みなさんこんばんは。第33回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。

 11月も後半ですね。そろそろ年末ベストに向けて駆け込みの新作映画観賞&新作読書に熱を入れられる方も多いのではないでしょうか。とはいえ映画に関して言えば、今年はコロナ禍で大作系の新作映画は公開延期が相次いでいるので、例年より大規模な作品をみんなが一斉に見て「お祭り」的に盛り上がる機会が少なかったので(『TENET テネット』くらいでしょうか……)、話題のブロックバスター系では新作見逃し率は低くなっているかもしれないのですが(寂しいことに)。

 そんな中でも中規模~小規模のいわゆるミニシアター系の作品については、予定遅延こそあるものの、ある程度は新作が継続して劇場公開されているので大変ありがたいなあ、と感じています。そうした作品のなかで、今年は特にドキュメンタリーの印象深い作品と多く出会えました。
 日本で初めて、国内の刑務所に長期間継続してカメラを入れて服役囚の声を聞いた『プリズン・サークル』、地方政治の現場があまりにも酷くて笑うしかない状態になる(でも全然笑っていられない……)『はりぼて』といった国内の作品も面白かったですし、スケートボード仲間の若者たちの日常と彼らが抱える苦しみを、その若者の1人でもある監督が丁寧にすくい上げたアメリカ発の『行き止まりの世界に生まれて』、小さな娘を抱えながら、手持ちカメラの激しい揺れで「当事者にしか撮れない」シリアを捉えた『娘は戦場で生まれた』なども心に残る作品でした。

 以前もこのコラムで書いているように、私がこうしたドキュメンタリー映画を頻繁に見るようになったきっかけは配信、それも主にNetflixからでした。世界中の優れたドキュメンタリーに出会えてその面白さに目覚めたことで、劇場で公開されるドキュメンタリーで気になるものがあったら、なるべく見逃さないようにしよう、という気持ちになったんですよね。

 さて、今回はそんなNetflixから、良質なオリジナルドキュメンタリーをご紹介しましょう。エド・パーキンス監督作『本当の僕を教えて』です。

■『本当の僕を教えて』(Tell Me Who I Am)

(“https://www.netflix.com/title/80214706”)

Tell Me Who I Am | Official Trailer | Netflix

STORY:1982年。18歳のアレックスはバイク事故に遭い、記憶喪失になってしまう。記憶回復の頼みの綱は、双子の兄弟であるマーカス。彼は色んなことを思い出させてくれる存在だ。これはテレビ、これはキッチン。君のガールフレンドは彼女で、僕らにはこんな友達がいるんだよ。騒がしい母親と厳しい父親、一緒にテーブルを囲んだよね。そうしてアレックスは少しずつ当たり前の日常生活を取り戻していった。しかし、やがて両親の死が訪れたとき、アレックスはマーカスの態度に違和感を覚える。マーカスには、アレックスにどうしても隠しておきたい秘密があるようなのだ……同名の回想録を基にしたドキュメンタリー。

 あまりにも苦しい「言えなかった過去」を巡る三部構成の映画です。バイク事故に遭ったアレックス青年が唯一覚えていたのは双子のマーカスの存在。それ以外をほとんど覚えていないアレックスの失った記憶を、あれからずっとマーカスが埋めてきた……という第一章の「アレックス」。少し奇妙ではあるものの、楽しげな生活が中心となったこのパートで挿入されているいくつかの写真が、第二章の「マーカス」で語られる言葉を通じて、全く異なる意味へと変容していきます。そして第三章での「対峙」の重さ。対面では「そのこと」を話せずにきた、一卵性双生児の向き合う姿。彼らの言葉のひとつひとつは、生々しい「見えない傷」の痛みに満ちています。

 18歳までの日々が消え去った後の「唯一で全ての存在」マーカスに本当の自分を全て明け渡されないアレックスの、どうしようもない空白が決して自分では埋められない不安の影。口ごもり続けたマーカスの頑な表情、アレックスのためだけではなく自身のために「そうせざるをえなかった」孤独。どちらにも降り積もった、深い、深い痛み。

