『サーカス象に水を』

サラ・グルーエン(Sara Gruen)/川副智子訳

ランダムハウス講談社

発売日:2008/7/10

 よく?ミステリーとしても読める?とか?ミステリーの要素もある?などと紹介される作品がある。この?〜?のあとをまとめるのは?家族小説?だったり?青春小説?だったり、そんなふうにコンパクトにはまとめられなかったり。要は、ミステリーのジャンルには括りにくい、小説としか呼びようのない小説。そういうものを多く訳している。

 ジャンルを特定できないから、そのジャンルのマニアの方々の支持を得ることはほとんどない。けれど、ときに、必殺仕分け人のようにどなたかがすっくと立ち上がり、訳者などはおよびもつかぬ深い見識と、訳者あとがきよりも熱い愛情をもって、いろんな場所でその作品への支持を表明し、無党派読者層に訴えてくださることがある。リーサ・リアドンの『ビリーの死んだ夏』のときは北上次郎氏がそうだった。そして、サラ・グルーエンの『サーカス象に水を』では川出正樹氏が。この二作は、翻訳をすることがほんとうに好きだと感じさせてくれた自分の中でも記念碑的な作品である。

 リレーエッセーのバトンを受け取ってから、訳者として『サーカス象に水を』にどうしてこんなに惹かれたのかを改めて考えてみた。で、気がついた。なんと今ごろ。訳しているあいだ、老人介護施設で暮らす主人公のジェイコブが愛しくて愛しくて、それは、人生最後の時間を生きるジェイコブと同じ年回りの自分の父親が重なって見えるから、自分もまた老いや死が想像ではない年齢になってきたからだとずっと思っていたが、それだけではなかった。九十三歳のジェイコブに男としての色気があって、そこに惹かれていたのだ。肉体はどんなに変化しても枯れない色気はある。そういう色気を感じさせる人がまれにいる。先頃、九十六歳の天寿をまっとうした名優の追悼番組でも、大年増といって差し支えのない女優たちが、その名優の晩年の色気をうっとりした目で語っていたっけ……。

 こんなふうに書くと、まるで老人介護施設が舞台の小説かと思われるかもしれないが、誤解なきよう。これはタイトルどおり、おもにサーカスを舞台とした物語だ。一九三一年、アメリカの列車移動サーカスの獣医となったジェイコブは、それはもう初々しくて、まぶしい二十三歳。こちらのジェイコブに全体の八割ぐらいの分量があてられていて、その七十年後、老人施設で暮らす九十三歳のジェイコブが登場するのは二割程度だ。でも、若きジェイコブの挫折と恋と成長を透かして、わたしはいつも九十三歳のジェイコブを見ていた。彼の思いを思っていた。だから物語のありえないような結末に、「よかったね、ジェイコブ!」と言って一緒に泣き笑いをしたのだった。ああ、もう一度、こんな本に巡り会いたい。

 ミステリーの仕掛けも見事に決まっています。ぜひご一読を。