(承前)

 四冊目は、同じくフランスの作家フレデリック・ダールの長篇『絶体絶命』(1958年/三笠書房/中込純次訳)。

 ダールは多才な作家で、サン・アントニオ名義の警察小説『フランス式捜査法』(1974年/ハヤカワ・ミステリ/中村知生訳)や、スパイ小説『恐怖工作班』(1988年/河出文庫/長島良三訳)といった邦訳もあるが、基本的には、いかにもフランスらしい色と欲に満ちたトリッキーなサスペンスを得意としている。

 この系統の作品は、『悪者は地獄へ行け』(1956年/潮書房/秘田余四郎訳)、本書、『甦る旋律』(1980年/文春文庫/長島良三訳)、『生きていたおまえ…』(1980年/文春文庫/長島良三訳)、『並木通りの男』(1986年/読売新聞社フランス長編ミステリー傑作集1/長島良三訳)、『蝮のような女』(1986年/読売新聞社フランス長編ミステリー傑作集4/野口雄司訳)の六冊が訳されていて、どれも実に面白い。

 とりわけ、ある死刑囚が同房の囚人に語った回想という形式で綴られる本書は、夫、妻、妻の愛人の三者による愛憎の物語を描いて、圧倒的な面白さ。火花を散らすドラマの果てに主人公が投獄されることになるのだが、そこでタイトルの意味が判明するという趣向も洒落ている。

 問題は、翻訳がほとんど直訳としか思えない悪文なことで、少し読み進めてしまえば話に引き込まれて気にならなくなるとはいえ、ちょっとこのままでは再刊しにくいように思う。どこか改訳のうえで文庫化してくれる版元はないだろうか。

 なお、本書は五九年に『ピンチ』と改題されて新書判でも刊行されているが、古書店ではこちらの方が珍しい。元版の函入りハードカバーの方が見つかりやすいので、興味を持たれた方は、ぜひ探していただきたい。

 五冊目は、ウォラス・ヒルディックの長篇『ブラックネルの殺人理論』(1978年/角川書店/広瀬順弘訳)。

 角川書店からハードカバーで刊行されたミステリは、ジャック・フィニイ『マリオンの壁』(1975年/角川書店/福島正実訳→1992年/角川文庫)、D・E・ウェストレイク『我輩はカモである』(1977年/角川書店/池央耿訳→1995年/ミステリアス・プレス文庫→2005年/ハヤカワ・ミステリ文庫)、『殺人症候群』(1982年/角川書店/中村能三、森慎一訳→1998年/角川文庫)など、十数年のタイムラグがあっても、目ぼしい作品はあらかた文庫化されており、いま読んでも面白い作品は、あまり残っていないと思う。だが、その中で、ぜひともお勧めしたいのが、この『ブラックネルの殺人理論』だ。

 妻が発見した夫の手記によると、夫は独自に開発した殺人のための理論に従って次々と人を殺しており、しかもそれは完全犯罪だというのだ! にわかには信じられない内容だが、実際に事故として処理された出来事の新聞記事が貼ってあったりして、妻は恐怖に震えることになる。夫は異常な連続殺人者なのか、すべては夫の空想による虚構の手記なのか、それとも狂っているのは妻の方なのか……。

 異常な設定と異常な展開のサスペンスだが、伏線は丁寧に張られていて、意表を突くラストまでページを繰る手が止められないはずだ。

 なお、訳者あとがきによると、編集部から渡された原書が面白かったので翻訳したが、作者についてはよく判らない、とあり、「子供のための本を約四十冊」書いているようだ、としか記されていないが、この人、ジュニア向けミステリのロングセラー『マガーク少年探偵団』シリーズ(あかね書房)の作者、E・W・ヒルディック(Edmund Wallace Hildick)なのだ。私は、2005年に開かれたコンベンション「MYSCON6」の児童向けミステリ企画で、そのことを教えられ、腰を抜かすほど驚きました。

 以上、せっかくアマゾンの商品ページにリンクしてもらっても、ユーズドですら売っていないような作品ばかりで、果たして翻訳ミステリの応援になるのかどうか、非常に心許ない感じですが、紹介した作品は、どれも本当にお勧めですので、ぜひ探してみてください。

 また、この記事をご覧になった各社版元の皆さま、ぜひぜひ文庫化を検討していただければ幸いです。

 日下三蔵

*1: 〜原文は「実質」に傍点〜