『ソフィー』ガイ・バート(創元推理文庫)

 ミステリーの「自薦イチ押し本」ということなら、シェイマス・スミスの『Mr. クイン』か、エドワード・バンカーの『ドッグ・イート・ドッグ』か、それとも……といろいろ迷うが、その2つは残念ながら絶版だ(前回『Mr. クイン』に触れてくださってありがとうございます、鈴木恵さん!)。でも、じつは私は悩んでいない。このコーナーに打ってつけの本がある。

 それがガイ・バートの『ソフィー』だ。何しろこれは、今までのところ私が唯一「持ち込み」をした本なのだ(編集者から依頼や提案を受けるのではなく、翻訳者のほうからこの本を出しませんかと提案するのを「持ち込み」という)。だから、自薦も自薦、大自薦のイチ押し本ということになる。

 1998年に読売新聞社から単行本で出た本作は、今月20日に、創元推理文庫から復刊されることになった。11年を経ての復活には、映画化などのきっかけがあるわけではない。かねて読者・評論家・編集者の皆さんからぜひ復刊をという声が上がっていたからで、つまりは最強の他薦つきでもあるわけだ。文庫版では本作に惚れこんだ川出正樹さんが解説を書いてくださっている。

 ガイ・バートはミステリー作家ではないが、第1作の『体験のあと』(集英社。のちのアーティストハウス社版のタイトルは、ソーラ・バーチ主演の映画に合わせて『穴』)も、第2作の『ソフィー』も、サイコ・スリラーとして充分通用するし、謎解きミステリー・ファンの心をぐっとつかむ要素も持っている。

 イギリスの廃屋になった田舎屋敷で、若い男マシューが姉のソフィーを監禁している。姉弟は幼いころからその屋敷と周囲の田園地帯でほぼ2人だけの子供時代をすごした。両親はなぜか子供たちを放置し、病弱なマシューは2つ年上の聡明な姉に保護されて、だれにも邪魔されない楽園で暮らしたのだ。

 姉と弟だけの楽園といえば、ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』を連想されるだろうが、あの小説と同じように、『ソフィー』も楽園崩壊の物語だ。これはもう小説の冒頭から明らかにされている。いったい楽園はどのようにして喪われてしまったのか? 弟が過去を回想しながら姉に問い詰めていく。姉さんはなぜあんなことをしたんだ、と。

 これは怖い、悲しい話だが、子供時代の密やかな息づかいを繊細に描いた小説でもあって、そこがすばらしく魅力的だ。秘密の隠れ処、化石採集、聡明な姉ソフィーが語ってくれるおとぎ話、マシューにときおり訪れる幽霊。なかでも私のお気に入りは、ヒイラギの木の内側にこしらえた秘密の隠れ処だ。びっしり繁った葉むらのなかの小さな空洞で、ロウソクをともして本を読んだりするのだ。

 作品の原書は1994年か95年に、銀座のイエナ書店で見つけた。失われた子供時代というようなノスタルジックな話にめっぽう弱い私は、裏表紙の紹介文を読んだだけでたちまち魅了された。あの賑やかな晴海通りの、いかにも都会的な粋を感じさせたイエナ書店も、今はもうなくなってしまい、『ソフィー』はいよいよ強く郷愁を誘う作品になった。イエナ書店が写っている写真をネットで拾ってパソコンの壁紙にしている今日このごろである。

黒原敏行