史上最低最悪の殺人現場へようこそ!

 血まみれスプラッタ、バラバラ死体、セックス殺人などなど。どんな場面を想像しましたか。気の弱い人は、うわぁー、グロいのって苦手なんだ、と本を閉じかけているかもしれない。いや、あなたの想像はすべて外れています。そうではない、現場を彩るのは——

 ゲロ。

 しかも大量の。

 玄関にあったそれは死体の第一発見者である郵便配達夫が、やむにやまれぬ生理現象として撒き散らしたものなのだ(実は別の場所にもゲロがあるが)。彼を責めないでやってもらいたい。死体の方も凄惨なありさまだったのだから。詳しくはここでは触れないが、死体の最も印象的な箇所が「二本の切断された指」が「鼻の穴の残骸に突っこまれた」状態だといえば察していただけるでしょう。吐きたくもなるというものである。もっとも現場を彩る排泄物はそれだけではなかった。これも書くには忍びないのだが「さしずめココア・パウダーを混ぜすぎた巨大なラム入りトリュフ」というような代物が鎮座ましまして来訪者を待ち受けていたのである。こんな現場に乗りこまざるをえなかった捜査陣に、私は同情を禁じえない。

 本書はスコットランドが生んだ犯罪小説作家、クリストファー・ブルックマイアが一九九六年に発表したデビュー作、Quite Ugly One Morningの邦訳である。この小説は、年度内に刊行された最も優秀な犯罪小説のデビュー作に対し評論家サークルが授与する、First Blood Awardを受賞している。

 クリストファー・ブルックマイアの作品は一九九九年に本国で刊行された『楽園占拠』がすでに邦訳紹介されており、ご記憶の方も多いだろう(本書の登場人物であるヘクター・マグレガー警部も顔を出している)。スコットランド沖に浮かぶ石油掘削のための巨大な浮島がリゾートアイランドに改造され、事業の仕掛人が同窓会パーティを催す。ところがそこに謎の武装集団が襲来し、島を占拠してしまうのである。大雑把に言ってしまえば映画「ダイ・ハード」的状況だ。主人公アラエスタ・マクエードは、武装集団がパーティ会場を制圧したとき幸運にもテーブルクロスの下に隠れ、広間から脱出することに成功する。そして換気シャフトに潜りこみ、ジョン・マクレーン(いわずと知れた『ダイ・ハード』の主人公だ)よろしく現状打破の行動に移るのだが、なんと緊張のあまり「満ち潮のごとき勢い」でゲロを吐き、あっさりテロリストどもに見つかってしまうのだ。

 はあ?

 ちょっと変わったアクション小説、ぐらいに思って『楽園占拠』を読んでいた私は、この場面でのけぞった。なんだこれは。いや、この場面(三百十六頁)に至るまでも、アリーが映画オタクぶりを発揮して「弾丸致死率」なる理論を得々と開陳してみせたり、襲撃の演習中に誤って仲間をロケット弾で吹き飛ばしてしまったりといった間抜けな展開が延々と繰り広げられていたので、裏表紙にあった「イギリスの若手実力派がはなつアクション巨編」なんて綺麗事はまったく信用しなくなってはいたのだが。しかし、『楽園占拠』の飛び抜けぶりは、こちらの予想をはるかに超えていた。「ちょっと変」どころじゃない。こんな変てこな「アクション小説」は読んだことがない! 当時「ハヤカワ・ミステリ・マガジン」の新刊レビューに、私はこう書いている。「とにかく一ページに一つ以上は笑えるくだりがあるので、読むのに時間がかかる。アクション小説ではあるのだが、よくよく読んでみると、まっとうな善悪対決の活劇はごく一部。ほとんど仲間割れやら勘違いによるアクションばかり」——さよう「アクション小説ではあるのだが」それ以上に『楽園占拠』は、スラップスティックな笑いが優先されるコメディ小説であったのだ。素敵だ。

