ミステリ・マニアの中には、したり顔で「埋もれた傑作などないよ」という人がいる。なるほど、みるべき処のある傑作、秀作であれば、なんらかの形でマニアの口の端にのぼるはずだから、これは一面での真理ともいえるが、過去に出版されたミステリはあまりにも多く、現役で流通している作品はあまりにも少ない。すべての傑作が常に手に入るということはありえないので、どの時点においても「埋もれた傑作はある」というのが、私の持論である。
そこで今回は、「文庫にならなかった偏愛作品」というテーマで、五冊のお勧め本を選んでみた。ただし、ポケミスに関しては、定期的に重版もされているし、古書市場も確立しているので、対象外としています。
一冊目は、創土社から函入りのハードカバーとして刊行された『ビーストン傑作集』(1970年/中島河太郎編)。
L・J・ビーストンは、スリリングなストーリーと意外なオチのあるミステリを得意とした作家で、戦前には大変もてはやされ、「新青年」を中心に中・短篇ばかり八十篇ほどが訳されている。
その作風については、ビーストンを数多く訳した妹尾アキ夫の言葉を引くのが判りやすいだろう。
「ビーストンの特色は、時間的に順を追って話せばなんでもない事件の筋を、自由自在にひねくって中程に書くべきことを初めにもっていったり、初めに書くべきことを結末にもっていったりして、読者をびっくりさせ、面白がらせ、楽しませ、そのためにはあらゆるものを犠牲にしていることである。(中略)シチュエーションや場面を選ぶのに、常套的な平凡なものを避け、例えば相手の一語で破滅に陥る前科者だとか、一歩踏みはずせば、まっ逆に落ちる屋上の男だとかを描いて、いつも読者の手に汗を握らせ、スリルを満喫させる。そして最後に必ずどんでん返しを作って意外の結末で読者をあっと云わせる」ビーストンに就いて「別冊宝石 31号」(53年9月)より
残酷なコントを書いたフランスのモーリス・ルヴェルと並んで、大正から昭和初期の探偵作家に大きな影響を与えた作家の一人が、このビーストンなのだ。例えば江戸川乱歩のスリラー長篇『人間豹』は、ビーストンの短篇からタイトルを拝借したものである。
その作品に対して、他愛ない、子供騙し、同工異曲、何も後に残らない、などと批判することは容易いが、とにかく読者を驚かせてやろう、という稚気は、ミステリの持つ根源的な面白さであると思う。
現在、創土社版はかなりのプレミアがついており、一万円以下で入手するのは難しい状況だが、実は前述の「別冊宝石 31号」の「ビーストン&チェスタトン特集」(両極端なカップリング!)は、千円程度で容易に入手できる。創土社版の収録作品十八本のうち半分の九本を含む十六本が、この雑誌で読めるので、まずは「別冊宝石」を探すことをお勧めしたい。
なお、同じく創土社から出た『ルヴェル傑作集』は、戦前の短篇集『夜鳥』(1928年/春陽堂/田中早苗訳)が創元推理文庫に入ったことによって、大半の収録作品が読めるようになった。ビーストンの方も、創土社版そのままでなくてもいいから、三百五十ページほど(それ以上詰め込んでも飽きるので)の傑作集が欲しいところだ。