三階までのぼると流水の音が聞こえてきた。バスタブのまわりに蝋燭が立ててあるのを見て、わたしは今夜ジャックがどう過ごすつもりか理解した。彼がすでにバスタブのなかにいて、胸まで泡につかっているのも決定的な証拠だ。

これは先日刊行されたマーガレット・デュマス著『上手に人を殺すには』のなかのワンシーン、ヴァレンタイン・デイに主人公のチャーリー(女性です)が帰宅すると、夫のジャックがロマンティックな演出をして待っていたという場面です。

この『上手に人を殺すには』は昨年刊行された『何か文句があるかしら』(なんて高飛車なタイトルでしょう。でも、ぜひとも実生活で言ってみたい台詞でもあります。)の続篇です。主人公のチャーリーは“小国の財政をまかなえる”ほどの財産を持つセレブ。夫のジャックは全盛期のグレゴリー・ペックを思わせる超ハンサムな元海軍将校。そんなふたりが出会って電撃結婚し、その直後に殺人事件に巻きこまれるところから前作はスタートしました。

私が翻訳をしていて楽しいと感じるのが、生きのいい登場人物がポンポンとテンポのいい会話を交わす場面です。今回、私のイチ押し本としては、訳出・校正作業が楽しかった記憶が新しい、このセレブ探偵第二弾『上手に人を殺すには』をご紹介したいと思います。

本書は帯に“お熱い新婚夫婦と友人たちの危なっかしくも痛快な探偵活動”と紹介されていますが、まさしくそのとおりの内容です。チャーリーとジャックの新婚夫婦は、冒頭に紹介した場面を見ていただいてもおわかりのように、アツアツな毎日を送っています。その仲のよさはバカップル一歩手前。なにしろ夫(三十代後半)が妻(三十代なかば)をつかまえて“かぼちゃ姫”と呼んだりするのですから……。ただ、ここで大事なのは、“一歩手前”というところ。あと少しで「アホらし……」と言いたくなるような甘甘な会話に、シニカルな味わいが絶妙のさじ加減で加えられているのです。

ミステリーのシリーズものでは、主人公のロマンスの行方がシリーズを引っぱる魅力のひとつになったりしますが、このチャーリーとジャックの場合、もう結婚してしまっているので、“このふたりの関係どうなるの?”的なドキドキ感はありません。ただ、ふたりのウィットに富んだ会話はその点を補ってあまりある魅力になっています。

ウィットに富んでいるのは、主人公ふたりの会話(というか、かけ合い?)だけではなく、作品全体です。また、このセレブ探偵のシリーズは端の端まで登場人物のキャラが立っていて、彼らがかもし出すにぎやかでリッチな雰囲気は、訳者あとがきにも書きましたが、一条ゆかりの『有閑倶楽部』をほうふつさせるところがあります。

美童グランマニエや白鹿野梨子(『有閑倶楽部』の登場人物です、念のため)を思い出させる友人たち、不良少年がそのまま成長したような、でも大富豪なチャーリーの叔父など、紹介しだしたら止まらないのですが、あまり長くなってもなんですので、ここでは特に訳者オススメのキャラ、ボディガードのフランクをご紹介します。ネアンデルタール人に似てる、だとか、ポニーテールがますます淋しくなってきた、とか、さんざんな書かれようなんですが、このボディガード、外見からは想像もつかない“かゆいところに手が届く男”なんです。本書でチャーリーの秘書(似合わなすぎる……)としてIT企業に潜入することになると、なかなか車を駐める場所が見つけられないサンフランシスコで駐車スペースを確保しておいてくれたり、何台ものパソコンをささっとセットアップしておいてくれたりするのですから。ゴリラ並みの毛深さや、発音が不明瞭で何を言っているのかよくわからない、という欠点はありますが、やっぱり意外性のある男は魅力的です。ゴリラ並みの毛深さだって、ふかふかしていて案外いいかも、という気にさえ……なるかどうかは、人それぞれでしょうか?

ミステリー作品なのに、肝心のストーリーについてほとんど触れない紹介になってしまいましたが、それは謎解きやプロットがお粗末だからではありません。デュマスは前作でCWAデビュー・ダガー賞にノミネートされた人物ですから。あと、コージー作品ながら、ちょっとしたアクション・シーンもあったりします。

本書は“ミステリーを読みながら、ニヤニヤしたり、クスリと笑いたい”、そんな気分のときにはぴったりの作品です。『何か文句があるかしら』から読んでいただいたほうが人物関係などはわかりやすいとは思いますが、軽妙な語り口がよりパワーアップした感のあるこの第二弾からお読みいただくのも大いにアリかと思います。もうすぐやってくる秋の夜長のお供にでもぜひに。