 そこで『殺人者の厄日』である。主人公は、事件記者ジャック・パーラベインだ。パーラベインは、冒頭で紹介した殺人現場のフラットの上階に「たまたま」住んでいた。その朝、ひどい二日酔いの真っ最中にいた彼は、ゲロの悪臭に気づいて起き出した。自分がどこに小間物屋を広げてしまったのかを探すためだ。うろうろと彷徨っている間に、彼は「パンツとよれよれのTシャツ」という情けない姿で、オートロックの部屋から自分を閉め出してしまう。なぜか死体が転がっていて至るところに排泄物がぶちまけられている階下の部屋の裏窓から自室に侵入しようとしているところを、刑事に発見されるのである。きみ、非常に怪しいぜ、パーラベイン。

 パーラベインは腕利きのジャーナリストだ。スコットランドの地方都市グラスゴーでキャリアを積み、ロンドンの大手紙に引き抜かれた。しかしそこで新聞社ぐるみの不正に気づいたパーラベインは、自分を騙した人間たちに強烈なしっぺ返しをくらわせ、大西洋を渡り、はるかアメリカは西海岸のLAで記者活動を再開した。ところがここでも急いで職を離れなければならない事態が出来し、つてをたどって故郷スコットランドの首都であるエディンバラへとやって来たのだった。その矢先の事件遭遇だったわけである。

 本書では事件に巻きこまれた形だが、パーラベインにとってはむしろ幸いだっただろう。何しろ彼は筋金入りのGONZO(無頼派)ジャーナリスト、事件取材にあたっては不法侵入やクラッキングなどの犯罪行為に手を染めてもまったく意に介さない、不逞の輩なのである。作者ブルックマイアはあるインタビューでパーラベインをこう評している。「彼は何事もあらかじめ決められた通りには進行させないジャーナリストだ。それが国の法であろうと、重力の法則であろうと」。してみると一階の他人の部屋から二階の自室に戻るなんてことは国法に逆らう(不法侵入)、重力の法則に逆らう(小柄な体格のパーラベインは、「スパイダーマンのように壁をよじ登れる」という)という両方の側面を見事に満たした行為になりますな。一階で殺害されていたのは、とある総合病院に勤務する医師だった。パーラベインはその背景に陰謀のにおいを嗅ぎつけ、医師の離婚した元妻のセーラと、刑事のディエルという二人の美女の手を借りながら、事件を解決していくのである。おっと。言い忘れたが、パーラベインの特長の一つに、美女にもてるというのもあるのだった。

 ところで、『楽園占拠』でブルックマイアが示したユーモアのセンスは本書にも如実に現われていることをお約束しておこう。いや、アクションの要素が少ない分、こちらの方が『楽園占拠』よりも笑える仕上がりになっているかもしれない。私が見たところ、ブルックマイアの書く「笑い」は、小説を支える三つの要素と不可分のものである。では、その要素とはいったいどのようなものか。

 まず挙げるべきは、イギリス人が好む悪趣味な笑いの要素である。「モンティ・パイソン空飛ぶ大サーカス」を例に出すのがもっとも手っ取り早いだろう。

 たとえばパーラベインとコンビを組むセーラは旧姓をスローターという。彼女は医師なので、正式な名乗りがドクター・大量殺人(スローター)になるわけだ。そういう駄洒落や、殺し屋ダレン・モートレイクが大家の犬を殺して戸棚に隠す残酷なギャグは「モンティ・パイソン」のままである(ちなみに大家の老婦人は犬の復讐のため思い切った逆襲をする。ここはぜひ故・グラハム・チャップマンに「女装して」演じてもらいたいところだ)。もちろん本書の至るところに登場するゲロ・エピソードは、モンティ・パイソン映画の最高傑作「人生狂想曲」における「ムッシュ・クレオソート」のコントを想起させる。

 しかし、パイソンよりもさらに直接的な影響を与えているのはダグラス・アダムズの『銀河ヒッチハイク・ガイド』(河出文庫)シリーズであるようだ。英国BBCが制作した同作ラジオドラマのサイトThe Hitchhiker’s Guide to the Galaxyを見ると、テリー・ジョーンズやサイモン・ブレットと並んでブルックマイアが登場し、パーラベインが『銀河ヒッチハイク・ガイド』に登場人物するフォード・プリーフェクトに着想を得たキャラクターであることを明かしている。フォード・プリーフェクトは、ベテルギウスから地球にやってきた事件記者なのである。『楽園占拠』を読んだ方は、文中で『銀河ヒッチハイク・ガイド』に言及した箇所があったことに気づかれたはずだ。

(つづく)