『わが名はレッド』

シェイマス・スミス

ハヤカワ・ミステリ文庫

 中学生のとき国語の教師から、おまえは将来きっと知能犯になると言われた。悪知恵が働くというのである。もちろん、それは度の過ぎた悪戯をたしなめる言葉だったのだが、わたしはすっかりその気になった。人知れず何かを完璧にやってのけて、優越感にひたりながらひそかにほくそ笑む、というのは自分の好みにぴったりだったのだ。教室の窓から外をながめながら、よからぬ将来を空想しては陶然としていたものだ。

 それから三十数年、ゴマ塩頭のオヤジになったわたしは今、自分がそんな夢を抱いていたこともすっかり忘れて、長屋の浪人者の内職なみに効率の悪い仕事に日々いそしんでいる。けれどミステリーの翻訳者になったことに、さほど後悔はない。悪知恵の働く知能犯のほうが断然よかったけれど、こっちだって、その次(か次の次)ぐらいにはよかったのではないかと思う。かなわなかった夢の代償行動みたいなものだ。

 だから、昨年のブッカー賞受賞作『グローバリズム出づる処の殺人者より』を訳しているときは実に楽しかった。主人公は自分の犯した殺人を「起業活動」と位置づけ、自らの半生を倒叙ミステリー風に語っていく。完全犯罪をなしとげて大金持ちになり、しかも警察につかまることもなく、黒いユーモアをまじえた皮肉な語り口で得々と自分の犯罪を自慢するのである。狭義のミステリー小説とはいえないかもしれないが、わたしのいけない嗜好にぴったりだった。不謹慎と言うなかれ。不謹慎こそが、この作品の力なのだ。

 しかし、わたしの嗜好にもっとも合致した作品といえば、なんといっても『わが名はレッド』だろう。なにしろ、二十年かけてひとつの完全犯罪を実行していく物語なのである。主人公の犯罪計画ははなはだ迂遠で(なにせ二十年ですから)、自分が直接に犯行と結びつかないように、無自覚の中継者を介して連鎖反応的に目的を達成しようとする。ドミノの最後の牌が倒れたとき、計画が成就するという仕掛けだ。

 しかもこの主人公、冷血漢でありながら、これまた皮肉なユーモアの持ち主で、その語りは冒頭から、働けど報われぬ傘張り浪人のいじけた心をがっちりつかむ。「大金持ちになりたいか? なら、あくせく働かないことだ」——なんと魅力的な言葉か。

 著者の本業は競走馬の育成だという。この作品を読むと、その事実がなんとも興味深く思えるはずだ。彼は牧場で日々の仕事をこなしているあいだも、完全犯罪を実行するにはどうしたらいいか、絶えず考えつづけているにちがいない。「普通の人間は(馬の)調教を見てこんなことを考えたりはしないだろうが、おれは四六時中、サツにこっちの望みどおりのものの見方をさせる方法を探してるようなもんだからな」とは主人公の言葉だが、著者自身の告白でもあるはずだ。おまえは将来きっと知能犯になるぞ。彼もそう教師に言われたクチではないか。

*この作品がお気に召したら、ぜひ、著者のデビュー作『Mr. クイン』もあわせて読んでほしい。新刊書店では入手困難のようだが、古書店ではわりとよく見かける。