(承前)

 二冊目は、ウィリアム・フォークナーのミステリ短篇集『騎士の陥穽』(1951年/雄鶏社/大久保康雄訳)。同名異人ではありません。『響きと怒り』を書き、ノーベル文学賞やピューリッツァー賞を受賞した、あのフォークナーの作品である。

 エラリー・クイーンが、歴史的な意義を加味して選定したミステリの名作短篇集リスト「クイーンの定員」にも選ばれた一冊で、短篇五本に表題作の中篇を加えた全六篇から成る連作短篇集だ。

 ほとんどの作品で語り手を務めるチャールズ青年がワトソン役、その伯父で郡検事のギャヴィン・スティヴンズが探偵役となるシリーズで、特に独創的なトリックが使われているわけではないが、さすがは文豪というべきか、ドラマ自体の面白さでなかなか読ませる一冊になっている。

 中の一篇「化学の錯誤」は「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の第一回コンテストで第二席に入選した作品で、フォークナーがこのシリーズを推理小説として書いたのは明らかである。クイーンも「フォークナーほど国際的に高く評価された作家が、恥じることなく探偵小説を書くことは、探偵小説がついに熟年に達したことをいま一度証明している」と述べている。

 にもかかわらず、大久保康雄が訳者あとがきで「「騎士の陥穽」は、探偵小説的に書かれた六つの短篇を、簡単な中心テーマで結びつけたもの」と紹介したり、冨山房の『フォークナー全集 18』(1978年)で、同書を「駒さばき」のタイトルで改訳した山本晶が「いずれも探偵小説仕立てになっているところが、『駒さばき』の大きな特色であり、共通の性格でもあると言えよう」(訳者解説)などと書いているのは、少々いただけない。探偵小説として書かれた作品に対して、探偵小説仕立てになっているのが特色、と言われてもなあ。

 なお、『騎士の陥穽』は雄鶏社からハードカバーの単行本として刊行された後、五七年に新鋭社から新書判として再刊されているが、その際に紙幅の都合で「けむり」(全集版タイトル「紫煙」)が割愛されているので、できればハードカバー版を探した方がいい——と言いたいところだが、なに、雄鶏社版も新鋭社版も滅多に見ないので、読むなら冨山房の全集版が手っ取り早い。これなら大きな図書館には、たいがい置いてあるでしょう。

 ちなみに全集の訳者・山本晶は、「翻訳界の大先輩の仕事なので、まことに申しにくいが、大きな誤訳(構文の取り違えなど、文章単位の間違い)だけでも、原書一ページあたり一箇所はある」「翻訳に誤訳はつきものであるとも言えるし、それが散見するからと言って鬼の首でも取ったかのようにあげつらうのはエチケットに反するとは承知しているが、これはちょっとひどすぎる例ではあるまいか」と述べ、「拙訳は実質*1上、この作品の本邦初訳である」とまで書いている。

 そこまで言われると読み比べてみたくなるのが人情というものだ。結論からいうと、大久保訳は誤訳があるのかもしれないが、ごく普通の翻訳調の文体で読みやすい。山本訳は正確な訳なのだろうが、小説の文章としては生硬で、まあ一長一短というしかないだろう。

(つづく)