 彼らが抱えてきた過去について「心を締め付けられるミステリ小説のよう」と感じてしまい、同時にその感覚が空恐ろしくなるような……「嘘のような本当の話」というより「嘘だったらどんなによかっただろう」と思ってしまうような……そんな真実が、ゆっくりと明かされていきます。

「人は楽しいときだけ写真を残す/結婚式では写真を撮るけど、葬式では誰も撮らないだろう?」

 しかし今作は、「真実(マーカスが抱え続けた秘密とは何だったのか)」のショッキングな開示を目的にしていないのは明確です。むしろ中盤からある程度、何があったのかは想像できるように構成されているので。むしろ重要なのは、この作品が「カメラに向かってしか語れないことがある」という形で「奪われてきた声を取り戻せる」ドキュメンタリーの存在意義に触れている点ではないかと私は感じました。
 というのもこれ、回想録が2013年に発表されているわけですから、一定のところまではお互いに「何があったか」はわかっていたと考えられるんですよね。それでも「向き合っているときにはどうしても言えなかったこと」がある。それが「カメラの向こう側になら、自分の声で語りかけることができる」。その体感が、このドキュメンタリー映画を特別なものにしています。

 今作のエピソードは最初から最後まで兄弟2人だけの世界に絞り込まれています(インタビュアーの後ろ姿もなく質問のテロップもありません。再現映像は最小限、2人は無機質な部屋でカメラに視線を向けて語る形式で、他のインタビュイーも一切出てこない形)。その息詰まる感覚がとても苦しい一方で、だからこそ観客ではなく「彼らだけのために」作られたような、非常に誠実な印象を受ける優れた作品でした。短い作品ですがずっしりと重く、しかし絶望だけにはとどまらない、人間の強さを感じられる美しい作品ですので、機会がありましたらぜひご覧くださいませ。


■よろしければ、こちらも/『花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』デヴィッド・グラン


「フィクションだったらよかったのに」と思ってしまう、想像を超える醜い現実の重みに打ちひしがれるノンフィクションとして、マーティン・スコセッシ監督による映画化の企画(来年撮影予定)が進んでいる『花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』も印象深い作品です。1920年代、先住民のオセージ族に相次いだ連続不審死の捜査(州単位では汚職が進みすぎていて解決できなかった問題をFBIが捜査した事例)から紐解かれるのは、搾取に搾取を重ねる白人たちによって血塗られたアメリカ史。さすがアメリカ探偵作家クラブ賞(最優秀犯罪実話賞)受賞作!という感じの非常にミステリ性の高いルポルタージュで、実に見事な構成になっています。

 特に第1部と第2部は完全なミステリ仕立て。オセージ族の資産家女性、モリー・バークハートの周囲で殺人事件や不審な死が相次ぎ、彼女が血縁者でもある地元の有力者ヘイルに捜査を依頼。ところが色々調べてみても全く真相が見えず、さらにどんどん死者が増え……というのが第1部。FBIから派遣された誠実な捜査官が地道に真相を探っていく第2部では、第1部で出てきた要素が「うわ……」という形でひっくり返されていくので「あれはそういうことだったのか……」とぞっとするのは確実です。
 しかしこのノンフィクションの最も凄い部分は、「一応は事件が決着した」後に続く第3部にあります。「当時のこと」として語られていた話が「現在:筆者から」の視点になった瞬間、また別の物語へと変化していくのです(作品の肝はこの第3部だと思うんですが、いちばん映画化するのが難しいはず……どうするんでしょうね……)。
 純粋に大変面白い本なのですが、ものすごく遣る瀬無い気持ちになるのは確実だと思いますので、心構えのうえでぜひぜひ。
 
 現在にも、過去にも、世の中には信じられないような現実が満ち溢れています。しかしその事例をどのように語るか、どのように作り手が向き合うかによって、同じ題材でも全く違う顔をみせるのがノンフィクションの世界の面白さ。これからもフィクション/ノンフィクション問わず、その「ストーリー」がどのように考えて構成されたものなのか、思索しながら色々見て/読んでいきたいものだな……などと思いながら、それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。


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