三

 この二人が初めて出会ったのは、大晦日の晩(「クィン氏登場」)のことでした。ロイストンの友人宅でのパーティーに招待されたサタースウェイト氏。新年が間近に迫る中、やがて話題は、彼らの友人で、謎の拳銃自殺を遂げた館の前の持ち主へと移り、なにやら緊張した空気が漂い始めます。そんなおり、車が故障して立ち往生したハーリ・クィンが、一時の暖を求めて、屋敷を訪れました。たまたま話題の人物と知り合いだったクィンの示唆に従い、当時の状況を思い起こす招待客たちは、徐々に、前当主の謎めいた行動の理由を理解し、ついに事件の裏に隠された真相に行き当たります。

 この真相を解明するのがサタースウェイト氏です。前述したように、”特別な勘”を持っている氏は、

「クィン氏の到来は、けっして偶然ではなく、出番が来た役者が舞台に上がったようなものだった。今夜、ロイストン荘の大広間では、一幕の芝居が演じられていた(中略)これはクィン氏のしわざだ。彼がこの芝居を演出し——役者たちの出番の合図を出しているのだ。彼がこの謎の中心にいて、糸を引き、人形を操っている。彼はなにもかも知っている」(強調引用者)

というように、謎の人クィンの存在意義を的確に見抜き、また逆に、サタースウェイトが理解したことに満足したクィンは、彼を自らの代弁者と認め、氏に的確な示唆を与

えて、記憶を呼び起こし、推理力を活性化させて、真相を告げる役をあてがったのです。

 その瞬間のサタースウェイト氏の心境は想像に難くありません。それまでの人生で、常に他人の引き立て役に徹してきた人間が、遂に主役となったのです。まさに天にも昇る気持ちだったでしょう。

 以後、様々な場所で、サタースウェイト氏はハーリ・クィンと、都合十四回遭遇し、そのたびに不幸な恋愛絡みの犯罪の謎を解き、愛の奇蹟を起こします。

 その活躍の舞台は、イギリス国内に留まらず、無実の罪で死刑台に昇る若者を助けるためにカナダまで飛んだり(「空のしるし」)、冬のモンテ・カルロで、因縁深き女と男——公爵夫人とクルーピエ——が背負ってきた十字架を降ろすのを手助けしたり(「クルピエの真情」)、コルシカの断崖に立つ別荘で、不幸な三人の男女の誤解を解き、過去を精算したり(「海から来た男」)と、バラエティーに富んでます。

 もちろんミステリとしての趣向もないがしろにされてはいません。中でも、アリバイ崩しの決め手が秀逸な「空のしるし」、クィンやサタースウェイト氏らが観劇する、

レオンカヴァッロのオペラ〈道化師(パリアッチ)〉が、事件と二重写しとなる「ヘレンの顔」、当時としてはかなり先鋭的な動機が、異様な迫力で読者に迫る「翼の折れた鳥」は、ミステリの女王の名に相応しい優れた短篇ミステリです(余談ですが、「翼の折れた鳥」の犯人は、同時期にアメリカ人作家が書いた某有名作品の犯人と同じ実在の人物をモデルとしているに違いありません。当時の人々にとって、”彼”がいかに衝撃的であったかがうかがえます)。

 さらに本書未収録の「愛の探偵たち」(『愛の探偵たち』所収)では、後のクリスティーのある長篇の先駆けとなるトリックが見事に決まっています(再び余談になりますが、本短篇集が刊行される四年前の一九二六年に雑誌掲載されていた「愛の探偵たち」が、どうして本書に収録されなかったのかは謎です。これはわたしの想像ですが、前述した中心となるトリックの相似性に問題があるような気がします。二年後にミス・マーブルもの十三篇を収めた短篇集『火曜クラブ』を出したクリスティーが、まさか、十三という数を嫌った、などということがあるとは思えませんし……)。

 閑話休題。こうして、クィンと出会うたびに、ドラマの主役となり、探偵として心躍る経験をしてきたサタースウェイト氏ですが、最終的には真実の愛を追い求めるものがたどり着く究極の選択の前に、大きなダメージを受けることになります(「道化師の小径」)。

 それは、異性に対して一度として激しい感情を抱くことなく生きてきた身には、対処しようのない、あまりに残酷な現実でした。そしてまた、その瞬間、彼にかけられた魔法は解け、サタースウェイト氏は、舞台を降り、本来いるべき場所——平和で安定しているものの、冒険とは無縁の傍観者としての日常——に戻るのです。

          四

 クリスティー自身が、少女時代、クリスマス・シーズンになると夢中になって見たというパントマイム。その主役であるハーレクィンに触発されて生まれたハーリ・クィンは、本家同様その本質は、神話やおとぎ話の中で活躍するトリックスターです。

 この世とあの世、現実と空想、この二つの世界の境界線上にあって、両者の間を自由に行き来し、現世を活性化させて去っていく不思議な存在トリックスター。恋人たちの危機を救うために現われ消えるハーリ・クィンですが、このトリックスターによって最も救われたのは、永遠の脇役サタースウェイト氏だったのかも知れません。

 なぜならこれは、ドラマの主役、即ち探偵になりたいというワトスンの夢が現実となったおとぎ話なのですから。

・追記:「道化師の小道」のラストで、クィンと別れたサタースウェイト氏は、その後ポアロと出会い、『三幕の殺人』で、探偵であるポアロを食うほどの名脇役ぶりを発揮します。また「死人の鏡」にもちょい役で登場。あいかわらず人間ウォッチングにいそしんでいます。

 そして、本書刊行から四十年以上経った後、ついにクィンと再会を果たします。「クィン氏のティー・セット」(『マン島の黄金』所収)と名付けられたこの短篇は、サタースウェイト氏にとって、辛い体験となった「道化師の小径」とはうって変わって、希望と癒しに満ち、シリーズを締めくくるに相応しい未来を予感させる救済の物語です。

 自伝のなかで、ハーリ・クィンの物語について、

「これはわたしの大好きなものである。わたしはこんな短篇をそうしばしばでなく、三カ月か四カ月の間をおいて——もっと長いこともあるが——書く。雑誌でこういう短篇が好まれるらしいし、わたし自身好きだが、どんな定期刊行物からの連載申し入れもすべてお断わりしていた。クィン氏の連続物は書きたくない——ただ、これはわたしが書きたいと思った時だけに書きたいのである。クィン氏はわたしが若いときに書いた一連の “ハーレクィンとコロンバイン”の 詩から引き継いでいるものである」(乾真一郎訳)

 と、語るように、クリスティーは、このシリーズを特別なものと考えていました。

 精緻なミステリで読者を欺し続けた天才が最後に書いた短篇が、このシリーズのエピローグだったのは、決して偶然ではないのです。

川出正樹