みなさんこんばんは。第30回のミステリアス・シネマ・クラブです。このコラムではいわゆる「探偵映画」「犯罪映画」だけではなく「秘密」や「謎」の要素があるすべての映画をミステリ(アスな)映画と位置付けてご案内しております。

 COVID-19禍に揺れる2020年の春。映画・TV番組の世界ではウイルス感染やパンデミックを扱った旧作が話題入りすることが増えました。『復活の日』が注目されたり、動画配信コンテンツの視聴ランキングに『コンテイジョン』が定着したり。Netflixの『世界の”今”をダイジェスト』という様々なトピックの専門家解説番組(面白いです)では、以前にもパンデミックを扱っていたこともあり、今回『”新型コロナウイルス”をダイジェスト』という特番をすぐに作成。これも多くの人が配信後即座に鑑賞したのではないかと思います。

 人は恐怖であれ、人間模様であれ、科学的な情報番組であれ、不安を抱きながらも「この状況」と重ね合わせたものを見たくなる。映画や小説で「今、何が求められるのか」には複雑な要素があると思いますが、根源には「わたしたちのこと」としてのアクチュアリティを探している、というところがあるのかなと思います。

 そして今、国家としての対策不足や伝達の不備、内部組織の機能不全を目の当たりにして不信が重なる中、国会で起きていることを巡って世の中が揺れています。今回紹介するのは、私が最近見た作品の中でいちばん「今」と重なるものを感じたポリティカル・サスペンス、『ザ・レポート』。描かれていることは全く異なるトピックなのですが、「権力」「組織」「論理」「倫理」の複雑に絡まった状態の中で、ある「レポート」を表に出すことの困難さがこれでもかと描かれていく、実話をもとにした作品です。しかも監督・脚本は『コンテイジョン』の脚本を手掛けたスコット・Z・バーンズ!(なんて今見るに相応しい映画だ……)

 アマゾンプライムビデオのオリジナル作品として2019年にリリースされた映画です。

(“https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B081J1P5DT/honyakumyster-22/”)

あらすじ:アメリカ上院職員のダン(アダム・ドライバー)は行き詰まっていた。9.11同時多発テロ事件後にCIAが実施していた尋問プログラムの調査に携わって、はや何年が経つだろう。さまざまな資料を調べ上げた結果、明らかに度を越した問題行為があったのは見えている。「強化尋問プログラム」と称して、効果が見込めないことがわかりながらも拷問が繰り返されてきたという明確な事実。レポートもすでに完璧にできている。しかしそれを「表」に出すにはあまりにも障壁が多すぎて、事態はなかなか進展しない。だからこそ彼はある行動を取ったのだが……

まずオープニングタイトルで「消される」文字こそが、この「真実」。塗りつぶされた「開示されたくないこと」。ウッ……知ってるぞこれ……とならないでしょうか(私はなりました)。面子のために自浄作用を失った組織。功を焦るがゆえに招き入れてしまったヤバい連中がつけあがる。その策をとったことを正当化するために「成果が出るまでやめられない」状況。非人道的な行為の日常化と麻痺。彼らが持つ「政治力」ゆえに、うかつに手を出せない上院サイド。限界まできたときには一応謝ったとしても、組織全体の「過ち」は認めない。なぜならこれは権力の問題、自分たちの価値が保たれることがすべて。であるがゆえに、都合の悪い重要文書は何度も葬られかけ……ウッ……。

 冒頭で「彼が何をしたのか」が少しだけ明かされ、その後はただひたすらに「主人公が狭苦しい室内でひたすら資料の調査を続け、上司の議員に報告し続ける」物語と並行して、彼の調査で判明した「当時の状況」が展開されていく、その繰り返しです。決定的な資料発見に盛り上がるシーンも用意されてなければ、仲間同士で快哉を叫ぶところもありません。地道な作業描写の連続。しかしこの「必要なことを必要なだけ」説明していくドライな描写が続くほどに、エモーショナルな瞬間が次々生み出されていく。このあたりは『コンテイジョン』と重なる部分も大きい。政権の変遷にも触れてはいますが、党派色はあまり強くなく「そもそも政治の仕組みとして複数組織の力関係に難しさがある」という伝え方をしているのもこの脚本家らしいところです。

