みなさんこんばんは。第39回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。


先日『コレクティブ 国家の嘘』を劇場で見てきました。政府と医療業界との癒着を報道し、不正だらけの世界をなんとかまともにしたいと困難な戦いを続ける人たちを追うルーマニアのドキュメンタリーで、大変な力作です。国が作ったシステムの機能不全によって今こうしている間にも人が死んでいくという現実に全く頓着してない人たちが国を動かしている、それが明らかになってからも、なぜか「変えられないこと」だらけの状態が続く……なんだかもう対岸の火事と思えなさが凄まじい。優れたドキュメンタリーは優れたミステリーでもある、の法則そのものといえるようなポリティカル・サスペンスの味わいもあり、まだ上映されている地域の方には劇場でぜひ!とおすすめしたい作品です。

近年、映画でも小説でも、フィクションでもノンフィクションでもこうした政治や社会のあり方に対して「ちょっとそれはおかしいのでは?」という疑念や「このままの状態はさすがにまずいぞ」という切実な声をすくい上げる作品が注目を集めています。世界的に(ほぼどこの国でも、と言っていいでしょう)社会や政治、司法や行政の問題を意識せざるをえなくなっている状況なんですよね……

オンラインの世界でも政治や社会のことを語る言葉がどんどん増えてきています。私自身もここ数年でかなり意識は変わりました。少なくとも10年前の私にはここまで強く「社会を構成する存在としての自己」を考える機会はありませんでした(恥ずかしながら……)。

もちろん、実際に何かしらのアクションを起こすかどうか、どんな主張をすべきと考えるかは人によって異なるもの。けれど「何をしていても/していなくても、個人と社会は切り離せず、すべては政治的なことである」という考え方が広がっているの自体はとても良いことだと思っています。とはいえ、これを常に考え続けるのはーー民主主義社会を標榜するなら当然ともいえるのですがーーまあしんどいですよね。問題を意識したところでとどまってしまう個人としての限界も感じて、どうにも心が痛みます。

そんな中、最近見た1本の韓国映画が「社会のなかの私たち」を考えるときに大切なことを爽やかに伝えてくれました。というわけで、今回は2008年に実際にあった国民参与裁判での出来事を元にした(あくまでも元にした、なのでかなり盛ってはあります)リーガルサスペンス、ホン・スンワン監督の『8番目の男』をご紹介しましょう。

■『8番目の男』(Juror 8)


公式サイト: http://klockworx-asia.com/juror8/

あらすじ:2008年某日。今日は韓国の司法界にとって特別な日。初めての国民参与裁判が開かれるのだ。マスコミも集まり、全国民が注目する中で一般市民が裁判で陪審員の役割を果たす記念すべき日。裁判所としても失敗は許されない、扱う事件はある程度道筋が決まっているものにしよう。ということですでに証拠、証言、自白が揃った明白な殺害事件で、量刑を決めるところに入ってもらえれば十分だろう。ということで集められた8人の陪審員が入場し、裁判が始まる。ところが被告人がいきなり嫌疑を否認し始め、陪審員たちは有罪・無罪の決断を迫られることに。さらに予想外の展開が続いて困惑していく、年齢も職業も違う陪審員たち。さて、この裁判、どうなる?

あらすじを見ると、ああ韓国版アレンジの『12人の怒れる男』ねー、なんて思ってしまう方も多いかもしれません。が、私が今作に覚えたのは全く異なる種類の感動でした。この映画は「予断で犯人と決めつけてはいけない」「正義を追求しなくては」というメッセージ――それもひとつの要素ではあるんですがーーを中心にしているようには見えなかったんですね。これは「どちらかを選択することを求められたとき、わからないならわからないとまず素直にいうべきなのでは?」という社会の一員を成す人が大切にすべきことをユーモラスに伝え、「それなら私にもできるかもしれない」と感じてもらうための寓話なんだな、と思ったのです。

