と植物学者は言うそうだが、しろうとにはなかなか確定できない。いわゆる雑草を調べるには、『雑草と楽しむ庭づくり』(曳地トシ、曳地義治、築地書房)がいい。これでわが家の庭にはえてくる草を調べてみたら25種類ほどあった。もちろんわからないものもずいぶんある。食用にできるものもいくつかある。春先はフキノトウ、サンショ、いまはシソ、これからはミョウガ、ユキノシタは年中、タンポポもサラダに入れられる。どれも野草料理の定番のてんぷらにいいし、これだけあるとなかなかワイルドな食卓になる。

 6月某日

 足の具合がすこしよくなったので市内中心部まで出かける。1軒めで孫に頼まれた『カゲロウデイズⅢ』(KCG文庫、¥662)を。2軒めで『列外の奇才 山田風太郎』(角川書店編集部編、¥1785)。これはいわゆる読本。昭和54年に出た『別冊新評 山田風太郎の世界』とは寄稿者がちがい、また新しい。足が痛みだしたので店内の椅子に坐り、拾い読み。『幻燈辻馬車』が岡本喜八監督、仲代達也主演で映画化の予定だったが、準備中に監督が死去したため流れたと知る。観てみたかった。三軒めへ移り、探していた『昭和三十年代演習』(関川夏央、岩波書店、¥1575)を見つける。ふと目にとまった『先生、大型野獣がキャンパスに侵入しました!』(小林朋道、築地書房、¥1680)も書名につられて買う。娘に頼まれた『茨木のり子詩集』(思潮社、¥1785)を見つけたところで足が悲鳴をあげはじめたので、電車、コミュニティーバスと乗り継いで帰宅。

 というわけで、目下は『運命の日』、『昭和三十年代——』、『先生、大型野獣が——』を寝転がって(足にはこれがらくなので)併読中。『運命の日』は上下合わせると1000ページを超える大冊なので、なかなか一息に読み進めない。どう結びつくのかと思っていた主役二人のつながりがやっと見えてきたところ。『昭和三十年代——』では、過去を懐旧するにしても、事実の改変が許される場合と、許されない場合がある、とする著者の冒頭の指摘に納得。松本清張、三島由紀夫の作品や日活映画が取りあげられていて面白そう。

 さてこの2ヵ月で何冊読んだか(買ったか)とふり返ると、わたし自身のためのものは16冊。最近の1年半分ほどに相当する。ひさしぶりにまめに読書したという実感。しかし図書カードにはまだ2万円余の残額がある。自腹を切らないとなると、本というのは安いものなのですね。しかし、いくら資金があろうと、どうも読みきれそうにないというものにはやはり手が出ない、ということもわかった。まあ、貧乏性なのだろう。毎年9月以降は翻訳ミステリーの話題作が出ることだし、残額は今年度大賞の選考に備えて有効に使わせてもらうことにしよう。

二宮 磬(にのみや けい)静岡県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。英米文学翻訳家。主な訳書に、スコット・トゥロー『無罪 INNOCENT』『われらが父たちの掟』『囮弁護士』、グラント・ジャーキンス『いたって明解な殺人』、ロバート・R・マキャモン『少年時代』『魔女は夜ささやく』ほか多数。

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