 話が進むほどに、「問題はここまでわかっているのに状況が状況なので今は進めない」という政治組織内の一員である主人公のもどかしさも見えてくる。そのうち、主人公自身も圧力の対象になってしまうのは言わずもがな。問題はCIAの「認めたら負け、うちの面子をどうしてくれる」セクショナリズムだけではありません。上司の立場による判断保留の長期化、委員会メンバーの意識差、「今対テロ問題で失敗したら二度と政権が取れない」政権事情……あらゆる状況を鑑みて、あらゆる方策の搦め手で、しかも「正しい方法」で戦うことの困難さ。しかし、それができる人たちもいる。したたかな相手とは、したたかに戦う。決して立派な演説や誰かを説得して改心させることはない、正規の(時にアウト気味の)抜け道を探る、証拠と法と状況を判断しながらの戦い。個別のキャラクターの生活や過去を台詞だけに留めてほとんど具体的に描写せず、ただ仕事だけで見せるストイックさも魅力的でした。

 深刻な話ではあるのですが、重苦しさ一辺倒になっていないのもこの映画の美点。何よりもそれは、主役をアダム・ドライバーが演じているからなのでしょう。「どうも世の中の笑いどころがわからないので笑わない人」という感じで、いかにも正義の味方!有能な男!という雰囲気とは少し違う。どこにいても居心地が悪そうな佇まい、どこかちょっと浮世離れした雰囲気と物事に対する尋常じゃない真摯さが違和感なく同居した彼を始め、隅々まで地味に豪華(特に米ドラマ好きの人には嬉しい人たちがたくさん登場します)なキャストも見どころです。


■よろしければ、こちらも/『提報者~ES細胞捏造事件~』


『ザ・レポート』はジャーナリズム映画ではないのですが(こうした作品には珍しく、主人公が上院職員として、ジャーナリズムや「リーク」主義と一定の距離を保っているのが特徴ともいえます)、見ているときに思い出したのは韓国映画の『提報者~ES細胞捏造事件~』。これも実話ベースの作品です。

 世界で初めてのES細胞作製に成功したというニュースに国全体が盛り上がっているときに「あれは捏造なんだ」と内部から匿名の情報提供を受けたテレビ番組の製作チーム。彼らは真実を明らかにできるよう奮闘するのだが……というストーリーで、今更引き返せなくなった人、組織の面子問題、信じたくないものは信じない大衆への思いの伝わりづらさ、そして何よりも「国のことを考えろ」と何かと「黙らせようとする力」について、優れたメッセージを放つ映画になっています。

 中でも印象的なのは主人公のプロデューサーと上司の会話です。追求を続けるかどうかの判断時、「真実と国益、どちらを選びますか?」「真実が国益だ」「はっきりいってください」というやりとりがあるのですが、そこには複雑な感情と「それでもやらなくてはならないのはなぜか」がはっきりと映し出されている。そう、これも『ザ・レポート』と共通する「不都合な真実の追求を〈国のために〉行う」物語なのです。テキパキした演出も的確で、俳優陣の良質な演技も堪能できる作品ですよ!

 私自身はSNSのハッシュタグを使った政治的なメッセージ発信や、具体的なニュースに対するアクションを積極的に行っているほうではありません。しかし、こうした作品の感想を通じて「何が、どのように描かれているのか」をお伝えし、オススメすることもまた十分に「政治的」行為だと考えています。それぞれの人に、それぞれのやり方がありますが、今この状況の中でどう行動するかは個々にも常に問われています。むしろ民主主義というのはそういうものなので永遠に完成形がないわけですが……!

 不安が増せば恐怖と怒りと憎悪が募る。このご時世だからこそ、改めて「自分はどう戦うか」、その前提として「どの組織に、どんな役割があるのか」「国の機関では何をどのように追求しているのか」を知り、深慮していく必要性をちょっと真面目に考えたところで、それでは今宵はこのあたりで。また次回のミステリアス・シネマ・クラブでお会いしましょう。

今野芙実(こんの ふみ)
 webマガジン「花園Magazine」編集スタッフ&ライター。2017年4月から東京を離れ、鹿児島で観たり聴いたり読んだり書いたりしています。映画と小説と日々の暮らしについてつぶやくのが好きなインターネットの人。
 twitterアカウントは vertigo(@vertigonote)です。





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