最初にみんなが有罪or無罪を合議するとき、ギリギリのタイミングで補欠要員から裁判に加わることになった「8番さん」(これがタイトルの由来です)が主張する「わからない」の一言が事件の見え方を大きく変えていきます。選択を求められているのに「判断できない」って言っちゃダメでしょうが! 無効でしょうが! 多数決で決めちゃえばいいのに! と私だって他の陪審員たちの「えー」というリアクションに近い反応をしてしまいそうです。けれど、これって「空気を読まずに止まれるかどうか」こそ、私たちに求められるんじゃない? という問いかけだと思ったんですよね。

この映画には明確な悪役がいません。自白を強要した悪い警察像も出てこないし、陪審員たちの中に根っからの差別主義者を置いてもいない。裁判官サイドも、出世やメディア受けという下心や「面倒なことになった」溜息こそ描かれているものの、基本的には「正しくやっていきたい」という気持ちを持った人たちとして描いてあります。それでも、システムを運用するだけでは目的との本質的なズレが発生してしまう。だからこそ「わからないけどまあいいか」にしないのが大事。選択だけが回答だと思わず、まず個人が「わからない」を言うことで社会は動き始めるんじゃないかーーそんな希望を感じて、そこになんだか強い感動を覚えたのでした。

小さな違和感から生じた「わからないこと」から「こういう可能性がある」と広げて考え、少しずつ「真相かもしれないこと」に近づいていく様子はミステリーとしての面白さも十分。ですが、細部までリアルな感覚で詰めた作品ではありません。検察と弁護士が状況の変化に対して何をしたかが一切描かれてないどころか途中からほぼ出てこなくなってしまったり、陪審員たちが犯行現場の再現を求めたりで「いや、ありえないだろ」と無茶さのほうを強く感じる人もいるでしょう。でも希望の寓話として捉えてみると、ちょっと見え方も変わってくると思います。あるキャラクターが「司法の妖精」のように描かれているのに注目してみてください。

■よろしければ、こちらも/『ボーイズ・ステイト』

(“https://tv.apple.com/jp/movie/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%88/umc.cmc.1aatz9gwjhnpfqqt8noafagq”)

今の時代の流れの中、若い頃に政治の仕組みをもっと学んでいればよかった、と感じている中年世代は割と多いんじゃないかなと思います。AppleTV+で配信中の『ボーイズ・ステイト』はそんな中年世代、特にこれからの時代に社会や政治を動かしていく世代のお子さんがいる人たちにぜひ見ていただきたいドキュメンタリー。アメリカで毎年実施されている、男子高校生たちが大規模な模擬知事選を行うサマーキャンプの話なのですが、これが実にエキサイティングなのです。

このイベントでは、最初に1000人以上の若者たちが不作為的に2つの政党に分けられ、そこから各代表を知事にするべくキャンプ内での遊説など様々な選挙活動が開始されます。党の要項を定めてキャンペーンを張る様子には、ものすごく本格的なところと、何かとふざけたくて仕方ない若い子たちが集まる夏休みイベントなのですぐむちゃくちゃになってしまうところが混在しているのがおかしい。のですが、キャンペーンが進むにつれ、実際の「政治運動」にほど近い現実が見えてくる。波乱だらけの選挙運動の終わりには、果たして2人のリーダーのどちらが選ばれるのか?というハラハラで最後まで引っ張られるストーリーの中、ある男子がこんなふうに語ります。

「主張しているのは自分の本当の考えとは違う、勝つためだったんだ、それが受けると思ったから」
「政治家はなんでああなんだろう? と思っていたけど、参加したら彼らの気持ちがわかった」

これって、民主主義の可能性と難しさを端的に示していますよね……様々な想いを抱く若い世代が熱戦の中で気づいていく「分断を超えるとはどういうことか?」「民主主義とは何か?」という問い。しかしその大きな主題の前に立ちはだかる「政治力」の壁ドーン!そんな現実も、実際の社会の様子にほど近く、とても興味深く面白い作品でした。

政治的・社会的なことと無縁な娯楽はまずないと思います。ミステリーももちろんそうですよね。考えてみると、リアルタイムの社会課題と接続された数々の名作のみならず、ごくライトな作品の中にも「機能不全の多い社会構造に対し、個人はどう抗うべきか」のヒントになるエッセンスは結構隠れているように思います。そういう角度から好きな本や映画を改めて検証してみるのも面白いかもしれないな……などと考えつつ、それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。


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