年とると、いいことないなあ。
と、お思いのあなた。
最近、細かい活字を目で追う気力が失せたし、用事はメモしておかないとすっかり忘れちゃうし、気がつくと同じ相手に同じ質問を繰り返し尋ねてるし、なんかなあ。
と、お思いのあなた。
わかります。わかりますよ、ご同輩。
そんなとき、「年をとるのも悪くない」と思わせてくれる人生の先輩がいたら、どれだけありがたいか。
おまけにその先輩が痛快な活躍を見せてくれたら、どれだけ胸がすくことか。
わたしにとって、そんな人生の先輩は「ミス・マープル」と「いじわるばあさん」だ。
まずはアガサ・クリスティーが創造した「ミス・マープル」。一見、物静かなごくふつうの年配の女性が、警察がてこずる難事件を持ち前の推理力であざやかに解決していく。わたしが惹かれるのは、彼女が人間の愚かさや欲の深さ、男女の機微などをじつによく心得ているところだ。事件の関係者に向けるまなざしや言葉からは慈愛さえ感じられるときもある。あんなふうに年齢を重ねたい、ものごとを俯瞰的に見る賢さを身につけたいと、つくづく思ったものだ。
そして長谷川町子が描く「いじわるばあさん」。このばあさんには毒があり、ユーモアがあり、気概がある。はた迷惑な存在ではあるけれど、憎めない。そしてミス・マープルと同様、人間の愚かさを鋭くつく。寂しいときもあるだろうに、そんなそぶりは見せたくないし、同情だけはされたくないと思っているふしもある。
肉体的な衰えは如何ともしがたいけれど、年をとったら、せめていくばくかの智恵は身に着けたい。ミス・マープルやいじわるばあさんのほかにも、同性の先達が活躍する小説をもっと読みたいなあ。
そう思っていた訳者が原書を読んで惚れこみ、レジュメをもちこんだところ、懐が深い集英社翻訳書編集部が版権をとってくださった。そうして出版にこぎつけたのがアン・B・ロス作『ミス・ジュリア 真夏の出来事』である。主人公はアメリカ南部の小さな町に暮らす67歳の未亡人、ミス・ジュリア。平穏な毎日を送っていたところ、突然、資産家だった亡き夫の愛人と隠し子があらわれ、ミス・ジュリアは腰を抜かす。そこからストーリーはミステリの香りとサザンコメディの趣を漂わせて展開する。そして保守的な生き方を固持してきた彼女は苦しい葛藤を経て、新しい価値観を身につけ、大きく成長するのだ。あっぱれ、ミス・ジュリア。
この作品を通じて、訳者自身、大切なことを学んだ。何歳になっても人は成長できること。血のつながりのない他人と家族のような関係を結べること。誇りや良心を忘れてはならないこと。そして、ユーモアが人を救うこと。
本音を言えば、同性の先輩だけでなく、男性の先輩諸氏が知恵を寄せあって悪党を騙すようなコン・ゲームももっと読みたいと思っている。でもいま、快哉を叫びたくなるような女性の先輩の奮闘に関心をおもちのかたは、ぜひ、ミス・ジュリアと出会ってもらいたい。そして読後、こう感じていただければ幸いだ。たまに愚痴をこぼしながらも、そこはかとない希望と意志をもって年齢を重ねていこうじゃないか、と。